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32.5

 

 扉が叩かれる音に、二人の騎士は瞬間はっと扉を見た。しかしそれが、どこか軽薄そうなノック音だということに気付くと、忌々しそうに扉から視線を外した。

 室内からの入室の許可を待たずに扉が開き、黒いローブの男が部屋へと入ってくる。


「僕の部屋に、戻ってきた様子はないね」


 そう言うと、クヴェルミクスは部屋を見回した。

 白騎士の執務室には、長椅子に座るシュテファンジグベルトと、その向いの一人掛けにはアルトフロヴァルがいる。

 クヴェルミクスは不機嫌に座る二人を交互に見ると、部屋の中を進み躊躇いもなく書き物机の椅子へと腰を下ろした。


「なぜ、そこに座る?」


 部屋の主の椅子に悠々と座ったクヴェルミクスに、シュテファンジグベルトは眉を寄せた。


「だって、そちらが空いてないからさ。それとも、隣に座って欲しかった?」


 椅子に深々と座るクヴェルミクスの悪びれない口ぶりに、シュテファンジグベルトは深い溜息を返すに留まった。


「シュテファン殿の部屋に入るのは久しぶりだねぇ。前の部屋といい、この部屋といい、相変わらずいかにも王子の部屋って感じだね。あぁ、ここは白騎士団の団長の部屋って感じもするかな。もう少し、遊び心を加えた内装にしたらどう? こんな面白みの無い堅苦しい部屋だと、女の子の受けも良くないでしょ」

「余計な世話だ」

「うーん。そうだな、動物を模した置物なんかを飾ってみたらいいかもね」

「おい。勝手なことはするなよ」


 クヴェルミクスとシュテファンジグベルトのやり取りを傍観していたアルトフロヴァルは、大袈裟に溜息を吐くと二人を交互に軽く睨みつけ口を開いた。


「魔法塔にも行っていないとなると、やはりもう城には居ない可能性が高いですね」


 クヴェルミクスがアルトフロヴァルの言葉に面白く無さそうに返す。


「……なぜそう言いきれるんだい?」


 アルトフロヴァルは首を振った。


「無いんです。ユズコの荷物が」




 小さな浴室の乾いた浴槽には、薄紅のドレスと黒く長い付け毛が押し込められていた。

 クヴェルミクスは優しい手つきでそれらを拾い上げると、愛おしむように腕の中へ納める。

 薄紅色のドレスは、クヴェルミクスの薔薇色の右目と同じ色だった。


「相変わらず、悪趣味なことばかりするなお前は」


 クヴェルミクスの行動に、シュテファンジグベルトは呆れたように呟いた。

 そして一つ思い出し事をして、不愉快そうに口を歪めた。

 晩餐会のテラスで見つけた見習い従者の姿。何時もとは違う様に変えられた紫の瞳。薄紅の薔薇色のドレス。

 魔法使いは己の片目の色のドレスを着せ、もう片目と同じ瞳に仕立てて連れ出していた。


「よく似合っていたんだよ? アルトフロヴァルは見てない?」

「ええ。残念ながら私は」


 どこか責める様な目つきで、アルトフロヴァルはシュテファンジグベルトを見た。

 気まずそうに視線を逸らしたシュテファンジグベルトは、男三人が居るには狭い浴室から出る。


「ふん。あのような道化た姿……」

「そうかな? なかなか可愛かったと思うんだけどなぁ」



 浴室を後にした三人は、ユズコが自室としていた部屋に立った。広くもない部屋は、長身の男が三人も居ることで、より狭く感じられる。

 整えられたベッドを横目に、クヴェルミクスは開け放たれた衣装箪笥に近づいた。


「これは?」

「ユズコに与えた衣装です。私が揃えた物は、全て残っています。持ち出したのは、元より自分が所持していたものだけですね」


 衣装箪笥の中には、上下揃いの衣装が幾つも並んでいる。

 一目で上質だと分かる衣装は、見習いの従者が身に付けるには少々高価過ぎる。

 クヴェルミクスは二色の瞳を細めて薄っすらと笑った。


「ふうん。……アルトフロヴァルは、相変わらずなんだねぇ」

「……なにがですか?」


 アルトフロヴァルの冷えた返事に、機嫌の悪さがありありと滲み出ていた。


「お気に入りに構い過ぎなところだよ。昔から変わらないね」


 すうっと、アルトフロヴァルの纏う温度が下がったのに、シュテファンジグベルトは顔を顰めた。

 常時、冷静沈着で温厚な体でいるアルトフロヴァルは、クヴェルミクスに対してだけはそうでいない。

 それは彼等が幼少の時分から変わらない。

 含み笑いのクヴェルミクスが言う昔の出来事が、シュテファンジグベルトの脳裏を幾つか過ぎる。


「今は昔話をする気にはなりませんので」


 アルトフロヴァルは溜息交じりに言い捨てると、クヴェルミクスもそれ以上の軽口は慎んだようだ。 


「あの目では、遅かれ早かれ城下で騒ぎになるだろう」


 シュテファンジグベルトは、窓から見える城下街に目をやった。


「どうでしょう? 以前の姿でしたら、束の間なら瞳の色は隠すことができますからね」


 アルトフロヴァルも窓の外の城下街に視線を送る。

 夜の闇に包まれた黒い街の影が、静かにそこに在った。


「それって、一体どんな格好なの?」

「大きすぎる服を着こんで、深々とフードを被っていたんですよ」

「フードねぇ。そんなもので、ずっと隠し通せるとは思えないけどねぇ」

「恐らく、長くは隠し通せないだろう」


 シュテファンジグベルトの溜息交じりの言葉に、クヴェルミクスは少し考え込むように視線を彷徨わせると口を開く。


「それなんだけどさ。たぶん、暫らくは大丈夫だと思うんだよね。瞳の色は」

「どういうことだ?」


 シュテファンジグベルトは思わずクヴェルミクスに詰め寄っていた。

 クヴェルミクスは、ゆるりと話し出す。


「今夜、晩餐会に連れて行くのに掛けた魔法はシュテファン殿に壊されてしまったけれど、いつもの魔法はまだ残っていると思うんだよねぇ」

「いつもの?」


 アルトフロヴァルに聞き返され、クヴェルミクスは自信有り気に頷いた。


「そう。いつもの魔法がね。まだ掛かっているはずだと思うんだけどな。本当なら、四日目の今夜でいつもの魔法の効力は消えてしまうんだけど、魔法阻みの無い城外にいるのなら、魔法が解けていない可能性はあるよ。ただ、それがどの位持つかは分からないけれどね」


 クヴェルミクスの話を聞き終えて、シュテファンジグベルトは少しだけ肩の力を抜いた。


「しかし、なぜ、城を出る必要がある? あの場に居ろと言っておいたのだぞ」

「うーん。確かに不思議だよね? 僕が行く前に、テラスで誰かに見られちゃったのかな?」

「見られれば、騒ぎになるだろうが。あの時は確かに黒い目になっていた」

「そうだねぇ。晩餐会は、滞りなく終了したもんね。今夜は、なんの事件もなくね」


 狭い部屋に、男三人分の沈黙が重く広がる。

 ふと、アルトフロヴァルが呟いた。


「靴が……」


 アルトフロヴァルは確かめるように、視線を部屋に巡らせた。


「靴がありませんね」

「靴?」


 聞き返すクヴェルミクスに、アルトフロヴァルは頷いた。


「ええ。ドレスを着せたんですから、それ用に靴も用意したんですよね?」

「もちろん用意したよ。ああいった靴に不慣れみたいで、痛がってたけどね」

「その靴が無いのです。これだけ徹底して与えた物を残して行っているのに、その靴だけは持っていくとは考えにくいですね」


 衣装箪笥の中には、アルトフロヴァルが用意して与えたまだ新しい靴が残っている。

 シュテファンジグベルトも納得したように頷いた。


「確かにそうだな」

「やはり、何かあったと考えるべきですね」

「だが、ここを出て、どこへ行こうというのだ? 北の森へ戻ったか? それとも……」


 苦々しい表情の二人の騎士に、どこか飄々とクヴェルミクスは口を開く。


「西かなぁ?」

「西……。ソニアヴィニベルナーラのところですか?」

「西の端へ、あれが一人で行けるものか」

「難しいでしょうね。ユズコ一人では、移動陣が使えませんし」

「西は……、あんまり行かせたくない方角だなぁ」

「なぜだ?」

「西国ロザーシュは考古魔法の研究が盛んだからね。もしかしたら万が一にも、帰る方法を見つけちゃうかもしれないからねぇ」


 クヴェルミクスの言葉を聞いた二人は、それに何事の返事も返さなかった。

 アルトフロヴァルは僅かばかり眉を動かし、シュテファンジグベルトは嫌な事を聞かされたような苦い顔付になる。


「……だが、西に行った天気読みからは何の沙汰もないだろう。あれが一人で行ったところで、何が出来るということはあるまい」


 苛立ったように口を開くシュテファンジグベルトの横で、アルトフロヴァルが懐に手を入れる。

 そして、さも何でもないことの様に、一通の封書を取り出した。


「それならつい先程、西の端のソニアヴィニベルナーラから手紙が届いています。ユズコ宛てに」


 アルトフロヴァルの手にした白い封書に視線が集まる。


「晩餐会が終わったら、ユズコに渡そうと思っていたのですが……」

「先程ねぇ……」


 クヴェルミクスのニヤリとした物言いは無視して、アルトフロヴァルは封書に視線を落とす。

 封書は蝋で封印がされていた。


「ユズコに渡せないのなら、ここで中を確認した方がよいでしょうね」

「……まぁ、そうだな」


 二人の騎士のやり取りを、魔法使いは微笑み見守った。

 アルトフロヴァルの指が封印の蝋に掛かったところで、訪問者を告げる声が隣室の執務室から聞こえた。


 三人は動きを止めた。


 アルトフロヴァルは、封書を懐へ戻すと執務室へ向かう。

 夜更けの訪問者に怪訝な表情をするシュテファンジグベルトも、その後を追い部屋を出る。

 

 クヴェルミクスは二人を見送ると、抱えていたドレスと付け毛をベッドへと広げた。


「自分で脱いでしまうなんてね」


 残念そうにそう呟くと、その白く冷たい指先で、すでに着た者の熱を残さない薄紅のドレスを撫でた。





 シュテファンジグベルトとアルトフロヴァルは、夜更けの執務室に客を迎えた。

 案内の者を下がらせて、扉の前に一人の男が立った。

 薄水色の瞳の端整な顔立ちの男は、シュテファンジグベルトとアルトフロヴァルを見て微笑んだ。


「夜更けに済まない。明朝立つゆえ、会っておきたくてね」

「それは構わぬが、随分と急ぐのだな。もう数日、滞在すればよいではないか」


 微笑む男に、シュテファンジグベルトは名残り惜しむ様な顔つきになる。


「そうしたいのだけどね。早く戻れと兄上がな……」


 言い淀み困った笑みを浮かべた男に、シュテファンジグベルトの表情が曇る。


「悪いのか?」

「良くはないね」

「そうか。ならば、仕方ないな」

「久しぶりに会えて良かったよ。アルトフロヴァルもね」


 男に声を掛けられ、アルトフロヴァルが丁寧な礼をする。


「落ち着かれましたら、ぜひまたご訪問を」

「あぁ。そうしたいよ。機会があれば二人もこちらに来てくれ。歓迎するよ」


 そう言い残すと、男はブルーグレーの髪をひるがえして部屋を出ていった。

 閉じられた扉を見て、シュテファンジグベルトは重い息を吐き長椅子へ座る。



「西国ロザーシュの第二皇子様とは、相変わらず親しいんだねぇ」


 隣室からクヴェルミクスが執務室に入ってくる。

 訪問者のいる間、彼は物音一つ立てず気配を消していたようだ。


「挨拶くらいすればいいものを、何を隠れていた?」

「畏まるのは苦手だからねぇ」

「ええ。出てこなくて正解ですよ」


 素っ気無く言うアルトフロヴァルに、クヴェルミクスは微笑んだ。


「それに西の皇子様には、僕がここに君達と居ることは知られない方がいいと思うんだよね」


 意味有り気なクヴェルミクスの言葉に、二人の騎士はその視線を魔法使いにやる。

 クヴェルミクスはその手を差し出し示す。


 白い手の平の上で微細な粉の粒が、部屋の灯りを反射してきらりと光った。



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