29
高い天井から白いクリスタルが光るシャンデリアがいくつも下げられた大広間は煌々と明るく、弦楽器が奏でる優雅な旋律と着飾った紳士淑女の談笑が空間に溢れる。
手袋をした手を引かれて、ふかふかの赤絨毯の上を慎重に歩く。
初めて着たドレスという代物は想像以上に重量があったし、履き慣れない踵の高い靴に足首が緊張する。
それに、露骨ではないけれど、ちらりちらりと視線が投げられるてくるのを感じた。
俯いてしまいたいところを何とかこらえて、私の手を引き前を歩く黒いローブに視線を固定する。
黒いローブに垂れる銀色の長い髪がさらりと揺れる。
銀髪に飾られた髪飾りが、髪が揺れるのに合わせてしやらりしゃらりと涼やかな音を立てた。
遠巻きに投げられる視線をものともせず、クヴェルミクスは微笑んだ。
見られることに慣れているのだろう。
魔法塔一の実力者という肩書以上に、クヴェルミクスの容姿は人目を常に引く。
「ねぇねぇ、なにか食べたい?」
「……こんなにお腹を押さえつけられていたら無理ですよ」
きゅうと絞られたドレスのウエストが恨めしい。
普段の食堂ではお目に掛からないような料理が、通り過ぎる円卓にひしめいている。
美味しそうな匂いに、ため息が出そうになる。
ゆるりと視線を巡らすと、少し離れた大広間の中央に人だかりが出来ていた。
「あ、あれ……」
「あぁ。今夜の主役だね」
紳士淑女に取り囲まれていたのは、クラリッサフローレット姫。
純白のドレスに右肩から斜めに真紅の赤いたすきを掛けて凛と立つ姿は、遠目にもとても大人びて見えた。
主役のお姫様があそこにいるということは、私の避けるべき方々もあの辺りにいる可能性が高い。
「クヴェルミクス様。もっと、端の方に行きましょう」
小さな声でお願いすると、クヴェルミクスは口の端を上げる。
「挨拶しなくていいの?」
「そんな危険なこと、させないでください」
ため息交じりに答えると、クヴェルミクスはお姫様から離れる様に進行方向を変えた。
大広間の所々にはゆったりとした一人掛けや、小振りな長椅子が用意されていたけど、見る限りどこも埋まっている。
晩餐会が立食形式とは思わなかった。
重たいドレスに長すぎる裾も、ぐらつく靴も座ればなんとかなると思ってきたのだけど、どうやら簡単に座れなそうだ。
そんなことを思いながら、極力きょろきょろしないように大広間に視線を巡らせながら歩いて行くと、突然背後から呼び止められた。
「クヴェルミクス様! こんなところにいらしたのですか!!」
クヴェルミクスが面倒そうに足を止めた。
黒いローブを着た、小柄な魔法使いが行く手を阻む様に立ちふさがる。
「なに?」
「なにじゃありませんよ。いらしたのなら、すぐにご挨拶に行ってください」
「面倒だからいいよ。代わりにいっておいて」
さも面倒そうに返事をするクヴェルミクスに、小柄な魔法使いは大げさな溜息をつく。
「そんな訳にはいきません。魔法塔の長たる者がそんなことでは――」
切々と懇願している小柄な魔法使いの話では、どうやらクヴェルミクスにお姫様や王様に挨拶に行って欲しいようだ。
言われてみれば、クヴェルミクスは魔法塔のお偉いさんな訳だから、今夜の様な晩餐会では挨拶回りみたいなことをしなくてはならないのだろう。
「とにかく、一言でいいのです、形だけで結構ですから、一緒に来てください」
引き下がらない相手に、ようやくクヴェルミクスが渋々と頷く。
小柄な魔法使いは安堵の息を吐き、すぐにでも大広間の中央へ向かおうとクヴェルミクスを促すけど、クヴェルミクスは急ぐ素振りも見せずに私に向き直る。
「どうする? 一緒に行く?」
首を振ると、クヴェルミクスは再び私の手を引いた。
「じゃあ、こっちに。足、痛いみたいだし、少しここで座って待っててね」
連れてこられたのは、大広間の窓から出たテラスだった。
クヴェルミクスを逃すまいと、小柄な魔法使いも付いてきている。
クヴェルミクスを早く連れて行きたいのだろう、やきもきと落ち着かないようだ。
そんな小柄な魔法使いに、クヴェルミクスが何事かを指示をすると、小柄な魔法使いはせかせかと大広間へと戻って行く。
広いテラスには誰もいなかった。
それもそうだ。こんな寒い冬の夜に、わざわざ外に出ようとはしないだろう。
それでも、テラスはきちんと整えられていた。
備え付けられているテーブルとイスも晩餐会用に飾られている。
テーブルの上では華奢なランプが燈り、椅子には柔らかそうなクッションが置いてある。
庭へと降りる階段にも一段ごとにランプが置かれ、雪に覆われた庭にも所々に灯りが燈っていた。
「はい。こちらへどうぞ」
テラスの端の椅子をクヴェルミクスが引いてくれる。
ありがたく腰をおろせば、足首が緊張から解放されてホッとする。
「すぐに戻って来るからね」
そう言って、クヴェルミクスは私が座る椅子の前のテーブルに置かれたランプに手をかざす。
ランプに燈っていた黄色い灯りが、赤色へと変わった。
すると赤色が燈るランプから、ほわほわと温かさが漂い始める。
どうやら魔法で、灯りを暖房に換えてくれたようだ。
そこへ銀の大きなプレートを抱えて、小柄な魔法使いが戻って来た。
「こちらでよろしいですか?」
テーブルの上にプレートが置かれる。
それを見て、私が思わず息を呑むとクヴェルミクスは満足気に微笑んだ。
「ここで大人しくしていてね?」
私が頷くと、小柄な魔法使いに連れられてクヴェルミクスは大広間へと入っていく。
テラスに一人になった私の頬を、冷えた夜風が撫でる。
視線を巡らせ、辺りに人がいないのを確認してから、私は窮屈な靴をそっと脱いだ。
それから、テーブルの上に載せられた銀のプレートを見つめる。
大きな銀のプレートには、ぎっしりと乗っている。見た目にも華やかな赤い洋菓子達が。
まず目を引いたのは、赤とピンクのマカロンの小さな塔。その横には、赤い果実のプチタルト。凝った砂糖菓子が飾られた小さなカップケーキの数々。そして、山盛りの苺。大きな苺。
夢の様なプレートを前に、心が躍らない訳が無い。
押さえ付けられているお腹も、これらを前にして俄然とやる気を見せ始めた。
はやる気持ちを抑えて、まずはプレートの隅のグラスを持ちあげる。
シャンパングラスの中身は、お酒だった。
微かなアルコールを感じるけれど、白葡萄のような甘い味で抵抗なく飲むことが出来る。
お酒は飲み慣れていないけど、これくらいなら美味しく飲めそうだ。
グラスを置くと、もう一度プレートの上を見渡す。
何から食べようかと考えるだけで、少しにやけてしまうのが分かる。
ほぼ無理矢理に連れてこられた晩餐会だけど、こんな素敵な時間になるとは思わなかった。
やっぱりマカロンかな。とピンクのマカロンに手を伸ばして、はたとその手を止める。
絹の手袋を付けたままだった。
これは、取った方がいいのかもしれない。
プレートにはカトラリーの類は用意されていない。そうなると、手でパクリといっていいということなんだろうけど、手袋のままでは汚してしまう。
マナーとしては、どうなのだろう?
他の淑女な皆さんはどうしているのかと、背後を振り返ってみても、窓には薄いカーテンが架かっていて、テラスから大広間の様子は分からない。
両手を肘まで包む絹の手袋を見る。新品なのか、染み一つ無い。
汚さない方が良さそうだ。
それに、ここには他に人はいないから、マナー的に間違っていたとしても構わない。
そう判断して、私は手袋をはずし始める。
ぴったりと手を包む手袋なので、着脱が大変なのだ。
左手から手袋を抜き取り、右手の手袋を半分おろしたところで、背後から地を這うような低音が響いた。
「その姿は一体どういうつもりだ」
「ひっ!!」
びくりと震えあがった私の背後から、カツカツと靴音が近づいてくる。
振り返らなくても分かる、誰がいらっしゃってしまったのか。
靴音が私の真横でぴたりと止まったけれど、私はそちらを見ることが出来ない。
見なくても、ひしひしと伝わってくる。
私の傍らには、とてもお怒りのご様子の白騎士。
そして目の前には手付かずの、マカロン、プチタルト、カップケーキ、苺。
「クヴェルミクスの戯れ事に付き合うとは、一体どんな了見でのことだ?」
イラついた白騎士の声に、がっくりとうな垂れる。
あぁ、短い夢だった。恨めしげにテーブルをちらりと見る。
頭上からは、白騎士の苦言が降ってくる。
「陛下をはじめ、他国からの賓客もいる晩餐会にそのような姿で出入りするなど……。たとえ端くれでも、お前には男子たる矜持は無いのか! そのように女のナリをして恥ずかしくは無いのか!? 顔を上げろ! どんな醜態でここまで来たのか――」
俯いたままの私に、白騎士は余計腹が立ったようだ。
肩を掴まれて、ビクッと顔を上げると、白騎士は固まった。
こちらを見て、目を見開いている。
確かに似合っていないだろうけど、そこまで引かなくてもいいのではと思ってしまう。
「な、なんだ、それは……、一体どういうつもりで……」
忌々しそうに呟く白騎士の視線が、私の目に向けられている。
「な、なにからお話ししたらいいのか……。あの、この目は、クヴェルミクス様がドレスにはこちらが似合うからと言って……」
しどろもどろと口を開く私の目を見て、次にドレスを見て、白騎士は眉間の皺を一層深くさせた。
先程よりさらに機嫌の悪くなった白騎士から、私は視線を逸らす。
視線を逸らした私の目は、今夜は紫だった。
ドレスに着替えて魔法を解かれた後、クヴェルミクスは再び魔法を掛けた。
それは、いつもとは違う魔法だった。
ドレスの形状で露出してしまう首にスカーフは巻けないので、うなじの傷痕は厚く白粉を塗り、魔法は前髪で隠れる額に描かれた。
『晩餐会の間だけだから、違う色にしよう』と事も無げに言って、クヴェルミクスは私の目をいつもの緑色ではなく、紫色へ変えた。
「お前は……」
低く呻くような白騎士の声に、私は椅子から立ち上がる。
とりあえず、いったんこの場から去ろう。
このままここで揉めていたら、遅かれ早かれアルトさんが現れるだろう。そしてクヴェルミクスも戻ってくる。
それだけでも耐えられないのに、このドレス姿では更に状況が悪化するのは目に見えている。
「すみませんでした。いますぐに、部屋に戻りますから――」
「勝手をするなっ!!」
白騎士が怒鳴ると同時に、ビリリとした風に吹かれる。
ガシャリと音を立てて、ランプが割れた。
灯りが消え、薄暗くなったテーブルの上の割れたランプを呆然と見つめる。
これは、白騎士が怒ったから割れたということのようだ。
恐る恐ると白騎士を窺うと、目が合ってしまう。
「なっ! お前、魔法が!?」
慌てた様子で白騎士が私の肩を掴み、顎を掴み、顔を上向きにする。
咄嗟に昨夜の出来事が思い出されて身がすくむ。
白騎士の顔が近付き、私の目を凝視する。
「黒い……」
私の目は、紫から黒へと戻ってしまっていた。
「黒いですか?」
「あぁ。黒いな」
白騎士の顔が至近距離にあることなど、全く気にならなかった。
どうしてか魔法が解けてしまったこと、それが重大過ぎて。
私の頭の中は、どうやってこの黒い目を隠して部屋にたどり着けるかで一杯だった。
「どうしたら……? 大広間は通れないですよね……。庭、庭からなら部屋に戻れますかね?」
白騎士は相変わらず私の黒く戻った目を見ている。
「庭は衛兵が配置されているが……」
「薄暗いですし、伏せ目がちに行けば、大丈夫かもしれませんよね」
同意を求める様に、白騎士の明るいブルーの瞳を覗き込むと、白騎士は顔を逸らし私から離れた。
「どこで見られるか分からん。そうなれば、厄介だ」
そう言われて私はため息をついて大広間を見る。
それなら、一番いい方法は一つしか思い浮かばない。
「では、クヴェルミクス様を呼んできて下さいませんか。ここで魔法を掛けなおしてもらいます」
「クヴェルミクスを?」
白騎士は苦々しそうにその名を口にした。
なんで俺が。と思っているのだろうけど、少し考え込んだ後、以外にもあっさりと頷いた。
まぁ、それもそのはずだ、たぶん私の魔法を解いてしまった原因は白騎士にあるのだろうから。
「いいか? うろちょろするな」
そう言い残して、白騎士は大広間へと戻っていく。
ぽつりとテラスに取り残された私は、ひとまず椅子に腰を下ろす。
大広間に背を向けて庭を見る。
人気の無さそうな庭だから、ここからぐるりと回って部屋に行けそうな気もするけど……。
城の警備を担う白騎士団の団長がお勧めしないのなら、無謀なことはしない方がいいのだろう。
誰も来ないとは思うけれど、背後の大広間が気になった。
酔いを覚まそうと、夜風に当たりに出てくるような人がいないことを祈る。
不安な気持ちを紛らわせようと、プレートの上のグラスを掴むと、一息に飲み干す。
落ち付かないまま、そわそわと過ごすと、ようやく背後で聞き覚えのある音が鳴った。
しゃらりと鳴るその涼やかな音は、クヴェルミクスの髪飾りが立てる音だ。
急いで立ち上がり、魔法使いの名を呼ぼうと振り向いて、私は息を呑む。
振り返ったそこに、クヴェルミクスはいなかった。
そこに立っていたのは、見知らぬ男。
髪にはクヴェルミクスの物とよく似た髪飾りを付け、灰がかった薄い水色の瞳で、射るように私の黒い目を見つめていた。




