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28

 

 朝食から戻ると、執務室にいたアルトさんからお茶の支度を頼まれる。

 昨夜のことを何か言われるかと身構えたけど、アルトさんの様子はいつも通りだった。

 

 支度部屋にお茶を取りに行くと、見慣れないものがティーワゴンに乗せられる。

 お馴染みのティーセットに加わったのは、ガラスの水差しが二つと白い小瓶が一つ。

 水差しの一つには水。もう一つの中には、濃いオレンジ色の液体が入っている。

 聞いてみると、アルトさんの申し付けで用意されたそうだ。


 ティーワゴンを押して執務室に戻ると、長椅子に寝そべる様にしている白騎士が目に入る。

 目を閉じて、険しい顔をした白騎士の顔色は悪い。

 十中八九、二日酔いに間違いないと思う。

 部屋に入ってきた私の方を見ることも無く、長椅子に沈む白騎士の様子を見るに、昨夜のことは確実に白騎士の記憶には残っていなそうだ。


「ユズコ。私には、いつものお茶を下さい。あぁ、シュテフのは私がやりますよ」


 アルトさんはティーワゴンからオレンジ色の液体が入った水差しを手に取ると、その中身をグラスに注ぐ。

 鼻先を柑橘系の香りがくすぐる。どうやらオレンジの液体は、果実のジュースの様だ。

 グラスにジュースを注ぐと、アルトさんは添えられていた小瓶の蓋を開けた。

 オレンジ色のジュースが満たされたグラスに向かって、アルトさんは小瓶を逆さにする。

 中からさらさらと白い粉が落ちて、グラスに沈んでいく。


「これは二日酔いに良く効くんですよ。シュテフはさして強くも無いのに、深酒をするという愚行を時折犯すんですよ。今日はこれから成人の儀だというのに……」


 呆れたように微笑みながら言うアルトさんの手元で、逆さにされたままの小瓶は空になった。

 溶けきれないほどの何かが沈んだグラスを、アルトさんはゆっくりとかき混ぜる。

 オレンジ色の液体が、グラスの中をくるくると回る。


 アルトさんの言っていることが聞こえているであろう白騎士は、相変わらず長椅子にしな垂れかかり反論も出来ないようだ。

 白騎士にアルトさんはグラスを差し出す。


「いつものですよ」


 よろよろと白騎士が起き上がり、うつろな目でグラスを見る。

 アルトさんからグラスを弱々しく受け取ると、白騎士は深いため息をつく。

 そしてグラスを傾け一息に飲み干した途端、なぜか口元を押さえて盛大に咳き込み、ブルブルと身を震わせた。


「ゲホッ!! っく! ア、アルト!! なんだ、これはっ!!」


 目を見開きむせる白騎士が、息も絶え絶えといった様子でアルトさんを睨む。

 対するアルトさんは涼しい顔で、ティーカップを傾けている。


「パンプルムスのジュースですよ。……二日酔いの朝には、いつも飲んでいるではないですか」


 紅茶を片手に悠然と微笑んだアルトさんの前で、白騎士はむせ続けた。


「うえっ! つっ! い、いつもの、パンプルムスとは、違う、――カホッ! ううぅ!!」

「おや、これは、私としたことが手違いを。水で半分に割るのを忘れていたようです。あぁ、それに、塩ひとつまみを、少し多く入れてしまったようですね」


 完全に棒読みなアルトさんの台詞は、白騎士には届いていないようだった。


 あの小瓶の中身は塩だったのか。

 そう分かると、白騎士のむせ返り振りも納得が出来る。

 薄めて飲む物を原液で飲んだ上に、そこに大量の塩が入っていたら、口も喉もびっくりしただろうな。

 それにたぶん、私が付けた舌の傷にも盛大にしみたに違いない。


 訳も分からず悶絶する白騎士を前に、アルトさんは微笑む。

 私の背筋が薄ら寒くなる。

 アルトさんが手を付けなかった、水がたっぷりと入った水差しを見て確信する。

 やっぱり、アルトさんは昨夜のことを察していた。

 きっとそれで、アルトさんなりに白騎士へ制裁を加えてくれたということなのかもしれない。

 咳き込む白騎士は、何も覚えていないようだ。

 なんだか少しだけ、本当に少しだけ、白騎士に同情してしまった。



 白騎士が水差しの水を空にしてから、二人は成人の儀へと出向いた。

 私も今夜の晩餐会の支度を手伝うべく部屋を出る。


 今日の昼の仕事は、食器磨きだ。

 銀のカトラリーが溢れるほど入ったかごを前に、黙々とそれらを磨き続ける。

 この部屋に来る途中に、昨夜の壺が飾ってあった廊下を通ってみた。

 二か所とも、割れた壺は綺麗に片づけられていた。

 あの壺の件が、パメラさんの耳に入らずに済むはずもない。それなら、自ら正直に名乗り出た方がいいのかもしれない。

 五割、いや、八割くらいは白騎士のせいで割ったのだから、正直に話せば弁償は免れることが出来る気もする……。


 鬱々と壺の弁償のことを考えながら窓の外に視線をやると、図書館が見えた。


 最近は図書館に足を運べていない。

 行けたとしても、成果は出ていないと思う。

 闇雲に書架をめぐり、直感に頼って本を選んで頁をめくってもめくっても、私の欲する物は見つからない。

 クヴェルミクスからも、あの巻物の情報以外は、なにも新しい話が出てこない。

 西の端に到着しているだろうソニアからの便りも、まだ一通も届かない。


 視線を手にした銀のスプーンに戻す。

 ごしごしと布でスプーンを磨くと、つるりとした表面に少し歪んだ自分が映る。

 このまま、ここで、ずっと、こんな風になんとなく月日を過ごしていくのだろうか……。

 身体の奥底から、押し止めている感情がゆらりと溢れそうになる。

 ぎゅっとスプーンを握る。

 緑色の瞳がこちらを見ていた。


 深く息を吸い、ゆっくりと吐くと、私は次のカトラリーを磨き始める。

 もう何も考えないように、無心で銀を磨き続けた。





「……コ。ユズコ!」

「うわっ! びっくりした」


 肩を優しく叩かれて呼ばれて、はっと我に返った。

 すっかりカトラリー磨きに没頭していたようで、目の前にはピカピカに磨かれたスプーン、フォーク、ナイフの小山が出来ている。

 私に呼びかけていたのは、顔なじみのメイドさんだった。


「何回も呼んだのよ。」

「あぁ、ごめんなさい」

「あのね、ユズコにお仕事なのよ……」


 首を傾げた私の手から、磨きかけだったフォークを抜き取ると、メイドさんはにっこりと笑う。


「ここの続きはしておくから、あれをお願いね」


 そう言ってメイドさんが指し示したのは、部屋の入口に用意されていたティーワゴンだった。





「遅かったねぇ」

「わざわざ、指名しないでください」


 ティーワゴンを押した私を出迎えたのは、クヴェルミクスだ。

 迷惑そうな私の様子に全く構うことなく、むしろ迷惑がられているのを喜ぶようにしている。


「連れないなぁ。一緒にお茶が飲みたかったんだよ」

「仕事が途中なんです」

「大丈夫。大丈夫。僕が取り計らってあげたからさ。……それに、これも仕事でしょ?」


 ニヤニヤと笑うクヴェルミクスに眉を顰める。


「パメラさんに怒られますから……」


 パメラさんだけでなく、こうやって必要以上にクヴェルミクスに関わると、アルトさんと白騎士の機嫌が悪くなる。

 それも知った上で、クヴェルミクスは私に構うのだろうけど。


「まぁまぁ、そんな気まじめに働かなくてもいいじゃないか。とりあえず、お茶にしようよ」


 促されて、渋々とお茶の支度を始める。


「君とお茶が飲みたくってねぇ。今日は朝から忙しくてさ、やっと部屋に戻ってこれたんだよ」


 そう言うクヴェルミクスは、いつもとは違うローブを身に着けていた。

 色はいつもと同じ黒だけど、今日のローブには刺繍がある。

 濃い紫の刺繍は一見目立たないけれど、ローブ全体に細やかな刺繍がされている。

 きっと式典用の衣装なのだと思う。

 クヴェルミクスもお姫様の成人の儀に出たのだろう。


「あの、でも、今夜はこちらに伺う日なんですけど」


 今夜は魔法を掛けてもらう日だ。

 わざわざ昼間呼びつけなくても、夜になればこの部屋に来るのだから、お茶もその時でいいのではと思う。


「そうなんだけどさ。ちょっと、お願いしたいこともあってねぇ」

「? ……上の掃除ですか? それとも、図書館に本を戻すんですか?」

「うーん。そうじゃなくてねぇ……」


 紅茶の入ったティーカップをクヴェルミクスの前へ置く。

 私もなんだかんだ言いながら、自分の分の紅茶を淹れさせてもらった。

 今日のお茶は、シナモンアップルティー。

 冬にはぴったりの紅茶だ。

 紅茶を一口飲んだクヴェルミクスに続いて、私もティーワゴンの脇で立ったままティーカップに口を付ける。


 ティーカップを置いたクヴェルミクスが、長椅子の後ろから何かをいそいそと取り出した。


「お願いっていうのはね。コレを着て、僕と晩餐会に行くことなんだけど」

「!! ごほっ、ごほっっ」


 クヴェルミクスが取り出したものは、貴重な紅茶を吹きだすくらいに私を驚かせた。


「あれ? 大丈夫?」 

「な、何を言っているんですか?」

「いやね、晩餐会にね、君と一緒に行きたいんだよね」

「意味が分かりません。 なぜ、私が、晩餐会に行くのですか? ……じ、女装までして」


 クヴェルミクスが手にしてこちらに掲げているのは、ドレスだった。

 あの時、あのお姫様が着ていたような、どこから見ても正真正銘ドレスな一着。


 薄紅色のドレスを手に、クヴェルミクスはにたりと笑う。


「ほら、僕、晩餐会とか苦手なんだよねぇ。だけど今夜のは出ない訳にもいかないし、それなら少しは楽しく過ごせるように、オキニイリの子をパートナーとして連れて行こうかなって思ってさ」

「無理です。絶対に無理です」


 クヴェルミクスの戯れに巻き込まれまいと、毅然と断る私に、魔法使いはその美しい二色の瞳を細めて微笑む。


「タダとは、言わないからさ」

「……。いえ、お金を頂いてもお断りですよ」


 一瞬。一瞬だけぐらりとしたけど、私は首を横に振った。


「ふぅん。でも、君には少々荷が重いんじゃないかな?」

「……なにがですか?」


 クヴェルミクスの唐突な台詞に首を傾げると、楽しそうな声音で返答される。


「壺二つで、幾らになるかなぁ?」

「え……」

「金貨十枚じゃ、足りないだろうねぇ」

「ど、どうして、それを……」


 まだ誰にも知られていないはずの、壺の件をクヴェルミクスは知っていた。


「ふふふっ。 どうする? 今夜、僕とこれを着て晩餐会に行けば、壺二つ分の弁償は僕が肩代わりしてあげるよ。もちろん、レニィパメラオルガの耳にも入らないようにね」


 黒すぎる笑顔でこちらを見つめるクヴェルミクスから視線を逸らし、私は手の中のまだ温かい紅茶をごくりと飲み込んだ。





 鏡の前に立っているのは、長い黒髪を結いたらし、きちんとお化粧を施した、ドレス姿の私でした。


 女子としては短すぎる髪は、クヴェルミクスが用意した付け毛ですっかり長くなり。男子だからすかすかしちゃう胸元用には、これもクヴェルミクスが用意した、一部がこってり盛られた下着一体型コルセットのおかげで、胸部はきちんとした膨らみを得て。……。


 クヴェルミクスの熱烈なお手伝い志願を退けつつ、一人で四苦八苦しながらドレスをどうにか着たところで、部屋に見知らぬメイドさんが二人やって来て、たじろぐ私に構わず、メイドさん達は無言のまま私のドレスの着付けを直し、髪を結い、化粧を施し、去って行き。後に残ったのは、鏡に映るドレス姿の私でした。


 ドレスを着たのが初めてなので、似合っているのかも分からない。

 そして盛られた胸元は、馴染みが無さ過ぎて、何度も見てしまう。

 きちんとされた化粧は、派手すぎず、かといって控えめすぎず、絶妙な出来であることはわかった。


「うんうん。いいんじゃないかなぁ。どこから見ても、女の子だよ」


 いつの間にか背後に立っていたクヴェルミクスが、鏡の中の私に笑いかける。


「あの、晩餐会には、私を知っている人たちもいるんですけど、見つかったら怒られます」


 髪型や化粧、それにドレス姿だから、普段とは多少は違って見えるだろうけど、この姿でパメラさんに遭遇したら……。

 白騎士やアルトさんに見つかったら……。

 いまさらながら、馬鹿げたことをしていることを自覚して心拍数が上がってくる。


「や、やっぱり、無理です。やめます」


 壺の件は、アルトさんに相談しよう。

 これ以上甘えるのは気が引けるけど、冷静に考えて、こんな姿でクヴェルミクスと一緒にいるところを見つけられたら……。


「今更、逃がさないよ?」


 優しい口調なのに、恐ろしげにクヴェルミクスは囁くと、ドレス姿には不釣り合いだった、私の首に巻かれたままのスカーフに手を掛けた。

 するりとスカーフを解くと、魔法が解かれたのも分かった。

 鏡に映る緑の瞳が、黒へ戻る。


「ね? その目では、どこにも行けないよ?」


 そう言って、鏡の中のクヴェルミクスは笑った。


「さて、そろそろ晩餐会の時間だねぇ」



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