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26.5


 ぼんやりとしたオレンジの灯りが燈る部屋に、シュテファンジグベルトは一人居た。

 自身の執務室の横のこの部屋には今、彼が注いだ果実酒の香りがふんわりと漂っている。


 絹の夜着で長椅子に腰を掛けたシュテファンジグベルトは、手にしたグラスから立ち昇る濃厚な酒の香りを吸い込み、琥珀色のそれを一口飲みこむと目の前のテーブルに視線を落とした。

 テーブルには、薄紙に包まれた焼き菓子が二つ。一つは赤で、もう一つは黄で趣向を凝らした焼き菓子。

 それはここ数年、王都で話題の菓子だった。

 聖誕祭の初日だけ、四つの守護星に準えて作られる菓子は味もさることながら、食べると幸運が訪れるという噂まで立てた品だった。

 シュテファンジグベルトは幸運云々は兎も角として、一年に一日だけしか手に入らないという菓子の味が気になっていた。


 しかし、聖誕祭の初日と言えばパレード。


 彼は例年、白騎士団の団長としてパレードを率いている。

 忙殺されるその日に、菓子など手配できるはずもなく。シュテファンジグベルトは地位も金貨も十分あるにも拘らず、市井の菓子を手に入れる機会がないまま聖誕祭を幾度か過ごした。


 シュテファンジグベルトは焼き菓子の薄紙を開く。

 本来なら、待望の菓子を賞味する愉快な時間のはずなのに、彼の眉間には皺が刻まれている。

 それは先刻からずっと、彼の眉間に深く刻まれたままだ。


 四つ揃っていた菓子は、今は二つになった。


 青い菓子は既に食べた。

 自分の守護神である水の守護神に準えて、瑞々しい青で飾られた菓子は、焼き菓子の控え目な甘みに、蜜掛けの青い実の清涼感のある甘酸っぱさが合い、庶民の菓子にしてはなかなかの出来だと感心して食した。

 これは、他の三つも期待が出来ると、彼は楽しみにしていたのだ。


 けれど、シュテファンジグベルトは緑の菓子を見習い従者の部屋に置いてきた。


 グラスを傾けて、彼は胸中で首を傾げる。

 なぜ、あれに、菓子をやろうなどと思ったのだろうかと。


 そもそも今夜は例年通り、城の中央で家族と共に過ごしていた。

 王子としては末の彼の下には、歳の離れた妹姫が一人いる。

 末の姫クラリッサフローレットは近く成人を迎えることもあり、彼女の上の既に嫁いだ姉姫たちも城へ集まり、久しぶりに兄弟姉妹が揃ったのだ。

 日頃、顔を合わせることは少ないが兄弟仲は悪くない王の子供たちは、久しぶりの一同再会を喜び楽しんだ。

 シュテファンジグベルトも、そのつもりだったのだ。

 ところが、王や王妃と会話を交わし、兄や姉たちの近況に耳を傾けていても、彼の心はその場に集中することが出来なかった。 

 なぜか、城のどこかに居る、見習い従者のことが気に掛かるのだ。


 女官長レニィパメラオルガの取り計らいで、彼の見習い従者は城のどこかで働いている。

 自分の預かり知らない所に居るのだと思うと、シュテファンジグベルトは妙に苛立ちが募るのを感じた。


 結局、曖昧な言い訳を口にして、守護星を見送る前に彼は城の中央を後にする。

 そうして、白騎士として使う自室に戻ってみれば、そこに居るべき者はおらず、従者の部屋はしんと静まりかえっていたのだ。

 薄暗い部屋に、シュテファンジグベルトが手にした紙袋がかさりと鳴った。



 ――そうだ、あれは何かと自分の気に障ることが多い。


 シュテファンジグベルトは、黄の焼き菓子を手に取ると、口へ運んだ。

 散りばめられた薄い蜂蜜飴が、パリパリと口の中で砕ける。

 シュテファンジグベルトは、半分になった黄の焼き菓子を見る。


 部屋の控え目な灯りに、焼き菓子の蜂蜜飴が鈍く光る。

 とろりとした優しい黄色は、シュテファンジグベルトにアルトフロヴァルを思い起こさせた。


 甘い蜂蜜色の瞳で、人好きのする優男で通る、アルトフロヴァル・ラズール。


 代々宰相を担うラズール家の三男は、物心付いた時からシュテファンジグベルトの傍らに置かれていた。

 王の子にはラズールの縁者が影の様に寄り添う。それは古くからの慣習だった。


 黄の焼き菓子の残りをもそもそと食べると、シュテファンジグベルトは薄紙を丸める。


 ――そもそも、アルトにしても様子がおかしいのだ。


 彼は、今までの従者には当たり障り無く接し、殆ど干渉などしない男だった。

 それがどうしたことか、新しい見習い従者に対するアルトフロヴァルの様子は全くの別物。

 日々の些事にも細やかに気を配り構う始末。

 あまつさえ最近は、アルトフロヴァル自ら仕立て屋に出向き、見習いの従者へと幾つもの衣装を誂えてきたのだ。


 シュテファンジグベルトは、再びグラスを傾ける。

 さほど酒に強くない彼の頬には、朱が差し始めていた。

 最後の一つとなった焼き菓子に手を伸ばし、薄紙を開けると煌びやかな赤が目に飛び込む。

 艶めかしくも見える赤に、シュテファンジグベルトは陰湿に笑う魔法使いの片目を思い起こして、赤い焼き菓子を一息に食べる。


 今や魔法塔一の実力を持ちながら政への関心が薄いままの男は、昔からシュテファンジグベルトとはそりが合わなかった。

 飄々とした変わり者の魔法使いをシュテファンジグベルトは敬遠していたが、アルトフロヴァルは熾烈に毛嫌いしていた。

 接点をなるべく持たないように過ごしていたのが、図らずも自分の見習い従者を介してここ最近は頻繁に顔を合わせる様になった。

 しかも変わり者の魔法使いは、見習い従者をいたく気に入り、何かに付けて過剰に構う始末。

 それがいちいちシュテファンジグベルトの気に障り、アルトフロヴァルを激しく不快にさせた。


 魔法使いクヴェルミクスの部屋に居た見習い従者。

 テーブルの上の二人分のティーカップ。

 見習い従者の手を引く魔法使い。


 今夜彼が見た光景は、十分にシュテファンジグベルトを苛立たせた。


 グラスを空にすると、シュテファンジグベルトは再び果実酒を注ぐ。

 部屋に漂う琥珀色の香りが濃くなる。


 自分以外が与えた紅茶を飲んでいたこと。

 他の者へ給仕したこと。

 聖誕祭の終わりの夜を魔法塔で過ごしていたこと。

 あの魔法使いと二人きりでいたこと。


 ――今夜のあれの行動全てが、気に障る。


 そんな風に考えだすと、全くきりが無かった。

 アルトがあれに細やかに携わるのが気に障る。

 クヴェルミクスがあれに魔法を掛けるのが気に障る。

 役立たずで、まだ子供ともいえる、見習いの従者のすることに、不思議といちいち腹が立つのだ。

 そもそも、自分を敬う気持ちが殆どないことにも腹が立つ。

 王子と知っても、自分に取り入ろうともせず、ただ淡々とそこに居るだけのあれの存在。


 執務室に戻った時に、その姿が無ければ苛立つ。

 いそいそと一人、食堂へ向かう姿に苛立つ。

 極めつけは、図書館を使いたいと言い出した時だった。

 元の世界に戻りたがっていることを知ると、ふつふつと怒りが沸いた。

 帰りたがっていることに、何故か腹が立った。



 視界の端を、あの黒い髪がちょこまかと動く様。

 顔を見れば、考えていることが手に取るように分かる単純さ。

 あれきり見れていないのに、幾度も思い出す黒い瞳。

 あの日こちらを見た深く濃い黒の瞳に、シュテファンジグベルトは不思議と嫌悪も凶も感じなかった。


 ――あの瞳は、気に入らなくもない。


 そう思うと、シュテファンジグベルトの眉間から皺が消えた。

 今までの、見習い従者の一挙一動がふわふわと頭をよぎる。


 フードを深く被っていた姿。長椅子に丸まった様。起きぬけに上げた悲鳴。

 食事を取る時の顔。菓子を取り上げた時の顔。叱り付けた後の顔。


 城を見上げた小さな背中。

 小さな寝台に深く潜り込む寝姿。

 訓練場の端でひっそりと佇む様。

 小走りに自分を追いかける短い脚。

 呼び辛そうに自分の名を呼ぶ口。

 紅茶を淹れる不慣れで慎重な手。

 紛い物の色を纏う癖に正直な瞳。


 思い浮かぶそれらが、割に好ましい様な気さえしていることをシュテファンジグベルトは不思議に思う。

 そして、この感覚が何なのかを考える。


 ――似ているのか?


 思い当たったのは、彼が幼少のころに姉姫たちが飼っていた仔犬だった。

 クリーム色の柔らかな毛並み。忙しない尾。はずむ様に駆ける短い足。

 大っぴらにその仔犬を構うことは出来なかったが、たまに隠れてクッキーを与えるのがシュテファンジグベルトは楽しみだったことを思い出す。


 ――そうか、あれはそれと同じだったか。


 ふむ。と、シュテファンジグベルトは納得した。

 毛色こそ違うが、仔犬と見習い従者には似た点が多い気がしてきていた。

 そういえば。と、思い出したのは、アルトフロヴァルも仔猫が好きだったことだ。


 それなのに、自分もアルトフロヴァルも、もう随分と仔犬や仔猫と触れ合う機会が無かったのだ。


 それでか。と、この妙な感情に自分なりの結論が付いたところで、シュテファンジグベルトは残りの果実酒を飲み干して立ち上がる。

 寝室へ向かいながら、シュテファンジグベルトは果実酒が回る頭でまた一つ思い出す。


 あの魔法使いも、昔から珍妙な生き物を愛でる癖があったな。と。



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