26
聖誕祭。
国の始まりを祝い、守護神の加護に感謝するお祭りは四日間続く。
初日はパレードによって華々しく始まり、続けて二日目三日目と、街中がお祭りの雰囲気に賑わう。
普段は目にしないような物珍しい露天の数々、街の各所の広場には旅芸人のテントが幕を開き、宿屋は満員御礼、酒場は朝から大盛況、通りに並ぶ店々も普段以上の人出と売り上げに湧き立つ。
三日目の夜には『星贈り』がある。
成人の未婚の男女が意中のお相手に、その相手の持つ守護の色の石を贈り合うのだそうだ。
思いが通ってお互いに石の交換が成立すると、ご結婚という運びになるそうで、この国では、この日にまとめて盛大に求婚が行われているということになる。
実際には『星贈り』以前に交際を経て、内々では婚約めいたものをしてからの石の贈り合いになるそうで、今では突然、石を贈られたりすることはあまりないそうだけど。『でも、見ず知らずの人から、突然石を贈られるなんてロマンチックよね』と、メイドさんはうっとりと話していた。
この辺りの知識は全て支度部屋で入手した。
支度部屋のメイドさん達は、なんと、みなさんお付き合いしているお相手がいるらしく、ここ数年以内に『星贈り』をするつもりらしい。
成人が十六歳のこの世界では、女性は二十歳前後で結婚する人が多いそうだ。
ちなみに、『星贈り』で贈り合った石は、その後加工して結婚の証となる指輪の飾り石になる。
こちらでは装飾品としての指輪は存在しないようで、結婚をして伴侶を得たものだけが、指輪という物をするのだそうだ。
『星贈り』は未婚の方の求婚だけでなく、伴侶への愛の表現としても行われる。
この場合は石ではなく、お相手の守護の色の花を贈り合うそうだ。
よって、聖誕祭の三日目の花屋の繁盛ぶりは、他のどの店も敵わないという。
四日間続く聖誕祭も、賑々しく行われるのはこの三日目の『星贈り』までで、『星贈り』が済んだ三日目の夜から四日目の終わりまでは打って変わってひっそりと一日を過ごす。
祭りの最終日は、家族と共に守護神に感謝を捧げ、静かに時を過ごす日なのだ。
露天は軒並み店仕舞いとなり、旅芸人たちは街を旅立ち、宿屋以外の店は全て休業となる。
各家々で、または宿屋の一室で、家族だけで静かに過ごす。
そして、闇の刻にその光をそっとしまう四つの星を家族で見送り、聖誕祭は終わる。
そんな訳で、聖誕祭の最終日は、お城と言えども勤務する者は最小限になる。
警備の部門はそう簡単に減らしたりは出来ないそうなので平時とあまり変わらないけれど、メイドさんたちの数は信じられないほど減る日なのだ。
この日の勤務は特別給金が付くとはいえ、みな敬遠する。
一年で一番大切な日とされる聖誕祭の終わりの日は、やはり家族で過ごしたいということなのだろう。
「明日は朝から支度部屋に入ってもらいます」
人手不足のその日に、日がな白騎士の部屋周りでちょろちょろしているだけの私を女官長が放置しておくはずもなく、パメラさんの手にはきちんと畳まれた少年給仕の衣装が乗っていた。
黒と白のその衣装を受け取ろうと手を伸ばすと、長椅子の白騎士が口を開く。
「これは俺の従者だ」
白騎士の不機嫌な声に怯むのは私だけで、パメラさんは眉一つ動かさない。
私は伸ばした手を所在無く下ろす。
白騎士の傍らに居るアルトさんは、少し困った顔をしている。
「アルトフロヴァルも、シュテファンジグベルト様もお部屋を離れるのに、ここに従者を置いておく必要はありません」
「これは、俺の従者だ」
白騎士の繰り返しに、パメラさんは無表情なまま淡々と口を動かす。
「従者でしたら、なおのこと経験を積ませるべきです。私が見る限りでは、あまり従者の名に足る仕事ぶりとは思えませんが。幾ら見習いと言えども、お茶の支度に朝の鍛練の付き添い以外のことも出来るようになっても良いでしょうに」
「……」
ぴしゃりと言われれば、私には耳が痛い。
そして当然な指摘に、白騎士はむっつりと黙り込んでしまう。
「……仕方ありませんね。ユズコには、いい経験になるかもしれませんしね」
黙りこんだ白騎士の代わりに、アルトさんが溜息混じりにそう言うと、パメラさんは頷き、私に明日着る衣装を渡すと部屋を出ていった。
忌々しそうにパメラさんの背中を見送った白騎士は、不機嫌なまま私をじろりと睨む。
「粗相をするなよ」
「粗相って……。しないように、がんばります」
「まぁ、そんなに難しいことはさせられないと思いますが、頑張ってくださいね。それに、これを引き受けることでパメラの心証を良くしておければ、後々悪いことにはならないでしょうしね」
普段は騎士塔やメイド寮に寝起きする人たちも、この日ばかりは、戻れる人はこぞって実家へと帰ってしまうそうだ。
確実に人けの減った城内を、黒いジャケットとズボンに、白いシャツの給仕の制服で私が向かう先は、いつもの支度部屋とは違う城の一階にある支度部屋。
そこは奥に厨房を備えた大きな支度部屋で、静まりかえる城内でこの部屋の中だけが、ざわざわと騒がしかった。
普段は細かく仕切られ分担されている仕事を、今日一日は限られた人数でこなさなければならないからか、支度部屋の雰囲気は忙しない。
部屋に入ると早速、仕事を言いつけられる。
まずは衛兵さんの休憩室へのお茶の配達。フフ茶とジイジイ茶が入った大振りな薬缶と籠一杯のスコーンを届けると、次は洗濯室へ洗濯物の入った袋を運ぶ。洗い上がった洗濯物を受け取り支度部屋に戻ると、次は厨房へと呼ばれて野菜の皮むき。それが片付くと箒を渡されて、中庭の枯葉掃除。拭き布を渡されて、渡り廊下のガラス磨き。
あちらこちらと言われるままに動いていると、あっという間に時間は経つ。
ふと見上げれば、空がオレンジ色に暮れている。
物思いにふける暇もないほど忙しく過ごしたのは久しぶりだった。
それが今日であることが、少しありがたかった。
当然だけれど、私にはこちらで今日のこの日を一緒に過ごすべき人たちはいない。
磨き上げた渡り廊下の窓ガラス越しに、城下街に燈る黄色い灯りを眺めれば、簡単にその灯りの下に集まる家族を想像してしまう。
今夜の街にはもう、お祭りの時の華やかな灯りは燈らない。
控えめな温かい色の灯りがポツリポツリと燈っていくのはとても綺麗だった。だけど同時に、その灯りが燈るほど私の身体の奥は冷えていった。
渡り廊下を後にして、支度部屋に戻る途中に白騎士の執務室を覗いてみる。
いつもなら煌々と明るい部屋も、今日は暗く無人だった。
そこに誰も居ないことは分かっていたのに、なぜか落胆している自分がいる。
白騎士もアルトさんも、聖誕祭の最後の日をきちんと過ごすべき人たちと一緒に居るのは知っているのに。
「それが終わったら戻っていいよ」
厨房で食器を洗っていた私に、コックコートを着た少年が声を掛けてくれた。
残りの食器を片付けて支度部屋に戻ると、顔見知りのメイドさんが慌ただしくティーワゴンの準備をしている。
夜更けになった支度部屋に、他に人はいなかった。
私に気付くと、メイドさんは少しホッとしたように笑った。
「あぁ、良かった。これ、ユズコにお願いしていいかしら?」
メイドさんが準備していたティーワゴンは二台あった。
一台はあのお姫様の元へ行くそうで、もう一台のお茶の支度を託された。
本日最後のお仕事はお茶の支度となり、私はティーワゴンを押して夜更けの廊下を進む。
どのみち今夜来なければならなかった魔法塔の扉を叩くと、いつもと変わらない軽薄な返事が返ってくる。
「あれ? 今夜は従者じゃなかったんだね」
ティーワゴンを押して部屋に入った私の衣装を見て、クヴェルミクスは微笑む。
「今日は朝から支度部屋に行ってたんですよ」
「ふぅん。それは、忙しかったでしょ。毎年この日は人手不足らしいからね」
「そうですね。おかげ様で、朝から今まであっと言う間でした」
「それじゃ、先に魔法を掛けようか? 終わったら、お疲れの君にお茶を振る舞うよ」
ティーワゴンを残して、クヴェルミクスと私は部屋を移る。
石造の部屋は、また少し散らかっていた。
片付けようとしたけれど、クヴェルミクスに『今夜はいいよ』と言われて、いつもの椅子に腰を下ろす。
ありがたいお申し出どおり、片付けは四日後に先延ばしにさせて貰おう。
椅子に座ると一日の疲れがじんわりと身体を伝う。
渡されたガラス皿の冷たさに居ずまいを正して、私はクヴェルミクスの指先を見つめた。
紅茶から上がる湯気に目を細めながら、私は白木の長椅子に座る。
斜め向かいには、同じカップを傾けるクヴェルミクスがいる。
今夜、魔法使いの左手に傷は無い。
もちろん治癒魔法を使って貰ったからで、傷を負わせたことに変わりは無いのだけれど、それでも目に見える物がないのはだいぶ心を軽くしてくれた。
そして今夜も何時も通りに魔法を掛けていただき、無事に瞳を緑にした後に、クヴェルミクスのお茶にご相伴をあずかっている。
クヴェルミクスはお茶にこだわりは無いようで、茶葉も選ばせてもらえた。
魔法塔の一番の魔法使いの元へ行くティーワゴンには、高級茶葉の缶がしっかりと乗せられていて、選んだのはバニラとシナモンが甘く香る紅茶。
砂糖を少し入れて飲んでみると、それはもう、至福の味わいで、今日一日がんばって働いた甲斐がある気がした。
「おいしいですね」
思わずウットリと呟いた私の一言に、クヴェルミクスはゆるりと微笑む。
「お茶が好きなんだねぇ。これからは毎回お茶を用意してあげようか?」
などと甘言を囁かれると、薄笑いの黒い魔法使いも善良そうに見えてきてしまう。
返事は保留して、私は紅茶を飲む。
ここでクヴェルミクスの申し出に乗って、それがまたアルトさんに知れたら……。
……知れたら、良くない事になる。
昨夜の出来事を思い返して、私はブルリと震えた。
「今夜はあの二人はいないんでしょ? ゆっくりしていったらいいよ」
「クヴェルミクス様は、お帰りにならなかったんですか?」
魔法使いたちもこぞって塔を後にして家に戻っていると聞いた。
確かに今夜の魔法塔の静けさは、いつもよりずっと深いものだった。
「僕の家、遠いからねぇ。こんな寒い時期にわざわざ帰るのも面倒だし、いちおうここでは偉い人だからさ、塔を空けられないしね」
「はぁ……。そうですか」
「シュテファンジグベルト殿とアルトフロヴァルは、やんごとなきお家の方々だからね。彼等は、きちんと慣習通り家族で星を見送るんだろうね」
「やんごとなき……」
白騎士は王子様だから、確かにやんごとなき家柄なのは間違いない。
その白騎士に普通に接しているアルトさんも、それなりな身分の人なのかなぁとは、何んとなく思っていたけど。
「アルトさんもやんごとなきなんですか?」
「あれ? 知らなかった? アルトフロヴァルはラズール家の嫡出だからね」
「ラズール家って、有名なんですか?」
首を傾げる私に、クヴェルミクスは笑って頷く。
「そうか、君には分からないか。ラズール家は宰相の家系だよ。王族に次ぐ権力を持つ家柄でね。で、アルトフロヴァルは今の宰相の三番目の息子だったかな?」
「知りませんでした」
あぁ、本当にアルトさんも、やんごとなき方の様だ。
宰相って、具体的にはよく分からないけれど、とにかく偉い人だと思う。
「そうなんだ。……まぁ、君にはそんなに重要なことじゃないんじゃないかな」
クヴェルミクスはそう言うと、紅茶のカップを置いた。
「そうだこの後、上で星を見ようか?」
「星ですか?」
「そろそろ、聖誕祭が終わるからね。空に溶ける守護星を見送るんだよ。僕はいつも一人で見てたんだけど、今年は君と見るのも悪くないね」
「はぁ……」
私は二杯目の紅茶をカップに注ぐ。
あまり乗り気でない私に構わず、クヴェルミクスは私のカップを取り上げてテーブルに置いてしまう。
「お茶の続きは後にしようよ」
そう言うと、私を立ち上がらせて手を引く。
ほかほかの二杯目の紅茶に後ろ髪を引かれつつ、一歩進んだところでバタンと勢いよく部屋の扉が開かれた。
驚いて見れば、白騎士が入ってくる。
お馴染みの眉間の皺は、今夜もなかなかの深さで、だいぶご立腹の様子だった。
白騎士はテーブルのティーカップを睨み、それからクヴェルミクスに引かれたままの私の手を睨んだ。
「何をしている?」
壮絶に不機嫌な声音に、私はクヴェルミクスから手を解くと、直立の姿勢になる。
クヴェルミクスは、そんな白騎士の様子に口の端を上げた。
「シュテファンジグベルト殿が、こんなところまでお出ましとはね。何か火急の用でも?」
ニヤニヤと笑うクヴェルミクスに、白騎士は一層と眉間の皺を深くする。
「お前に用は無い」
そう言い捨てると、白騎士は私に視線を移す。
「魔法は掛けたのか?」
問いに頷くと、白騎士はほとんど引きずるように私を部屋の外へと出す。
「なら、戻るぞ」
「え? あれ? あ……、お茶の片付けを」
「構わん、置いておけ」
「え? え?」
白騎士と私の様子を面白そうに眺めながら、クヴェルミクスはひらりひらりと手を振った。
「じゃあね、ユズコ。また四日後にね。お茶、用意しておくよ」
そのクヴェルミクスの台詞に、白騎士の額に青筋が浮かぶ。
白騎士は乱暴に扉を閉めると、かつかつと靴を鳴らして廊下を進む。
急いでその背中を追い掛けながら、恐る恐る尋ねてみる。
「あの、なにか、急ぎの用事ですか?」
それとも、今日の私の仕事に何か失敗があって、苦情でも入ったのだろうか。
思い返す限りでは、何もなかったように思えるけど。
早歩きで今日一日を振り返る私に、白騎士は前を向いたままイライラと言った。
「お前は見習とはいえ、俺の従者だ。余所で餌を貰う様なことをするな。用事がすんだら速やかに部屋に戻れ」
「……は、はい」
あんまりな言い草に唖然とするけど、大人しく返事をして白騎士の後に続く。
粗相するなとか、餌を貰うなとか、白騎士は私を犬っころかなんかだと思っている節があるな、たぶん。
最高に不機嫌な背中を追い掛けながらそう思えば、妙に納得できる。
冷たい風の吹き抜ける中庭に出ると、私は空を見上げた。
「あ、星が……」
そう言って立ち止まれば、白騎士も無言で立ち止まり、夜空を見上げた。
最初に赤い星が、ゆるゆると黒い夜空に溶けて見えなくなった。
続けて黄、緑、青と順にゆっくりと星は夜空に溶け消えて、黒色の夜空と小さく散らばる白い星だけが残された。
なんて、不思議な光景なんだろう。
「行くぞ」
食い入る様に守護星の消えた夜空を見上げていた私に、白騎士は素っ気なく言うと歩きだす。
そのまま白騎士は部屋に入ると、無言のまま執務室を抜けて奥の部屋へと行ってしまう。
しばらく閉じられた扉を見ていたけれど、私も執務室から自室へと戻る。
特に用事とか、説教があるわけではなかったことに首を傾げつつ、黒いジャケットを脱ぎ浴室へ向かおうとすると、見慣れないものがベッドの上に置かれていた。
ベッドの上に無造作に置かれていたのは、小さな紙袋だった。
部屋を出る時には無かったそれに、戸惑いながらも手を伸ばす。
「あ……、これ……」
紙袋から出てきたのは、薄紙に包まれた焼き菓子だった。
薄紙を開くと、あの時見た緑色のお菓子。
丸くふっくらとした焼き菓子の縁は、若草色の木の実で飾られている。お菓子の中央には黄緑色のクリーム。
白騎士に買ってきた、聖誕祭の限定菓子の一つだ。
白騎士がくれたに違いないけれど、なんだかすぐにはそう思えなかった。
あの、白騎士様が、お菓子をくれた。
緑の焼き菓子を手に乗せて、私は少し微笑んだ。
明日は槍でも振るかもしれない。あの白騎士がお菓子をくれたんだから。
翌朝、槍はもちろん降らなかったけど、朝から大粒の雪が降りしきって、王都は真っ白な雪景色となった。
 




