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「パレードは、見に行けることになったのかな?」


 椅子に深く腰掛け、私が掃除をするのを眺めつつ、手元の本を見るともなく捲っていたクヴェルミクスはふとそう尋ねた。

 聖誕祭とその始まりを飾るパレードを明日に控えた今夜、私はクヴェルミクスの部屋を訪れている。

 さすがに四日前に大掃除をしたばかりなので、部屋は汚れてはいなかった。けれど、掃除も入らない閉め切りの部屋は、たった数日でも空気が淀んでいる。


 窓を開け放って冷たい夜の空気を入れて、床を掃き清めた。

 テーブルの上には再び謎のガラス器具が散らばりだしているので、クヴェルミクスの了解を取りながらそれらを洗い片付ける。

 とくに注意を受けなかったけれど、この発光する液体が入った器具を素手で洗って大丈夫なのか、今更ながら少し心配になった。

 蛇口から出る冷たい水で、念入りに手を洗う。


「明日は街に出る許可がいただけたので、パレード見物に行きます」

「それはよかったね。……本当は、僕の隣に侍らせたかったけどねぇ」


 戻って来た私に残念そうに笑いながら、クヴェルミクスは手にしていた本を閉じると、すいと封筒を差し出した。


「この前、言っていた馴染みの店への紹介状だよ。これを持って行けば入れて貰えるから、特等席でパレード見物を楽しむといいよ」


 差し出された白い封筒を受け取るのを躊躇してしまう。

 きっと、クヴェルミクスの手筈でパレード見物したとなると、アルトさんはいい顔をしない。絶対に。

 たぶん白騎士も。

 そんな私の葛藤を察したのか、クヴェルミクスはにやりと笑う。


「なにも律儀に、彼等に報告することは無いんじゃないかな?」


 そう言うと、封筒を私のジャケットのポケットへと滑り込ませる。

 迷いを残しながらも、私は封筒をそのまま受け取った。

 やっぱり、どうせ見るのなら、特等席で見てみたい。せっかく白騎士からも、パレードの見物許可を貰えているのだから。


「……ありがたく頂戴します」


 私の返答にクヴェルミクスは満足げに微笑んで、魔法の準備を始める。

 ガラス皿にペン、そして小刀。

 お決まりの道具が用意され、冷えたガラス皿が手渡される。


「明日の為にも、今夜は早めに解放してあげないとねぇ。それともいっそ、僕の所から出掛ける? 僕のベッド、広いから一緒に――」

「結構です」

「残念だなぁ」


 軽口を叩きながら小刀の鞘を外したクヴェルミクスに、私は覚悟して視線を向ける。


「あ……」


 そこで初めてクヴェルミクスの左手に、何もないことに気が付いた。


「傷、治ったんですか?」


 傷を覆うべき包帯の類も無ければ、そこには傷すら無かった。

 つるりと滑らかな左手親指を凝視する私に、クヴェルミクスはひらりひらりと左手を振ってみせる。


「あぁ、これねぇ。君のハンカチが取れてしまったからね。治しちゃった」

「……治しちゃった?」

「うん。治しちゃった」

「……あの、治ったのではなくてですか?」

「うん」

「まぁ、実際見た方が分かりやすいかな」

「え? うぁっ!!」


 気安い口調で言ったクヴェルミクスは、小刀を指へと沈めた。

 心構えも無くそれを見てしまった私から、抑えきれなかった悲鳴が出てしまう。


「ふふふふ。相変わらず、慣れないみたいだね」


 私の悲鳴を嬉しそうに聞いて、クヴェルミクスは笑った。

 私の持つガラス皿に必要な分が満たされると、クヴェルミクスは血の滴る傷を私に向けた。


「はい。じゃあ、ここを見てて」

「え? え? えぇぇ!?」


 視線を逸らすことも出来ずに、唇を噛んで目の前の赤い傷を見た。

 すると傷の周りが光り出し、見る間に傷が消えていく。


「なんで? なんでですか? ……魔法ですか?」


 目を見開いた私の視線の先には、傷痕の欠片も残らない白い指。


「僕くらいの魔法使いになると、この程度の傷ならね――」

「どうして、教えてくれなかったんですか?」


 睨むように見上げると、クヴェルミクスは眉を下げて傷の消えた指を撫でた。


「どうしてって。折角、手当てしてくれたからねぇ」


 理解不能な言い訳を口にするクヴェルミクスに、私はへなへなと身体の力が抜けていく気がした。


「魔法で怪我が治せるなんて……」

「知らなかったんだねぇ」

「ソニアは、そういうことをしていなかったので」


 魔法で怪我が治せることなんて、全く以って知らなかった。

 私もソニアも怪我をすれば、普通に手当てをして傷の治癒を待っていたのだから。

 

 はぁ。とため息をついて、手にしていたガラス皿に視線を落とす。

 確かにそこには赤い血があるのに、クヴェルミクスの指から傷は消えている。


「治癒の魔法はね、だいぶ高度な魔法だからね。誰でも使える訳ではないんだよねぇ。ほらソニアヴィニベルナーラ自身も言っていただろう? 彼女は魔法を生業にするには、魔力が少ないとね」


 私の手からガラス皿を取ると、クヴェルミクスは微笑んだ。 


「まぁ、そういう訳だから。君はこの行為を、気に病む必要は無いんじゃないかな?」

「……。魔法で、痛みを無くすとかも出来るんですか?」


 私の問いに、クヴェルミクスは首を横に振る。

 そして心外そうに言ってのける。


「それはできないし。そんなふうにしたら、つまらないじゃないか」


 つまらないって、何がどうしてそうなるんだろう。

 たとえ傷が治せても、痛みを消せないのなら根本は変わらないと思う。

 眉を寄せた私に、ふと思い出したようにクヴェルミクスが言う。


「そうだ。君は怪我をしないように気を付けた方がいいよ」

「え?」


 ごく軽い口調のままクヴェルミクスは、その綺麗な二色の瞳で私を覗きこむ。


「やっぱり君はこの世界の生き物じゃないんだね」

「え、と、それはどういった意味で?」

「うん。君の血をね、ちょっと調べてみたんだけどね。混ざらないんだよねぇ。何とも」

「混ざらない?」

「この世界の人には、八つの血種があるんだ。血種ってわかるかな? それが同じだと血を分けあうことが出来てね、酷く血を失うような事になった時には治癒魔法だけでは治せないからね。同じ血種の者から、血を分けて貰う治療のやり方があるんだ。君の世界にもあるのかな、こういうやり方は」


 たぶんクヴェルミクスの言う血種というのは、血液型の様なものだろうか。

 血を分けて貰うというのは、輸血の様な事なのかもしれない。

 頷く私に、クヴェルミクスは興味深そうにする。


「ふぅん。今度詳しく聞きたいな。あぁ、それでね、血種が同じかどうかを知る方法なんだけど、血と血を混ぜるんだ。それが混ざりあえば、血種が同じなんだ。混ざらずに固まってしまうと、血種が違うということが分かるんだけど……。君の血は、八つの血種のどれとも混ざらなかったんだ」


 何も答えられずにいる私に構わずに、クヴェルミクスは話し続けた。


「ためしに僕の持ってる獣の血とも混ぜてみたんだけど、やっぱりどれとも混ざらなくてね」

「そう、なんですか……」


 急に喉が乾く。返事をする声が掠れていた。

 目の前の美貌の魔法使いは、残酷な微笑みを私に向けた。


「うん。だから怪我に気を付けて。魔法で治せる程度の怪我ならいいんだけど、それ以上になるとね。危ないからね」


 頷く私の身体の震えはとても小さくて、きっとクヴェルミクスには気付かれていないと思う。


「さてと、魔法を掛けようか。今夜は早く帰してあげないとね」


 ペンを手にしたクヴェルミクスが私の背後へ回る。


「君の世界のこといろいろと聞きたいなぁ。君は、自分からはあまり話さないよね」

「聞いてくだされば、私に分かる事ならお話ししますけど……」


 私は努めて平静な声で返事をする。

 少しの間の後に、ペンがうなじに触れて、クヴェルミクスは楽しそうに言った。


「そう? それなら今度、色々と訊くことにしようかな」


 ペンがうなじを走り始める。

 ぴりりとした痛みは、今夜はどこか遠くに感じられる。

 膝の上で手をぎゅっと握りしめて、私はクヴェルミクスの話を反芻していた。


 『この世界の生き物ではない』私は、何故ここにいるのだろう。





 スカーフを巻き直して、シャツのボタンを掛け、ジャケットを着る。

 この一連の身支度を、クヴェルミクスは毎回毎回じっとりと見つめる。

 別に、一から着替えを見られている訳ではないのだけれど、あまりにも露骨に視線を這わせて来るのには慣れない。


「スカーフ、可愛い色だね」


 私の首筋をじっと見て、クヴェルミクスが言う。


「え? あぁ、これですか」


 今夜私の首を包んでいるのは、いつもの白いスカーフではない。

 黄緑色の柔らかなスカーフは新品だ。

 ついでに言えば、シャツもジャケットもベストもズボンも、全て下ろしたてだった。


「これも、なかなか似合っているよ」


 クヴェルミクスは手を伸ばし、シャツの襟元から垂らされていた緑色のリボンタイを触る。

 白くて長い指が、器用にそれを結ぶ。


「アルトさんが、城内で働くのに相応しい物をとのことで、揃えていただきました」


 上品な焦げ茶色の三つ揃いは、今まで着ていた物より上質なのが分かる。

 とにかく今まで着ていたものとは一味も二味も、手触りもデザインも違って、かなり高そうな衣装だ。


 今夜着ているこれだけでなく、私の衣装箪笥には真新しい衣装がずらりと掛けられているのだ。

 ある朝起きて箪笥を開けると、今まで着ていた衣装は見当たらなかった。

 驚き脅えながらも新しい衣装に着替えた私を、アルトさんは満面の笑みで迎えてくれた。

 以前の衣装で十分ですと訴えれば、『あれは間に合わせです』と微笑んで取り合ってくれなかった。


「アルトフロヴァルは、ずいぶんと君にご執心の様だねぇ」


 クヴェルミクスはそう言うと、微笑んだ。

 笑ってはいるものの、どこか不機嫌そうに見えるその微笑みに、私は首を傾げる。

 白騎士隊隊長で第四王子の従者ともなれば、見習と言えどもそれなりの恰好が求められるものらしい。

 衣装に着られてしまっている私は、クヴェルミクスには滑稽に見えるのだろうか。


「それじゃ、また四日後にね。パレード楽しんでおいで」


 垣間見せた不機嫌さを消すと、クヴェルミクスは何時もどおりの邪悪な微笑みで私を見送った。



 いつもより早くに魔法塔を出たけれど、時刻はすでに闇の刻を回っている。

 見上げた夜空の真ん中に、一際大きくて明るい星が四つ出ていた。


 夜空に揃う四色の星。

 守護神の星と言われているその四つの星が、王都の真上に揃うのは聖誕祭の期間だけだそうだ。

 

 赤、青、黄、緑と、四角く並ぶ四色の星を見つめると、ここが自分の世界ではないことをありありと痛感してくる。


 ぞくりと寒くなったのは、冬の夜風のせいだけではない。

 けど、私は冷えた髪をぶるぶると振ると、寒さから逃れるためにその場を離れた。


 部屋に戻ってお風呂に入ろう。

 冷えた身体が温まれば、この身体の震えもきちんと治まるのだから。



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