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20.5


「どうされたんですの? これ……」


 しゅるりと呆気ない音を立てて、クヴェルミクスの指から白い布は取り去られた。

 何の飾りも無い、白く四角い布は一枚のハンカチだった。

 赤黒い染みのついたハンカチを手に、それを取った女は眉を顰めた。

 その視線の先には、白い指先に深々と付いた赤い傷。


「まぁ! どうしてこのような傷をそのままになさっているのですか!?」


 驚きを強く滲ませた女の高い声に、クヴェルミクスは面倒そうに首を傾げた。

 銀色の髪が流れて、髪飾りが音を立てる。

 彼は膝の上に女を乗せていた。

 黒いメイド服のボタンを、幾つも開けて披露した豊かな胸。

 ワンピースの長い裾はたくし上げられて、肉付きの良い太ももに引き締まったふくらはぎが露わになっている。

 結い上げられた髪は、やや乱れていた。

 女は魔法塔に勤務するメイドの一人だ。


 目前のクヴェルミクスの顔を見て、メイドの顔は強張った。


「ソレを取っていいと、僕は言ってないよね」


 先程まで軽薄だった声音は、恐ろしいほど凍ったものになり、好色な視線は消え去り、冷えた瞳が細められる。

 胸を弄んでいた手は、つまらなそうにその動きを止めて離れていく。

 ミントグリーンの壁に響いていた卑猥な音も止み、白木の長椅子も軋むのを止めた。

 クヴェルミクスに跨ったまま、メイドは固まる。


 彼女に分かることは、この美しい魔法使いの不興を買ってしまったということだけだった。


 メイドの手からハンカチを取り上げると、戸惑うメイドを邪魔そうに自分から退ける。

 力が入らないままのメイドは、床へと座りこんだ。

 乱れたメイド服のまま見上げた魔法使いの顔は、恐ろしいほど美しかった。

 常に浮かべている薄笑いは消え去り、無表情でメイドをただ見ている。


 メイドは震える声で謝罪を口にした。


「も、申し訳ございません」

「もう、下がっていいよ」


 何の感情も込めずに言うクヴェルミクスに、メイドは震えた。

 ほんの少し前まで、まるで恋人同士の様に睦み合っていたのが嘘のようだった。


「クヴェルミクス様……。あの……」


 縋ろうと、身じろぎしたメイドから香りが立ちあがる。

 甘く強い、花の香りの香水。

 仕事中には許されない強さで香るそれは、勤務後の情事のためにつけたもの。

 先程まで艶やかに部屋を彩ったそれも、今はひどく場違いになっている。


「僕は君に、もう用は無いんだけど」


 クヴェルミクスの冷淡な声に、メイドは引き際を知った。


「も、申し訳ございません……」


 消え入るような声で言うと、メイドは立ち上がった。

 床に散らばる自分の衣類を拾い集めると、胸元を直し、スカートを整え、逃げるようにメイドは部屋を出ていった。

 もう一度も、クヴェルミクスの方を見ることは無かった。



 一人長椅子に座るクヴェルミクスは、熱の無い瞳で扉を見た。

 それから、手にしたハンカチに視線を落とす。

 二色の瞳が細められた。


「自分で巻くのでは、つまらないな」


 クヴェルミクスは、自分の傷に脅えながらもたどたどしくハンカチを巻いたユズコを思い返す。

 血が苦手なのだろう。

 泣きそうな顔で自分に触れるその様を思い返すと、無表情だった唇の端が上がっていく。


 クヴェルミクスにとっては、この程度の傷は何でも無いものだった。


 左親指に深々と付いた傷を見つめて、彼は魔法を使う。

 赤い傷の周りが白く明滅して、傷は癒えていき、白く滑らかな皮膚が戻る。後には何も残らない。


 魔力の高い者が、治癒の魔法を使えることをユズコは知らなかった。


 クヴェルミクスはすぐに傷を治すつもりだったのだが、ユズコが震える手で巻いたハンカチが好ましかった。

 自分の所為でクヴェルミクスに傷を負わせることに、悲鳴を零すその様が可愛らしく見えた。

 何度でも見たいと思った。

 だから彼は治癒魔法を使わず、傷をそのままにしていた。

 四日ごとに、ユズコがこの傷を見て震えるのが楽しみだったのだ。


「まったく、余計なことを……」


 クヴェルミクスにしては珍しく、苛立った独り言を零した。

 そして、手にしたハンカチを丁寧に畳むと、懐へ仕舞った。


 ――それでも。きっとあの子は、傷が治せると知っても震えるだろうな。

 自分もその後に十分痛いことをされるのに、僕が傷つくのを後ろめたく思うのだろうな。


 ゆるりとクヴェルミクスは微笑んだ。


 ――早く約束の日にならないだろうか。

 出来る事なら毎日、顔を赤くしたり青くしたりと忙しい小鳥で遊びたいものだ。

 水気の多いあの漆黒の羽を、常に撫でさすりたい。

 怯えがちな緑の瞳を、黒に戻して愛でていたい。


 彼がこんなにも何かに惹かれるのは、久しぶりだった。

 いや、初めてなのかもしれない。


 自分の鳥籠にユズコを入れてみたくて堪らなくて、クヴェルミクスは笑った。

 それはとても美しく、黒い笑みだった。



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