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「うん。だいぶ、すっきりしたんじゃないかな」


 他人事の様な感想に、私は声の主をじろりと睨んだ。


 鼻と口を覆う様にして付けていた布を取り去ると、動きっぱなしで火照った頬に、外気の冷たさが心地いい。

 開けっ放しの窓の外は、白々と明けてきていた。


「誰が、ここまで汚したと思っているんですか? だいぶどころか、すごくすっきり! すごく、きれい! になりました」


 ため息混じりに言う私をよそに、クヴェルミクスは部屋をウロウロと歩きまわった。


 前回の話通り、クヴェルミクスの部屋には掃除道具が用意されていた。

夜明けまで休みなく部屋中を、払って、拭って、掃いて、磨いて。そして、捨てて。

 ようやく、躊躇なく呼吸の出来る部屋になった。

 壁や床の謎の染みは完璧には落ちなかったけれど、埃を払い何度も拭いた壁は白っぽさを取り戻したし、場所ごとに靴裏の感触が変わる床は、ブラシがすり減るほど磨いたお陰で、どこもかしこもさらりとした床本来の感触に戻った。


 使用前の掃除用具はほぼ新品の物だったのに、終わってみればどれもこれもたった一晩で百年くらい使い倒された様な有様になっていた。


「うんうん。悪くないね」


 片付いた部屋に満足いただけたのか、クヴェルミクスは機嫌良さげに綺麗になった椅子に座る。

 不気味なガラス器具で溢れていたテーブルの上には、本と巻物が積まれていた。

 テーブル一杯に積み上げられたそれらは、すべて城にある図書館から借りっぱなしだったものだった。


 部屋の隅の水道で手を洗う。

 脇には、テーブルに散乱してくすんでいたガラスの器具達が、洗われふせられている。

 すっかり透明な輝きを取り戻したその中の、ガラス皿を見て少し憂鬱な気分になってしまう。

 仕方がないと言ってしまえば、それまでだし。私に必要なことなのだから、受け止めなければならないことだけど。

 淀んだ気持ちを流す様に、冷たい水でざぶざぶと手を洗う。


 私が戻ると、クヴェルミクスは椅子から立ち上がり、空いた椅子へ私を促した。


「じゃあ、魔法を掛けようか」

「あの……、今日は何か、分かったことは無いんでしょうか?」


 椅子に座る前に、戸惑いながらも私はクヴェルミクスに尋ねる。

 前の巻物の様に、何か少しでも帰る手立てに繋がるものが欲しかった。


「んー。残念だけど無いなぁ。ほら、この前のはね、前から知ってた事だったからさ。あれから、考古魔法の辺りで調べてみているけれど、特にこれといったものは見つからないんだよね」

「そう、ですか」


 クヴェルミクスの返答に、私は大人しく椅子に座る。

 黙って座る私をしばらく見てから、クヴェルミクスは用意していたガラス皿とペンを手に取った。

 どちらも私がしっかり洗いあげたものだから、今回は安心して使える道具だ。


「聖誕祭は知っている?」


 不意に、クヴェルミクスが微笑みながら切り出した。

 もしかして、私が落ち込んでしまっていることに、気を使っているのかもしれない。

 頷く私に、クヴェルミクスも頷く。


「パレードがあるのも知っているかな。そう。騎士団のパレードに、魔法使いのパレードだよ。騎士たちは馬に騎乗して、魔法使いたちは、きらびやかな山車に乗ってパレードするんだ。で、僕も、もちろんパレードに出るんだけどね……」


 そこまで言うと、クヴェルミクスは私の手を取った。


「僕の隣に、君を乗せてあげてもいいよ。パレードに出してあげようか?」


 にっこりと微笑んだクヴェルミクスから、私は慌てて手を取り去る。


「結構です!! そんな目立ちそうなこと、絶対に嫌です」


 パレードは確かに見てみたいけど、見られる立場になるのは絶対にご免だ。

 こんな目立つ人の横に立つなんて、悪目立ちするに決まっている。


「どうして? 街の様子も良く見えるし。女の子たちからキャアキャア言って貰えるよ?」


 首を傾げるクヴェルミクスに、私は大きなため息をつかせてもらう。


「それとも、騎士団のほうに出るの?」


 私は首を振る。

 たとえそんな話があの二人の騎士から出たとしても、全力で遠慮させていただく。


「出ませんよ。当日のお支度は、少し手伝いますけど」

「それなら、僕と一緒にさ――」

「結構です!」


 遮る様に断って、ようやくクヴェルミクスはパレードに誘うのを止めてくれた。


「じゃあ、当日はどこかで見物するの? 街は人出がすごいからね。君一人で行っても、埋もれるだけだと思うよ」

「そうなんですか。街にはまだ一度しか行ったことが無いので、あまりよく分からないんですよね。あんまり混雑するようなら、お城で大人しくしてます」


 せっかくのお祭りで残念だけど、忙しい中でもし迷子にでもなったら、二人の騎士に迷惑過ぎるだろうし。

 そもそも、探してもらえないかもしれない。


「ふーん。それなら、僕がいい場所を教えてあげようかなぁ」

「……ほんとうですか?」

「うん。とっておきの場所があるんだよ」


 やや疑う気持ちを持ちながらもクヴェルミクスを見上げると、得意そうな顔が帰ってくる。


「僕の行きつけの店があるからさ。そこの上からなら人混みに潰されないで、パレードがよく見えるよ。もし街に出るのなら、そこを紹介してあげるよ」

「魔法使いも、街に行きつけとかあるんですね」

「別にここから外出禁止って、わけではないからね。街から通いで来る魔法使いもいるし、僕も街へはよく行くよ。お城ばかりだと飽きちゃうからねぇ」

「飽きちゃう?」

「そう。時々は街のお嬢さんとも親睦を深めたいんだよね」


 クヴェルミクスはしれっと言う。


「はぁ。そうなんですか」


 私の気の無い返事にも関わらず、クヴェルミクスは頼んでもいないのにぺらぺらと続ける。


「そう。お城の娘たちもステキなんだけどねぇ。あんまり続けてだと、飽きちゃうからね。あと、ここは似た感じの娘が多いけど、街に行くといろいろ新しい発見があるからねぇ」


 何の話をしているのかは追及しないことを決めて、私は適当に相槌を返した。


「でも、今は君が、一番のオキニイリだよ」


 突然の恐ろしい囁きに、私のつま先から頭のてっぺんまでを鳥肌が駆け抜ける。


「な、な、何を言っているんですか!!」


 視線を上げると、いつの間にかすぐ目前に、黒い微笑みを湛えた魔法使いの顔があった。

 私がビクつく様子をしばし楽しむと、クヴェルミクスは手にしていたガラス皿を私に渡すと、懐から小刀を取り出す。


 私はいよいよ、部屋を訪れた時から見ないようにしていたそこへ目をやった。

 見覚えのある白い布が、不格好に巻かれていた。


「あの!」


 立ちあがって、クヴェルミクスの左手を指差す。


「それ、手当てしてないんですか?」

「あぁ、これ? 手当ならしてくれたでしょ、君が」

「こんな布切れを巻いただけのままで、四日も放っておいたんですか? きちんと手当てをして下さいと言ったのに……」


 四日前に乱暴に巻きつけた私のハンカチが、その時のままクヴェルミクスの左親指を覆っている。


「でも、お風呂に入った時に洗ってたから、そんなに汚れてないよ 大丈夫」

「大丈夫じゃないですよ!」


 傍目にも深そうに見えたあの切り傷を、放置したままでいるなんて考えられない。


 引き気味にハンカチに覆われた指を見る私に、クヴェルミクスはおっとりした声で喋る。


「それに、ほら、どうせ今日もまた切るから」

「そう、ですけど。でも……」


 言い淀んでしまう私に、クヴェルミクスはにこりと笑い、指からハンカチを外した。


「大丈夫だよ」


 解かれたハンカチの下からは、少しも癒えていない切り傷が現れた。

 一目見て、私は傷から視線を逸らす。

 身体が冷たく強張る感じがしてくる。


 小刀の鞘が外される音に、私は無理に視線をそちらへ向ける。


「あの!……他の方法は無いのでしょうか?」


 制止する様に声を張った。

 クヴェルミクスの指に当てられたまま止まった刃が、冷たく光る。


「今のところ、これが一番有効なんだよね」


 事も無げにそう言って微笑むと、クヴェルミクスは小刀に力を加えた。


 目を逸らさないようにしたけど、私の悲鳴が小さく漏れたのは聞こえていただろう。

 ガラス皿を持つ手が震えた。

 そこへ、大粒の赤が降ってくる。

 まだどこも痛くないのに、私の目に涙がじわりと浮かんでしまうのは不可抗力だ。

 

 痛がる素振りを少しも見せないクヴェルミクスは、冷静にガラス皿にそれが満たされるのを待っていた。


 必要な分が用意できて、ガラス皿にかざされていた手が動く。

 私はテーブルにガラス皿を置くと、ポケットからハンカチを取り出した。

 クヴェルミクスはにこりと微笑んで、傷ついた指を差し出す。

 ハンカチ越しに強く抑え、強い口調で私は言った。


「絶対に、きちんとした手当をしてください」


 血に怖気づいて震える指で、どうにかハンカチを巻き付け結ぶ。


 こんなことをしてもらってまで……。


 嫌な考えをしそうになる自分を誤魔化す様に、私は慌ただしくシャツのボタンを外す。

 思い悩み始めるのを阻止する為に、スカーフを外して椅子に座った。


 クヴェルミクスの痛みに比べたら、この後の自分に与えられる痛みは大したことない。


「おねがいします」


 強張った声でそう言うと、私は俯いた。

 露わになったうなじに、クヴェルミクスの持つペンが降りてくる。

 とろりとした赤い感触を感じた瞬間、さくりとした痛みが突き刺さった。





「それにしても、きれいになったね。これなら、ここでお茶も飲めるねぇ」


 身支度を整えて立ち上がった私に、どこか呑気な声でクヴェルミクスが言った。


 テーブルの端には使い終わったペンと、赤く汚れたガラス皿。

 少し躊躇ってから、私はその二つを手に取って、水道へと運んだ。

 蛇口をひねり、冷たい水で二つをすすぎ洗う。

 薄く解けて流れて消えていく赤い線を見送って、少し身体の力が抜けた。


 片付けを済ませて戻ると、クヴェルミクスは左手親指にぎゅうと巻かれたハンカチを撫でていた。


「ねぇ、クラリッサフローレット様にお茶を出したんでしょ? 僕にも、お茶を淹れて欲しいなぁ」


 おどけた様に言うクヴェルミクスに、私は首を傾げる。


「よくご存知ですね」

「うん。聞いたんだ」


 誰に。と聞かなくても、おそらく懇意にしているメイドさんの誰から聞いたのだろう。

 魔法塔と白騎士の部屋は、もちろん違うメイドさん達が担当している。

 けれど、こういった話は速やかにメイドさんたちの間に伝わるようだ。


「なかなか気の強いお姫様だったでしょ? 苛められなった? 彼女も、もうすぐ成人の儀だからね。そうしたら、今みたいに城をウロつくことも、出来なくなるんだろうけどねぇ」

「成人の儀ですか?」

「年が明けたら、十六になるからね」

「こちらでは、十六歳が成人なんですね」


 ずいぶんと早い成人年齢に、お姫様の姿を思い返す。

 あのお姫様は、十五歳だったのか。

 年下だとは思ったけど、ずいぶん大人びた十五歳だなぁ。

 こちらの人は、大人顔に大人っぽい身体つきになるのがずいぶん早く感じる。


「君のところでは違う?」

「はい。私の国では二十歳で成人です。――そういえば、クヴェルミクス様はお幾つなんですか?」


 何の気なしに尋ねてみる。

 名前で呼びかけると、クヴェルミクスはくすぐったそうな表情で、にやりと笑った。

 たぶん、私の名前の呼び方が少しぎこちないから可笑しいのだろう。

 長い名前なんだもの、まだ上手に呼べなくても仕方無いと思う。

 そういえば白騎士も、名前で呼びかけるたびに微妙な顔をしてくる。


「僕? あの二人と同い年なんだよ。年が明けたら、二十六歳になる」


 思ったよりも、若い。

 私の感覚では、もう少し年上の様に思っていたけど、なんだ私より少し上なだけなんだ。

 ここ最近、ずっと子供扱いされていたこともあって、自分の年齢を忘れかけていた。

 それにしても、たった三つ四つ違いの人たちから子供扱いされるのって……。


「君は?」

「はい?」

「君は、幾つなの?」


 無邪気そうに尋ねられて、私は固まる。

 しまった……。

 歳を尋ねたら、それを尋ね返されるなんて予想の範囲内のはずなのに、考え無しに聞いてしまった。 


「い、幾つに見えますか?」


 苦し紛れの返答は、質問に質問で返すというもの。

 自分で言っておいてなんだけど、幾つに見えますか?って、なんだそれ。

 薄笑いで視線を泳がせる私を、クヴェルミクスはじっと見つめた。

 そして、しばらく考えて、口を開く。


「十四歳!」


 高らかに宣言する様に言われて、私の膝は折れそうになった。

 そんなわけあるかっ! と、叫びたいのをぐっとこらえて不器用に微笑む。


「――はい。そうです! 正解です! 十四歳です!!」


 自棄になってる、私。

 わー。当たったぁ。などと、無邪気に喜ぶクヴェルミクスを見て寂しい気持ちが押し寄せる。

 二十二歳の女子がさ、十四歳の男子に見えるのはさ、ここが異世界だから……。

 ここが異世界だから。

 異世界だから……。


「そうか。十四歳か……」

「え? なにか?」


 はたと、クヴェルミクスの表情が曇る。


「君と親睦を深めてみたくてね。僕も初めてのことだから、いろいろ勉強してみたんだけど。さすがの僕も、年端もいかない男の子に無理強いはできないか……」


 ローブの内側から桃色の本を取り出すと、クヴェルミクスは残念そうにその表紙を撫でた。

 背表紙に書かれた本のタイトルは、凝り過ぎた装飾文字で、私には判読が出来ない。


「これあげるよ。君も、勉強しておいたらいいよ」


 神妙な顔で差し出された本を大人しく受け取ると、クヴェルミクスは笑った。


「もう少しだけ、大人になったらね」


 意味不明な台詞を添えたクヴェルミクスの笑顔は、それはそれは邪悪で。

 私はブルブルと震えてから、魔法塔を後にした。



 明の刻の鐘を聞きながら、部屋へと戻る。

 きっと白騎士は、早朝鍛練に出かけた頃だろう。


 シンと静かな白騎士の部屋を抜けて、自室に入る。


 お風呂に入って、洗濯して、眠ろう。

 アクビを一つして、持っていた本をベッド脇の小机に置く。

 可愛らしいピンク色の本。表紙のタイトルも、背表紙と同じように飾り立てられたホルテ語で読めない。

 何の本だろう? 魔法関係の本かな?

 立ったまま、何の気なしに本を開いてページを捲る。そして、勢いよく閉じた。


 !!


 華やかでいて、生々しい挿絵がふんだんにページに現れるお陰で、この本が何の本かすぐに察しがついた。

 あの魔法使いは、腐っている。


 ページ一杯に描かれた、絡み合う男性と……男性。


 どこの世界に、年端もいかない少年に、桃色の手引書を渡して勉強させる大人がいるだろうか?

 しかも正統派の桃色手引きじゃなくて、禁断の、どちらかというと紫色な手引書。

 こんなの、私が本当に十四歳の男子だったら、トラウマになるんじゃ!?


 あの変態魔法使いが、『私と親睦を深める』とか、『僕も初めて』とか、『勉強した』とか、と言っていたことと、『君も勉強しておいて。――もう少し大人になったらね』と、言われてコレを渡されたことを思い出してゾッとする。

 私はこの先も、十四歳で少年であることを、死守しようと固く誓う。


 ぶるぶると首を振り、悪寒を振り払って、手の中の本を呆然と見つめる。


 ……。

 それよりも、コレをこの部屋に置いておいて、もし誰かに見つかったらどうしよう。


 私はぐるりと部屋を見渡す。

 広くない部屋にあるのは、ベッドに小机に椅子。そして衣装箪笥。


 チラリとベッドの下を見てから、私はソレを衣装箪笥の一番下の引出しの奥に押し込んだ。

 やや乱暴に引出しを閉めると、足音も荒く浴室へと向かった。



 お風呂入って寝よう。



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