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失礼な白騎士様のおかげで、私は半分凍りかけのぐしょ濡れで家へとたどり着いた。
軒先に駆け込むと、自分からぼたぼたと落ちるみぞれで足元に水溜まりができる。ぶるぶると震える手でどうにか鍵を取り出して家に入ると、火の気のない室内はそれでも外よりは数段暖かくて、私はやっと安堵の息を吐きだした。
部屋の中央に置かれたストーブが柔らかな赤色を灯して、室温はぬくぬくと順調に暖まる。
私は待望の乾いた服と靴下を身に付けて、ストーブの真正面に移したお気に入りの一人掛けに深く座った。両手で包むように持ったマグカップには紅茶でも緑茶でもない、フフ茶がなみなみと入っている。
紅茶葉はなかなかの貴重品だから、気持ちに余裕があるときに楽しまなくては勿体無いと判断して、作りおきのフフ茶を温め直したのだ。それを一口二口と飲んで、ようやく人心地つけた。
入り口脇のたらいに入れた、濡れたコートやらの始末は後回しにした。あれは、あとでお風呂で洗えばいい。
普段なら浴室で洗濯などソニアは許してくれないけど彼女は留守だし、今日はもう洗濯室で水を使う気になれない。
フフ茶をもう一口飲んで耳を澄ませば、シンとした静寂が訪れて、森に雪が降りしきるのが分かる。
みぞれは大粒の雪に変わり三日三晩降り続く。それがここの冬の決まりなのだ。
そして冬の夜は長い。
今夜は何をして過ごそうかな。そろそろお風呂のお湯が出来上がる頃だから、まずはジンワリと長風呂を楽しもう。お風呂に入っている間にストーブにスープの鍋を載せておいて、その後すぐに夕食にしよう。それから食後には紅茶とチョコレートで……、と楽しげに巡らせた思考が突然に終了させられる。
ドン!ドン!ドン!!
これ以上ない程に粗っぽく、入口の木戸が叩かれた。
物音に驚いた私の手中のマグカップから、お茶が零れて床を濡らす。紅茶じゃなくて良かったなぁ。などと思いながら、そろりと立ち上がる。入口を一瞥してそのまま、のろのろと床を拭いてみる。
もしかしたら空耳だったかもしれない。気のせいかもしれない。気のせいであれ!!と半ば念じながら、床を拭く私の背中にノック音が降り注ぐ。
ドン!ドン!ドン!ドン!ドドドドドドドド……
それを無視することを諦めた私は入り口に向かった。
窓には鎧戸が下ろされているし入口の木戸は厚いから、居留守を決め込むことも出来なくはないが、それは許さないとばかりに降り注ぐノック音(すでにノックの体を為していないが)は、ここに人がいることを確信している。
それに人として、この雪の中の来訪者を無下に出来るほどの豪胆さはない。
嫌な予感はするけど、仕方がない。
警戒しつつ、上着のフードをしっかりと被ると、入口へ向かう。
木戸の覗き小窓を開けたことを私はすぐに後悔することになる。
「歩きまわらないで下さいっ!!」
非難の声の先には溶けた雪を床に撒き落として歩きまわる男が一人。おかげ様で床が水びたしだ。
うろうろと無遠慮な室内見分を終えた白騎士が、当然のようにストーブの前の一人掛けへと腰を下ろそうとしたのを見て、私は再び非難の声を上げる。
「濡れたまま座らないでくださいっ!!」
お気に入りの私の椅子。赤い布張りのそれは、ソニアが私のために用意してくれたものだ。
濡れてなくとも座ってほしくない。
下ろしかけた腰を戻して、騎士はこちらを見下ろした。
「さっきからウルサイやつだな。来客をもてなす心得は無いのか?白騎士の来訪など、この僻地では此の上ない誉だろうに。しかも俺はー」
「とりあえずそれは脱いでください。タオルを用意しますから」
白騎士のお喋りを遮って入り口脇の外套掛けを指し示して、私は浴室へ向かった。
もてなすどころか、一刻も早いお引き取りを願っています。
突然の遭難者もとい来訪者は、あの森の小道で相見えた白騎士様。
そおっと細く開けた覗き小窓の向こうには、純白の雪にまみれて仁王立ちする騎士がいた。ご立腹の様子で。
たしか、ソニアを訪ねてノト村に向かったのでは?なぜここに?
小窓越しに押し黙る私に痺れを切らしたのか、騎士はドン!と木戸を叩いた。
「すぐさまここを開けろ。客人だぞ中に招き入れろ」
招かざるなんとやらだ。間違いない。
できればこのまま小窓を閉めて、何事もなかったようにストーブの前へもどってしまいたいけど、それはそれで後々もっと面倒なことになりそうだ。
渋々と私は木戸の鍵を開けたのだった。
嫌な予感ほど当たるものなのは、なぜなのだろう。
戸棚からバスタオルを取り出して、ため息を吐く。
なんでこんなことに。
「湯は用意できているようだな」
驚いて振り返えれば、白騎士がまたも当然のように立っている。ロングジャケットは進言どうり、お脱ぎいただけたようだ。
「出たら食事をとる。用意しておけ」
私からタオルを取り上げると、何のためらいもなく白騎士は浴室へと入って行ったのだった。