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「ガラス玉を拾ったら、違う世界に来ていたと……」

「はい……」


 私の話を聞き終わると、クヴェルミクスは頬杖を着いて考え込んだ。

 一分、五分、十分と、たっぷり考え込んでから、クヴェルミクスはおもむろに立ち上がると部屋の隅に向かった。

 木箱に突き刺さった巻物を無造作に引き抜き、紐をほどいて中を確認して床に落とす。

 その動作を幾度か繰り返して、クヴェルミクスは目当ての物を探し当てたようだ。

 

「これこれ。ほら、これをみてごらんよ」


 埃まみれの巻物を広げながら、クヴェルミクスが戻ってくる。

 黄色く変色した紙には、私には読めない文字がびっしりと並び、その文字の途切れた所に挿絵よろしく絵が描き込まれていた。

 その絵は、円を描いていた。円の中には、模様が書き込まれている。

 黒いインクで描かれたその絵は、立体感もなくのっぺりとしたものだったけど、私にはそれは球体に見えた。

 そして、見覚えがあった。


「どう? 君が拾ったガラス玉って、こんな感じだった?」


 巻物に釘付けになった私が深く頷くと、クヴェルミクスは満足そうに微笑んだ。

 私の鼓動が早くなってくる。握った掌に汗を感じる。

 まさか、こんなにも早く、何かが見つかるとは思っていなかった。

 期待に満ちた目で、クヴェルミクスを見返す。

 クヴェルミクスは椅子に腰を下ろすと、その膝に巻物を広げた。

 石の壁に、クヴェルミクスの無駄に艶めかしい声が響く。


『これは捕え運ぶもの。大いなる式陣を小さき珠にこめて放つもの。かの地この地で珠に触れた物を捕え運ぶもの。珠に者が触れたらば式陣が包み運ぶ――』


 そこまで読みあげて、クヴェルミクスは顔を上げて私の様子を窺った。

 淡々と読み上げられたその内容は、私にも理解ができる。

 つまり、やっぱり、あのガラス玉が原因だったんだ。

 あのガラス玉に触ったから、私はこの世界に来てしまったんだ。

 でも、どうして?

 どうしてそんなものが私の家に落ちていたのか?


 私の世界の私の家にどうして、この世界から物騒なガラス玉が転がり込んできたのかは、この際分からなくても構わない。

 それよりも、どうしたら帰れるのか。それだけでいい。その方法だけ知れればいい。


 唇を噛み息を呑み、食い入る様に巻物を見つめる私に、クヴェルミクスは巻物を差し出した。


「読む?」


 差し出された巻物をしばらく見つめてから、私は首を横に振る。

 巻物に並ぶ文字は見覚えもなく、一文字すら理解できない。

 分かるのは、それがソニアに習ったホルテ語ではないということだけだ。


「いえ、読めないです。読んでもらえますか?」

「読めない?」

「はい」

「いま僕が読み上げたのは? 理解できた?」


 怪訝そうな表情を浮かべるクヴェルミクスに、私は頷く。


「不思議だね。言葉は聞き取れるのに、文字は読めない? 僕はこれを、書いてある言語のまま読み上げたんだよ。ヒュエスト古語でね」

「ヒュエスト、古語、ですか?」

「そう。考古魔法の言語。世界の創始の言葉とされている、古い、古ーい言葉だよ。ついでに、この前、君に掛っていた魔法を解いた呪文もヒュエスト古語だよ。君は僕が唱えた呪文を聞きとって、理解していたから不思議だったんだけど……」

「……この世界に来た時から、言葉だけは理解できました。ただ、文字は読めなくて。ホルテ語の文字は勉強したので、いちおう読み書きはできますけど」

「ふぅん。ちょっと、僕がこれから言うことをそのまま繰り返してごらん。いい?」


 頷く私に、クヴェルミクスはゆっくりと口を開いた。


『晴れた日に』

「はれたひに」

『濡羽の小鳥』」

「ぬればのことりを」

『捕まえて』

「つかまえて」

『僕は夜の籠を』

「ぼくはよるのかごを」

『編み歌う』

「あみうたう」


 復唱を終えた私を見るクヴェルミクスの目が、やや見開かれる。


「いまのを、続けて言える?」

「はれたひに、ぬればのことりをつかまえて、ぼくはよるのかごを、あみうたう。……これでいいですか? 何かの呪文ですか?」

「呪文じゃないよ。僕の即興詩だよ。ステキでしょ?」

「よくわかりません」

「いま君は五つの言語を使ったよ。自覚はある?」


 私は首を横に振る。

 細切れに発せられたクヴェルミクスの言葉は、何の差異もなく聞き取れていた。


「僕が使えるのは、ホルテ語とヒュエスト古語と西国ロザーシュの言葉。あとは片言程度だけど、一文づつ違う言葉で言っていたんだ。気が付かなかった? 君はきちんと聞いた通り、いやそれ以上の精度で各言語を口にしたよ。そして最後に続けて言った時には、ホルテ語に翻訳して言っていた。無意識でやっているのかな? だとしたら羨ましいね。おそらく君は、この世界のあらゆる言語を聴き取り話すことができるみたいだよ」


 クヴェルミクスの声には、喜色が混じる。

 また一つ、クヴェルミクスの興味を引くことになったのだろう。


「なぜなんでしょう? 私には全て同じ言葉として聞こえます。私の使っていた言葉に……」

「さあ? 僕にはわからないけど、良かったんじゃないかな、言葉を理解できる力っていうのは、ありがたいでしょ」

「確かにそうですね。言葉が分からなかったら、きっとすごく苦労したと思います」


 私は視線を巻物に戻した。

 まだ巻かれたその先に、私の求める物が記されているのかもしれないと思うと、居ても立っても居られない気持ちになる。


「あの、それで、そこには他になんて書いてあるんですか? 帰り方は書いてあるんですか?」


 うわずり気味の私の質問に、クヴェルミクスは無情にも首を横に振った。


「残念だけど書いてない。君が言っていたガラス玉、ここには『召喚の珠』って書いてあるけれど、これに関する記述はここだけで終わりみたい。『召喚の珠』の特性は書かれているけど、これ自体の作り方も使い方も、まして使った後のことの記述はどこにも無いんだよねぇ」

「そう、なんですか……」


 明らかに精彩を欠いた私の声が、空しく中に消える。


「この巻物は、『いにしえの魔術覚え書き』っていう題名なんだけど。古語で書かれたイニシエって、どういうことか分かるかな? つまり古語が使われていた時代より、さらに前の時代に在ったとされる魔術のことを書いたものなんだ。内容もね、あまりにも昔々の話な上に、眉唾物の魔術だらけだからね。この巻物の信憑性は低いとされているよ。考古魔法の時代に、誰かが手遊びに綴ったものだろう。って、言われているんだよね」


 喋りながら、クヴェルミクスは巻物の先を広げる。

 私には読めないヒュエスト古語が延々と書き連なり、所々に簡素な挿絵が現れる。


「でも、君は『召喚の珠』を知っていたし、その見解はどうやら違うと考えてた方がいいのかもしれないね。君に起こった事を解明するには、考古魔法の時代からさらに昔へさかのぼって調べればいいということはわかったよ。どう? 初回にしては収穫は多いんじゃないかな? それとも、ぬか喜びさせてしまったかなぁ」

「いえ。大丈夫です。あのガラス玉のことが少しでも分かっただけでも――」


 答える私の声には、自分でもよく分かるほど落胆が表れてしまっていた。


「夜が明ける前に魔法を掛けようか? あまり長く引きとめていたら、騎士様達が迎えに来てしまうかもしれないからねぇ」


 巻物を片付けると、クヴェルミクスはペンとガラスの皿を持って戻って来た。

 ありがたいことにペンは新しそうな物だった。

 ガラス皿もこの部屋にあったとは思えないほど、きれいに磨かれたものを手にしていた、


「はい。じゃあ、これを持っていて」


 ガラス皿を私に持たせると、クヴェルミクスは懐から小刀を取り出した。

 鞘が外され、抜身の刃が光る。

 切れ味を誇る様に鋭く光るその刃を、クヴェルミクスは何の躊躇もなく自分の指へ当てた。


「うっっ!!」


 声を上げたのは私だった。

 目の前で、クヴェルミクスの左の親指から鮮血が滴る。

 私の持つガラス皿に、ポタポタと血が落ちてくる。

 ガラス皿にたちまち赤い丸が出来上がり、その円を広げていく。


「この位で足りるかな」


 小刀を置いたクヴェルミクスが、私の手からガラス皿を取り上げる。

 受け止め先を失った親指から零れる血が、床に斑点を作る。

 堪らなくなって、私は立ち上がるとクヴェルミクスの手を掴んだ。


「血が、まだ出てます!」


 ジャケットからハンカチを取り出し、傷を覆った。

 私は傷とか血とかが苦手だ。申し訳ないけど、それが他人の物なら尚更苦手だ。

 なるべく手元を直視しないように、ハンカチを握る指先に力を込める。

 

「血、苦手なの?」

「そうですね。得意ではありません」


 素気なく答えると、ハンカチを指に巻きつけ、きつめに縛る。

 やや乱暴で雑になってしまったのは、指が震えてしまっていたからだ。この指の震えから、私が血が大変に不得意なことを察しないでほしいと願うばかりだ。

 この魔法使いには、苦手とか弱点をなるべく知られない方がいいに決まっているから。


「手当てしてくれたのかな?」

「手当てなんて大層な物ではありません。ちゃんとお医者に診てもらってください」


 他人事の様にハンカチの巻かれた親指を眺めるクヴェルミクスに、刺々しく答える。

 私はハンカチから目を逸らす。

 白い布に赤が滲みだしていた。


「なんで、いきなり指を切ったんですか?」

「ん。あぁ、これね。いまから君に掛ける魔法に、僕の血が必要だったから」

「血が必要?」

「城に掛けられた魔法阻みの大半は、僕が掛けたものだからね。僕の血を使って魔法を掛ければ、それらから目晦ましできる期間は伸びると思うんだよね……大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど?」

「だ、大丈夫です。では、よろしくお願いします」


 平静を装って答えてみるも、私の声はやや震えていた。

 血を使う?

 そんな恐ろしげな魔法を掛けられることに、背筋が震えた。

 それを悟ったのか、クヴェルミクスの表情が生き生きとしだすのを私は見逃さなかった。


「じゃあ、ジャケットを脱いで。シャツのボタンをはずして、首のスカーフを取ってごらん」


 言われたとおり、ジャケットを脱ぎ椅子に戻る。

 シャツのボタンに手を掛けたところで顔を上げると、クヴェルミクスと目が合う。

 二色の瞳から目を逸らし、シャツのボタンを一つ外してスカーフを解き膝に載せる。


「もう一つ、開けておいて」


 クヴェルミクスの視線は、私のシャツの二つ目のボタンに留まっていた。

 私は少年としてここに座っているのだ。ということを強く意識しなおして、あえて何でもないことの様にもう一つボタンを外す。

 私の準備が整うのを確認すると、クヴェルミクスは左手の小皿の中に右手に持ったペンの先を浸した。

 本来ならインクを吸い上げるペン先が、クヴェルミクスの赤い血を吸い上げ湛える。

 

 私の背後に回ったクヴェルミクスが、耳元で優しく囁いた。


「少し痛いけど、我慢してね」


 え?痛い?

 私に聞き返す間も与えずに、クヴェルミクスの持つペンはうなじに下りてきた。


 ソニアの掛ける魔法と基本は同じ事だった。

 うなじに呪文を描き込み、魔法を掛ける。

 違ったのは、描き込むペンのインクが植物の汁が、魔法使いの血になったこと。

 そして……。


 ペン先に表皮を切り裂かれている様な痛みが断続的に続き、私の目尻には意図せずに大粒の涙が溜まってしまう。

 膝の上のスカーフを握りしめる。

 痛い!!と大声で叫びたくなるたびに、クヴェルミクスに巻いた白いハンカチと赤い染みが閉じた瞼の中にちらつくから、私は無理矢理に悲鳴を呑みこみ奥歯を噛みしめた。

 ソニアに魔法を掛けてもらう時は、ペン先が肌に触れる少しくすぐったい様な感覚を耐えればよかった。

 いや。耐えるなんておこがましい。とにかく、ただ椅子に座っているだけだった。

 

「この魔法はね、ソニアヴィニベルナーラが君に掛けていた魔法を、僕なりに編纂してみたんだ。僕の血に君の血を混ぜた魔法を描くことで、解けにくく――」


 淀みなくペン先を走らせながら、クヴェルミクスは丁寧に魔法の説明をしてくれる。

 けれど残念ながら、痛みを耐えることに精一杯の私には、ほとんど入ってこない。

 冷汗がシャツを湿らせ、前髪を額に纏わりつかせる。



 ようやくペンが動くのをやめると、クヴェルミクスの口からは呪文が紡がれた。


『深き森の葉裏の色を纏わせよ 木々の敷布を纏わせよ 春の濃風を纏わせよ 深泥の水を纏わせよ』


 心地よい低音で繰り返し呟かれているうちに、うなじを襲っていた痛みが引いていく。

 汗で張り付いてしまった前髪を掻き分けて、クヴェルミクスの冷たい指先が私の額に触れる。

 痛みを耐えるために強張らせていた体は自然とほどけて、乱れた呼吸は元に戻っていく。


「終わったよ。うん。ちゃんと掛かっているね」


 クヴェルミクスが、私の瞳を覗きこみ頷く。


「四日は確実に大丈夫だと思うけど。必ず、四日後の夜にまたここへ来るんだよ」


 力なく頷き、私は身支度を整える。

 四日ごとにあの痛みを受け入れると考えると、ため息がこぼれそうになる。

 でも、私だけでなく、クヴェルミクスにも四日ごとに血を流させなくてはいけないことを思い出して、椅子から立ち上がると魔法使いに深く礼をした。



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