五
昼飯時の食堂の喧騒の中、サリは身軽に卓と卓の間をすり抜け、次々に食事を配っていく。今が一日のうちで、一番忙しい時間だ。
「サリ、次お願い!」
「はい!」
ここは早さと量が売りの食堂で、厨房からはたっぷり料理の乗った皿が続々と出てくる。身のこなしと腕力には自信のあるサリは、ここで働くようになって三日後には、主戦力として頼りにされるようになっていた。
ちなみに、腕力も身のこなしも今一つのマリアは、厨房で皿洗いをしている。丁寧だが素早くはないので、役立ち具合は、サリとマリアで足して二で割ったら人並みになってしまうぐらいだろう。
一刻ほどもするとぼちぼち人も引けてきて、ようやく一息つけるようになってくる。
「サリ、そろそろ休憩に入ってもいいよ。マリアも呼んでくるから、ご飯食べちゃいな」
店の主人のミルが厨房から顔を覗かせる。恰幅のいい陽気な女性で、マリアの目の色も気にせず、二人を雇ってくれた。
「はあい。あ……ありがとうございました――」
サリはミルに返事をしながら、店から出て行く客を見送る。そして、それとちょうど入れ替わりに入ってきた客を見て、顔をしかめた。
また、いつもの男だ。
名前をスレイグといい、裕福な商人らしい。サリたちがここで働き出して、一週間ほどしてから見かけるようになったのだが、何かと彼女に絡んでくるのだ。ほぼ毎日、こうしてサリの仕事が一区切りついた頃合を見計らったかのような時間にやってくる。
スレイグは栗色の髪、栗色の瞳の――サリから見ると――優男だ。いつもヘラヘラしていて締りがない。サリと目が合うと、彼はいつものようにニッコリと笑って手を振ってきた。しかし、休憩時間に入ったサリには、客に愛想を振る義務はない。さっさとスレイグに背中を向け、厨房の奥から出てきたマリアに近寄る。
「マリア、ご飯何にする? 外に食べに行く?」
尋ねられ、マリアは首を傾げてしばし考える。
「……外。パン」
ここで言うところの「パン」とは、三軒先にあるパン屋特製の、「メロンパン」だ。ふわふわのパンがサクサクのビスケットに包まれていて、とても美味い。マリアは初めて食べた時からいたくお気に召したと見えて、何を食べたいか訊くと、たいていこのパンを希望する。
マリアは今まで一体どんな食生活を送ってきたのか、サリが食べさせた大抵の物に対して過剰な反応を見せた。特に甘い物に対しては著しく、最初に辿り着いた村で安価な焼き菓子を買ってやった時には、一口食べるなり、固まってしまったほどだった。
反応が面白くてつい、色々なものを食べさせてしまう。そのためか、初めて会った時には華奢というよりも貧相であったマリアの肢体は、次第に丸みを帯びて年相応の少女のものになりつつあった。体力もついてきて、旅立った頃は数刻と歩けなかったものが、一日歩き続けてもサリにちゃんと着いてこられるようになっている。
「よし、じゃ、行こうか」
「ちょっと、待って」
マリアの手を取り歩き出したサリの背中に、若干情けない声が追いすがる。
一瞬、聞こえなかったフリをして行ってしまおうかと思ったが、渋々サリは振り向いた。
「何か、ご用?」
冷ややかなサリの眼差しにもめげず、スレイグは、たいていの女性に「魅力的」と評される笑顔を向ける。
「君たちもこれから昼食なんだろう? 僕がご馳走するから……」
「いいです」
「じゃ、行こうか。パンだって?」
「はぁ? 今、聞いてなかったの?」
「聞いてたよ。『良いです』って」
スレイグは全く悪びれず、再びニッコリする。
サリの背中を怒りが駆け上がり、頭の天辺から突き抜けた。
「い・り・ま・せ・ん」
決して間違って伝わることのないように、くっきりはっきりと言う。
「その連れなさが堪らないな」
ああ言えば、こう言う。
真面目に相手をするのも面倒くさくなって、サリはマリアと共に歩き出した。何やらついてくる気配はあったが、無視を決め込むことにする。
しかし、厄介なものに目を付けられたものだ。今の店は結構気に入っているので、ある程度の路銀を稼ぐまでいようかと思っていたが、そうもいかなくなってきた。スレイグがもっと平凡な男だったらいいのだが、彼が傍にいると女性の目を引いてかなわない。これでも逃げている身なのだから、できるだけ人の記憶に残らないに越したことはない。
こうなったら「一仕事」してまとまった金を手に入れるしかない。マリアと過ごすようになって、できるだけ真っ当な手段で稼ごうとしていたというのに、まったく腹立たしいことだった。
脇目もふらずに歩いていたサリの手が、不意にクイと引かれた。見ると、マリアが立ち止まっている。彼女の視線は道端に開かれた露店に向けられていた。
「見たいの?」
サリが問いかけると、マリアは数瞬置いた後に、コクリと頷いた。
マリアは、目新しいものには何でも興味を示す――表情は変わらないのだが、きっと興味を示しているに違いない。
露店では主に装飾品を扱っているようだ。高価なものではなく、木の実や川で拾えるような綺麗な石でできているものばかりである。こういった物にあまり興味を示したことのないサリだが、薄紅色の石を使った首飾りが彼女の目を引いた。マリアの瞳と本当の髪の色の中間のような色合いで、可愛らしい作りが似合いそうだ。無駄遣いは避けたいが、このくらいならいいだろう。
「姐さん、これを」
「はい。このままでいい?」
「ああ」
受け取ると、そのままそれをマリアの首にかけた。少女は深紅の瞳を見開いて首飾りを見下ろしている。
「似合うよ」
頭を撫でてやると、マリアは首飾りから目を離し、サリを見上げてきた。
――笑った?
それは、サリの気のせいだったのだろうか。
今まで、良くも悪くも、この少女の表情が動いたところを見たことがない。だが、ほんの一瞬、目元が緩んだような気がしたのだ。
――話すようになったのだから、そのうち笑うようにもなるさ。
いつものように無表情となったマリアに、サリは内心でそう呟く。表情がなくてもこれほど可愛らしいのだ。笑ったら、きっと誰もが虜になるだろう。
「それなら、君にはこれが似合うと思うな」
マリアと二人の世界を作っていたサリの肩越しに、すっかり存在を忘れ去られていた男が割って入る。スレイグが差し出していたのは、銀色の台座に漆黒の石が埋められている髪飾りだった。サリがマリアに選んだような可愛らしいものではなく、もっと凝った意匠をしている。
サリが何かを言う間も無く、スレイグは金を払うと、身長差にものを言わせてさっさと彼女の髪に着けてしまう。
「ちょっ……!」
咄嗟に外そうとしたサリの両手はスレイグに押さえられた。
「お姐さん、ここって、返品は受け付けないでしょう?」
「え……ええ、そうね」
スレイグに片目を閉じて合図され、店の主はそう答える。目の前で何やら面白いことが起きていることを察知して、店主は色男に手を貸すことを決めたようだ。
「君のために買った物を他の人にあげるわけにいかないからね。君が要らないと言うなら、これは捨てられてしまうことになるよ? きっと、お姐さんが一生懸命作ったのだろうけどなぁ」
「ええ、そうね。それは特に力を入れて作ったの」
サリは奥歯をギリリと噛み締めて、握られた手を振り払おうとする。しかし、さして力を入れて握られているわけでもないのに、それはピクリとも動かなかった。
「貰ってくれるよね?」
にっこりと、そう訊いてくる。承諾するまで放す気がないことは明白だ。
「わかったよ! あ・り・が・た・く、頂くよ!」
「よかった。嬉しいよ」
射殺しそうな目で睨み付けてくるサリをものともせず、スレイグは彼女の手を持ち上げると、その指先に口付ける。
「……!!」
その瞬間、サリの黒髪が逆立ったように見えたのは、決して気のせいではない。
サリの長い脚が跳ね上がり、スレイグの脇腹に埋まる。緩んだ彼の手から引き抜いた手は拳となり、見事にその顎に決まった。
脇腹と顎を押さえてうずくまる男を、サリは冷ややかに見下ろす。
「今度やったら……潰す」
そのまま捨て置き、マリアの手を取って歩き出した。
「いいか? あたし以外から物を貰ったらダメだからな? 特に男がタダで何かくれるって時には、絶対、裏があるんだからな?」
サリがマリアに言い聞かせる声が、無情にも遠ざかっていく。
残されたスレイグに、店主が気の毒そうに声をかける。
「あれは、かなり手強いよ?」
「は……は…。でも、そこがいいんだよ」
顎を押さえての返事では、いささか格好がつかない。
「まあ、頑張って」
半ば呆れながら、店主が励ました。