三
マリアに導かれて森の中を歩くこと二日間。
三日目の昼には、二人は小さな集落に足を踏み入れていた。地図にも載らないような小さなもので、これもマリアが指差すままに進んだ結果だ。進んだ速度は行きの半分にも満たないだろうが、歩いた距離は十分の一程度だろう。
マリアの体力が回復するまで、三日ほどはこの集落で休むことにした。
一番大きな家に行き、納屋でもいいから、と宿を借りる。家の主はこの集落の長のような役割をしているらしい。時々グリムの村に辿り着きそびれた者がこの村にやってくるのだ、と笑いながら、快く部屋を一つ貸してくれた。
「キツネかなんかでも捕って、小銭を稼ぐか」
しばらく大きな町に行けないのは、正直言って痛手だ。元々懐具合が寂しくなってきていたから、マリアがいたあの場所に忍び込んだのだ。そこでろくなものが手に入らず、食い扶持は一人増えたとあっては、小銭だろうが何だろうが、早急に稼ぐ必要があった。
「まあ、取り敢えずはあんたの見た目を何とかしないとだよな」
マリアの紅い目、薄紅色の髪は、目立つ。ずっと長衣を頭から被せておくわけにもいくまい。目の色は何ともできないが、サリが変装に使う染め粉で、髪は何とかできる筈だ。彼女にとても良く似合った色なので勿体ないとは思うが、こんなに愛らしい容姿の上に珍しい色彩をしているとなれば、追っ手以外の者にも狙われかねない。
サリは幾つかの染め粉の中から無難な茶色を選び出すと、家の主から借りてきた桶の中で水に溶かした。
「マリア、おいで」
椅子に座らせ、フワフワと柔らかい髪を手に取ると、丁寧に染料を塗りつけていく。元の色が薄いため、変に色が混ざらす、きれいに染まる。サリとは姉妹ということにしたのだが、何とか押し切れるだろう。母はサリとあまり似ておらず、フワリとした栗色の髪をしていた。
「まあ、これはこれでいいか」
少し離れて眺める。髪の色が違うだけで、随分雰囲気が変わった。パッと見ただけでは、マリアだと気付かれないだろう。
「よし。じゃあ、おじさんが夕飯を分けてくれるって言っていたから、ちょっともらってくるよ。ここで待ってるんだよ?」
頭に手を置き、赤い瞳を覗き込んで言い聞かせる。頷きも何もないが、わかっているのだろうと判断し、サリは部屋を出た。
独り残されたマリアは、そのまま微動だにしない。
サリの声がなくなると、急に様々な音が押し寄せ始める。それは、いつものように頭に感じるものでなく、耳を通して入ってくるものだった。
戸を開け閉めする音。
子どもの歓声。
動物の鳴き声。
木の葉の擦れる音……。
雑多な音がわずらわしく、マリアは眉根を寄せて音を遮断しようとする。頭の中で意識を拡げる時は、聴きたくないと思ったら容易に静寂を取り戻せた。
だが。
「……?」
意識を拡げていないにも関わらず、音は変わらず入ってくる。それどころか、意識すればするほど、殆ど圧迫感をもって迫ってくるように感じ始めた。
渦を巻いて襲い掛かってくるような音に、マリアは混乱し、身体を小さく縮めて己を護ろうとする。だが、それはまったく効果がなかった。
思わず叫びだしそうになった、その時。
「あれ、マリア。どうしたの? 具合が悪い?」
部屋の扉が開き、料理を載せた盆を持ったサリが現われる。彼女の声が響いた途端、それ以外の雑音はスッと遠退いていった。
卓の上に盆を置こうとしたサリの腰に、マリアは衝動的に抱き付く。
言動の乏しかった少女の突然の行動に、サリは驚き、肩越しに振り返った。その身体が小さく震えているのが伝わってきて、名状し難い気持ちで胸が締め付けられる。
「ごめん。独りにされて心細かった?」
多分、そんな複雑な心の機微など、マリアは自分自身で理解できていないだろう。
だが、慣れ親しんだところから連れ出され、三日間べったり一緒だった者が突然離れて独りきりにされたら、不安になるのも当たり前だ。
――この少女は殆ど言葉を発することがないが、何も感じないわけではない。ただ、表現する術を知らないだけなのだ。
サリはそう悟る。
今は口元を緩めることすらないけれど、そのうちきっと、晴れやかな笑い声も聞かせてくれる筈だ。
その顔を想像すると、何故か胸が躍る。
この少女が様々なことを得ていく時に自分も傍にいたいと、サリは強く願った。