二
少女を連れ出すことにしたサリは、まず、彼女の旅支度を整えるという難題に直面した。
少女の持っていた衣服は、物はいいが薄手の室内着で、長旅には向かないものだ。実用性はないが、路銀の足しにはなりそうだったので、何枚かを袋に入れる。
部屋の中は殺風景なことこの上なく、置かれているのは寝台と書き物机、衣服の入った引き出しのみだった。
――監獄よりはマシなんだろうけどさ。
そう思ったが、もしかすると、監獄の方が生活臭を感じられるだけマシなのかもしれない。
サリの子ども時代も裕福とは言えなかったが、彼女の母親は野の花を飾ったりして、できるだけサリが気持ちよく過ごせるように工夫してくれたものだった。
「で、あんた、名前は?」
正直なところ、返事は全く期待していなかった。言葉を話せるとは思っていなかったのだ。なので、背後から聞こえた澄んだ声を、サリは一瞬聞き逃しそうになる。
「……え?」
振り返って、静かに佇む少女を見つめた。彼女は首を傾げると、ポツリと名前を口にする。
「マリア」
もう一度その声を聞き、空耳ではなかったと実感する。
「そっか、あんた、喋れるんだ……あたしはサリ、だよ。サリ」
「サリ」
マリアが小さく繰り返した。それが何となく嬉しくて、サリの口元が緩む。金になるお宝は手に入らなかったけれど、サリは、それ以上のものを得られた気がしていた。
「よぅし、ばれる前にさっさとズラかろう!」
マリアには、自分の長衣を頭からすっぽりと被せてやる。
この少女を連れてあの森の中を歩くのは、正直いって至難の業だ。彼女の体力を考えれば、かなり休みながらの行程になるであろう。そして、一番の問題は、果たしてこの森を出られるかどうかだ。サリだけであれば、多少ウロウロしてもいいが、マリアを連れてとなると、最短距離で進む必要がある。
――来るまでもかなり迷ったし、何処をどう通ったかなんて覚えてないし……。
逡巡するが、あまり長居をしていると、侵入に気付かれてしまう。
出発を遅らせたところで何が変わるわけでもない。取り敢えずここを出ようと、サリは覚悟を決めた。
「じゃあ、行くよ」
マリアの手を握ると、廊下に誰もいないかを窺う。シンと鎮まりかえった通路には人の気配は皆無で、サリは慎重に出口を目指した。
見晴らしがよく、装飾品の一つも置いていない廊下では、誰かが出てきたら隠れる事もできずに見つかってしまうだろう。だが、サリが危惧していた事態は起こらず、全く問題なく建物の外まで出られてしまう。
奥深い森の中まで進入してくる者などいないと油断しているのだろうか。
あまりにも呆気なく、サリは物足りなさすら覚えたが、ここは見つからなくて幸運だったと思うべきだ。
「さあ、取り敢えず、どっちに行こうかな」
建物を出た時点で進む方向を勘に頼るサリの隣で、マリアが長衣の下から真っ直ぐに一方向を指差した。
「あっちに行くといいの?」
マリアを見下ろして、サリが訪ねる。長衣の陰から覗く深紅の瞳は無表情で、何を考えているのかを推察することは難しい。だが、いずれにせよ、どちらを目指したらいいのか判らないのだ。同じ当てずっぽうなら、この不思議な少女に従ってみるのも有りだった。
「よし、じゃ、そっちにするか」
サリはマリアに笑いかけると、その手を取って歩き出した。