三
小鳥の最初の囀り。
まだ薄暗い空にそれが響くと同時に、マリアは寝台の中で目を開いた。
薄い寝衣では肌寒く感じる時期だが、マリアは素足のまま寝台からおりて、何着もある同じ形の白い服のうちの一着に着替える。今朝は冷え込みが強いので、肩掛けを羽織った。新鮮だが、氷のように冷たい水で身支度を整えると、食堂へ向かった。
食堂に着くと、いつもと同じ女性がマリアを迎える。
「マリア。朝食を、食べてください」
その言葉も常に変わらない。朝は「朝食」である部分が、夕は「夕食」になる。抑揚も完全に同じである。そして、マリアの名前が「マリア」であることを確認するためだけのように、目の前の少女の名前を呼ぶ。
マリアは、無言のままに食卓につく。目の前に並べられているのは、野菜のスープとパンにチーズ。これもまた、彼女が覚えている限り、常に同じ献立だった。
ガチガチのパンとチーズをスープに浸しながら、美味しいとも不味いとも思わず、変わらぬ速度で消費していく。全て食べ終えると、静かに席を立つ。食事を始める挨拶も、終える挨拶も、ない。
ただ、静寂だけがあった。
食事の後は祈りの時間だ。
マリアは中庭に設えられた四阿へ向かう。それは四本の柱に屋根があるだけの小さなもので、中央には椅子が備え付けられていた。
椅子に浅く腰を下ろし、マリアは目を閉じる。そして、両腕を伸ばすように意識を周囲に拡散させていく――誰に教わるともなく、彼女はその方法を知っていた。
まずはいつものように、マリアの世話をしている女性に触れてみる。だが、それはまるでガラスの珠に触れているように冷たく、何も返ってくるものはない。マリアは深追いせず、更に遠く、森の中へと拡げていく。
植物のざわめきや、動物たちの興奮や恐怖なども普段と変わらない。
木々は自分達が削られようが食べられようが頓着せずに、ただひたすら太陽に向けて枝を伸ばしていく。動物たちは、今まさに喉笛を食いちぎられようとしている恐怖と恍惚、そしてようやく飢えを満たせるという歓喜と興奮を発している。
毎日毎日、同じように森を満たしているそれらの感情を、食事などよりも余程じっくりと、マリアは味わった。
と、不意に。
意識の片隅を、今まで触れたことのない感触が掠めた。思わず怯んで一瞬取り逃がしたが、マリアは急いで再びそれを求める。
何だろう、これは。
マリアはその賑やかさと鮮やかさに、呆気に取られた。
初めての感触の筈なのに、そうではない気がする――鳩尾の辺りが締め付けられるような感覚。
今までの世界が白と黒の二色、あるいはそれに、せいぜいもう一色加えたぐらいのものだとすれば、その感触はありとあらゆる色を詰め込んだ感じだった。
暖かく、眩しく、姦しい。
いったい何なのだろうか。
マリアはその正体を突き止めたくて仕方がなくなって、拡散させていた意識を一点に集中させる。
それは、何かを探しながら、こちらに向かってきているようだ。
無意識のうちに、マリアは早く、早くと急き立てていた。
マリアが息を詰める中、それは時に遠退き、時に近づきながら、着実に距離を縮めていた。