エピローグ
「ばあちゃん、ばあちゃん、ばあちゃん!!」
大声を上げながら部屋に飛び込んできたのは、末の孫だ。祖母讓りの翡翠色の目と、もう十年近く前に亡くなった祖父讓りの栗色の髪をしている。若い頃は美男美女として近所でも有名だった二人の容姿を、この少年は均等に受け継いでいた。
「騒々しい。いったい何だい、シン」
病人の部屋に駆け込んでくることを窘めながらも、その眼差しは優しい。
「俺、夢を見たんだ!」
「夢ぐらい、あたしだって見るさ」
それは、もう、毎日のように。
大事なあの子の夢を。
「違うって、絶対、普通の夢じゃないんだ。俺、なんか判るんだよ」
興奮した孫を落ち着かせるにはどうしたらいいかと思案しながら、彼女はとりあえず先を促してみる。
「どんな夢だったんだい?」
「それがさ、無茶苦茶可愛い女の子が出てきたんだよ。どんな子だと思う?」
「あんたも色気が出てきたんだねぇ」
「真面目に答えてよ。ああ、もう、いいや。あのさ、薄い桃色っぽい髪の毛に、真っ赤な目をしてたんだよ。うさぎみたいに」
どうだ、と言わんばかりに目を輝かせている孫の口から出た形容に、彼女は言葉を失う。
それは、彼女自身の心の中から、片時も離れずにいた面影。
思い出すのは、子にも孫にも、いつか迎えに行くのだと、何度も話して聞かせた少女のこと。
「それは……」
「な、凄いだろ?」
「あ、ああ……で、どんな夢だったんだ?」
もしかして、と彼女の胸の中には期待が溢れてくる。
そういえば、あれから何年が過ぎていただろう。
――五十年、それとも五十五年?
カタツムリの歩みのように遅々として進まない時の流れが苦痛で、いつしか指折り年を数えるのは止めていた。
「その子、俺に向かって、『待ってる』ってさ」
寝台の上に身を乗り出して、シンは何かを期待するように目を輝かせている
この子が彼女からの信号を受け止めることができたのは、祖父の血の所為だろうか。
待ち焦がれていた時がようやく訪れ、彼女の目の奥が熱くなる。
「俺、迎えに行って来る」
胸を張った孫に、彼女は無言で何度も頷いた。
シンは手際よく荷物を詰め込み、よっこらせと背負う。
「行ってきます」と戸口から出て行きかけて、不意に彼は振り向いた。
「親父も俺も、ばあちゃんの中に俺ら以外の大事な誰かがいることは判ってた。でも、だからといって、俺らにくれた分が少なかったって訳じゃない。――ぜったい、連れて帰ってきてやるよ」
それだけ言って、シンは今度こそ飛び出していく。
少年から脱皮しつつある孫の背中を見送る彼女の頬を、雫がいくつか伝っていった。
*
ゆっくりと、目を開ける。
それと同時にシューッと空気が漏れるような音がして、光が射した。
ここは――ああ、そうだ。
徐々に色々なことを思い出し始める。
――彼女はどうしているだろう。
真っ先に、そこに思いを馳せる。
すっと意識の触手を伸ばしていくと、彼女は、いた。
少し弱くなっている気がするけれど、確かに彼女だ――間違えようがない。
軽く突いてみるが、気付かない。
諦めきれずにウロウロしていると、もう一つ、彼女に似ているけれどどこかが違う気配を見つけた。
同じように、触れてみる。
その気配は一瞬戸惑い、次の瞬間喜びに輝いた。
そしてやがて、彼女にも喜びが満ちていく。
――ああ、気付いたみたい。
ホッとして、ゆっくりと手足を伸ばした。
眠りに就く前よりも、すらりと長くなっている。
ふと、彼女は自分のことをわかってくれるだろうかと不安になった。
あまりに姿が変わっていたら、見てもわからないかもしれない。
不安と喜びと期待。
そんなものが入り混じる。
感じるということを教えてくれたのは、彼女だった。
もうすぐ、彼女に会える。
――世界は、今、動き始めた。
地味なお話にも関わらず、最後までおつき合いくださってありがとうございました。
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