二
サリは、夕食を摂りに入った酒場で、隣の卓に座った二人組みの話を、聞くともなしに聞いていた。
普通の食堂とは異なり、様々な人が集まるこの場所では、室内にも関わらず頭からすっぽり長衣を被ったままのサリでも人目を引くことはない。体型をごまかす分厚い長衣に隠された姿が衆目に晒されれば、一悶着どころか十悶着は免れない。危険はあるが、酒場で得られる情報は意外な掘り出し物であることが多く、そろそろまた一稼ぎしたいサリには欠かせない場所なのだ。
大分酔いの回った二人の男は、隣で聞き耳を立てているサリには全く気付かず、大声で話している。
「それがな、俺はグリムから来てるんだけどよ、うちの村の近くにな、あるんだよ。ほら、最近なんかよく聞く、アレ……そう、『世界樹の眠り』って宗教。あそこの教祖は未来が見えるって言うじゃないか。アレの神殿だってやつがさ、あるらしいんだよ」
「へえ、そりゃ凄いな。ぎゃははは。で、何が凄いんだ?」
「それがな、うちの村にはあそこの教会ないんだがな、何でかあそこの信徒がうちの村にチョコチョコ姿を見せるんだよ。変だろ?」
「へえ、そりゃ変だな」
「変だろ? だからなんだよ」
「だから何なんだ?」
「だから、森ん中にこっそり神殿があるんじゃねぇかって」
酔っ払いの話は要領を得ないし、品のない大声にもうんざりしてくる。
だが、その内容は興味深い。
サリも『世界樹の眠り』については知っていた。数年前から信者が急速に増えている新興宗教で、それなりに大きな町なら、必ず一つは教会がある。教団の創始者であるグラシアナ・スターシャという女性には予知能力があり、これまでにも幾つかの災害などを予言し、そのお陰で被害が最小限に済んだ事もあるということだ。
酔っ払いたちの話は続く。
「なんかな、そこに何か隠してるんじゃないかって、話なんだよ。その神殿には、信徒もおいそれとは入れないらしいぞ」
「へえ、そりゃ凄いな」
「そうなんだよ。凄え森の中でな、そう簡単にゃ行けねぇんだけどよ」
「へえ、そりゃ凄いな」
間抜けな会話だったが、それなりに得るものはあった。信徒の増えている教団なら、お布施もよく集まっていることだろう。その神殿とやらには、きっと、隠し財産でも置いてあるに違いない。
サリは人目を引かないように席を立ち、食事代を置いて店を出た。
「ああ、暑かった。もう、うっとうしいわ」
しばらく歩き、人通りが無くなったところで、サリは頭から被っていた長衣をおろす。
その瞬間、フワリと空気が匂い立った。
現われたのは、男であればほぼ百発百中で陥落するだろうと思わせる美女である。絹糸のような黒髪には癖一つなく、高めの位置で一つに束ねられている。すっきりとした鼻筋に、やや厚めの唇は紅を差さずともくっきりと紅い。そして何より、猫のように釣り上がり気味の黒目がちで大きな翡翠色の目が、見る者を魅了する。はだけた長衣からちらちらと覗く胸の双球は谷間も深く豊かに盛り上がり、腰は男の手を誘うようにくびれていた。身を飾るものなど何一つ着けてはいないというのに、全身が艶やかに輝いている。
「森の中の神殿か……。何かイイものあるかな」
まるで獲物を前にした猫のように、チロリと唇を舐める。異性の気を引くことを意図したわけでもないのに、その所作は蠱惑的だった。
一目でわかるように、サリはこの上なく魅力的な女性である。彼女がその気になれば、玉の輿にも乗り放題であろう。小さくしなを作ってやれば、飾り気のない姿態のために絹や宝石を差し出す男も後を絶たないに違いない。
傾国の美女という言葉は、まさに彼女のためにある。
だが、しかし。
そんな彼女が生業としているのは、その美貌とは何の関係もないものである。
――それは、盗賊だった。
大抵は大物狙いで、金持ちの家に入り、しばらくは食いつなげそうなものを一点だけ失敬する。行動範囲も広いため、現在のところ手配されている気配はない。また、気が向けば、情報収集も兼ねて酒場の給仕などもした。独りで生きていくぶんには、それで充分な稼ぎになる。
サリは先ほど耳にした酔っ払いの話を反芻した。
グリムの村の近くには、確かに深い森がある。あの森の奥ならば、何か大事なものを隠すのに最適だろう。そして、わざわざあんな森に隠そうとするなら、余程大事なものに違いない。サリは神などという曖昧な存在を信じてはおらず、神殿に忍び込む事にも、そこから何か盗むことにも全く抵抗がなかった。
「よし、決めた」
予言などと、胡散臭い手段で人の気を引く奴らからちょっとお裾分けをもらうぐらい、どうといこともないだろう。
サリは手掌に拳を一つ打ち付けると、意気揚揚と歩き出した。