六
スレイグが調達してきた『世界樹の眠り』の信徒の服を着て、サリは今、教会の中へと足を踏み入れていた。
礼拝堂にはかなりの人がいたが、奥に進んでからは、結構時が過ぎているにも関わらず、一度も人とすれ違っていない。不気味なほどの静けさが満ちていて、複数の人間が活動している気配は皆無だった。
「教会って、こんなもんなのかな……」
呟きながら、マリアを捜す。
人と会わないのはいいが、正直なところ、拍子抜けの感があった。
――何だか、張りぼてでできた劇の舞台みたいだ。
表だけは立派で、中身がない――そんな印象を受ける。これだけ大規模な宗教だったら、中で働いている者もかなり多いのだろうと思っていたのだ。
組織として成り立っているものではなく、まるで、グラシアナ・スターシャという偶像に、勝手に人が集まっただけのようだ。そもそも、そのグラシアナ・スターシャにしても、実際に見た事がある者はいったいどれだけいるというのだろう。
「何か、こう、ハコだけっていう感じだよな」
『世界樹の眠り』という団体が、得体の知れないものに思えてくる――本当に、そんな宗教団体が存在しているのだろうか?
薄ら寒いものを感じながらも、サリは中庭へ出て、一番高い樹に登る。そこから、スレイグからもらった双眼鏡で部屋の一つ一つを覗いていった。
――いた。
三階建ての、最上階。その一番端の部屋まで視界を動かした時、窓辺に少女の姿が現われた。まるで、サリが見ているのが判ったような頃合だった。
――きっと、マリアには判ったのだろう。
サリには、その確信があった。
双眼鏡越しに、視線が交差する。確かにマリアは、木の枝に隠れている筈のサリを見つめていた。
マリアの姿さえ確認できれば、連れて逃げるのは夜が更けてからの方がいい。
「待っててよ、もう少しで迎えに行くから」
聞こえる距離ではないことは解っていたが、サリはそう呟いた。
空が赤くなり、日が暮れ、夜が深くなっていくのを、ひたすらに待つ。
やがて全てが眠りに落ちる時間が訪れた。
サリは迅速に行動を開始する。
するすると器用に樹を下り、夜目が利くのを生かして暗がりを歩く。コソリとも音を立てずに歩く技は、数年間の盗賊生活の中で培ってきたものだ。
さほどの時をかけず、サリは目指す部屋へ辿り着く。
――取り返しに来るとは思っていないのか?
何かの罠かと思うほど、うまく事が進む――部屋の前には、見張りすらいなかった。
扉の取っ手を回すと、流石に動かず、サリは道具を取り出して開錠にかかる。やや複雑な作りではあったが、これまで数多くの金持ちの金庫を相手にしてきたサリの手にかかれば、息を詰めている間に陥落した。
慎重に扉を開け、隙間からスルリと身を滑り込ませる。戸を閉めると同時に、ドン、と何かがぶつかってきた。
「うわっ」
思わず押し殺した声を上げる。それは腰の辺りをギュウギュウと締め付けていた。
「マリア……」
鳩尾の辺りがじんわりと湿ってくる。しばらく髪を撫でてやった後、もう一度名前を呼んだ。
「マリア?」
数呼吸後に、彼女の顔が上がる。
「サリ」
――今、笑った?
暗がりの中で、ほんの一瞬、それが閃いた気がした。
もう一度、見たい。
サリはそう願ったが、今は一刻も早くここを出る必要があった。
――無事に逃げられれば、これから、いくらでも見せてくれるに違いない。
自分にそう言い聞かせ、サリはマリアの両肩に手を置いて、彼女の顔を覗き込む。
「マリア、逃げよう。外でスレイグも待っているんだ」
マリアは闇の中で深く頷く。その頭をクシャクシャと撫でると、サリは首飾りのことを思い出した。懐から取り出し、彼女の首にかけてやる。
やっぱりそれは、マリアに良く似合う。
「よし、行こう」
そして、サリは小さな手を取った。