ネグラスカ無常
彼らがさったあと、ぼくは、店をバイトの高村にまかせてそとに出た。店を出るまえに用意したコンビニの袋に、道路にちらばったそれらをひろっては入れる。破片のかずはさして多くないが、おもったより広くちらばったようだ。たいていひろい集めただろうか。コンビニ袋の両端をもってがちゃがちゃ揺すってみる。破片の奥からひとつ、ひっくり返りながらうえのほうにころがり出る。袋を手くびにぶら提げてそれをつまみあげて見る。カバーだったらしきもの、そのうらがわにはられている小さなシール。全体にあかみがかったシールで、むかしの少年雑誌の表紙のような、メンコのおもてに描かれたような、写真のうえからなぞり着色したような絵がある。じっとこちらを見るこどもの顔。あまりご機嫌がよろしいとは思われない、あるひとには憎らしげであるだろう、その表情。ほっぺのひとつもつねってやりたい。あるいは、そう、たとえば店のまえのあれだ、いかめしいプロレスラーのフィギュアのカプセル、そういうガチャガチャを、ほれっとむぞうさにその小さな手のなかににぎらせて困らせてやりたい。いわくいいがたい感情がわいてくる顔だ。いまはもうゴミ同然となったこれらの持ち主が、このシールをはっていた心持ちもそのようなものであったか。まちがっても、うかれた調子で、かわいいなど口にしてはいけない。それならいっそのこと、なにもいわずに、にやけていなさい。
コンビニ袋の口をぎゅっとつかんで店にもどる。
「すみませんね」
「いいよ。しかし、あんたもすきだね」
「いや、なんか、ついひろってみたくなったもので」
自分でも不思議におもう。ただ、いまこうしてくっきり再生できる彼らのやりとりも、いずれ、ぼんやりしてくるだろう。この映像を風化させてはならぬ。なんでもいい、いま一度の刻印でもて焼きつける、そのような行為がもとめられていたのだ。
そのとき、ぼくはカウンターにいた。この店は、T字路のTの―がのびたら┼になるそのポイントにある。店は、道路に面して[ のかたちで床から天井までガラスばり。目のまえのみちがゆっくりとのぼりながら奥でみぎに折れているようすと、交差点の左右が、カウンターからパノラミックに見わたせる。店のすぐとなりにおおきなさくらの木がたっていて、いまが花の見ごろだ。このあたりはさくら木がおおい。はすむかいの建物がおわると公園で、そこにもさくらが植わっている。ひだりの木を見て、ざっと視線をみぎにうつすと、そこにまた、さくらだ。ぼくはカウンターでこれをくり返すのが好きだ。ひとりで首をふっている、その視線のすみで、それはもう地味にはじまっていた。
彼らふたりは、奥のみちから来たのだとおもうが、気がついたときは交差点にはいろうとしていた。店のなかではそとの音声は消されていて、なにをいっているのかわからない。ただ男がしきりに女をせめているように見える。手をだすまではいたらないが、それもあやうい状況だ。いっぽう、女はきわめて落ちついており「はやくおわってくれないかしら」くらいないきおいで動じるようすもない。「ふざけるんじゃないよ。しれーとしやがって。ぬおー。出せ。出せよ、はやく。とっとと出しゃいいんだよ」無声映画の弁士よろしくセリフをいれてみる。女があつでのバッグからとりだしたものを、男はうばいとる。そのままうでをふり上げると、うばったものを地面にたたきつけた。
男は破壊されたものをしばらく見てのち、視線を女にもどした。女は、そのあいだ、かわらず平然としている。「気がすんだかしら。もういくわ」とでもあてておく。絵にかいたような冷淡さでかどをおれていく女を男はしばらくにらんでいるが、「ばかー」とかなんとか、その背なかにあびせて送ってやる。そうして、女とは反対のほうに五六歩、歩いて立ちどまり、ふり返りたげなようすだが、つぎには、かけ出していた。
交差点をおおってはり出したさくらの枝のしたで、それら一連のできごとは、はからずも、ガラスまどのわくのなかに展開するなが回しのロングショットとなった。
しかし、ぼくはここで安心してはならない。シーンのおわりに断じてなにも足してはだめだ。さくらの花がひらりひらりとみちにおりてきて、そこには男がぶっこわしたものの残がいがころがっているさまを、クローズアップにするなどはもってのほか。ここががまんのしどころで、けっしてどんなことも拡大したりはしまいぞ。そしておもむろに最後の仕上げにうつるのだ。
あの残がいをたんなるゴミにしてしまってはだめだ。きちんと拾ってやらねば。打ち捨てられたまま、ひとしれず朽ちていく、あるいは朽ちきれずにみれんたらしく風にさらされてりるのではいたたまれぬ。成仏させてやりたいのだ。コンビニ袋につめられたものよ。おまえを見とったものがここにおる。地にもぐるなり、天にのぼるなりしなさい。この世にぐずぐずしていてはなりませぬ。なあ・むう。
ちーん。
店のまえを自転車が走っていく。
※
ビデオレンタル店多しといえども、ここネグラスカは健闘している。ビデオもかずをそろえればいいとうものではない。そんな店にかぎって品ぞろえに気づかいがとぼしく、見てまわるだけで客を疲労させるものだ。それにくらべて、うちはたしかにせまいものの、コンパクトにまとまりがよく探しやすいうえ、目ぼしいビデオにとりこぼしがない。レンタル料も良心的。さらにビデオパッケージといわず、かべにいたるまで手がきのPOPぜめだ。気がきいているのか、おせっかいなのかわからぬでもないが、プライベートルームな感じとか演出しちゃったりしているわけだ。
だいたいなみ以下の店は邦画とエロビのセレクトがずさんだ。ここでおさえるところをおさえているかどうか、通はこのチェックだけで店の姿勢をしるというものだ。本屋ならマンガとサブカルもののセレクトに相当するね。しかもマンガにラッピングしてない豪胆な店ならなおいい。ひとはそういう店にこそおかねを落としてくもんでしょ。まちがっても、立ち読みできてラッキーとか、せこいやつはいないよな。客もばかじゃない。こんな企業努力している店を放っておくはずがないだろ。
まあ、そういうわけで、この店も繁盛している。とはいえ、ビデオのレンタル売り上げなんてたかがしれている。そこがうちの社長のぬかりないところだ。店内でケータイ電話の販売をはじめた。いまではむしろこちらの方がかせぎ頭なのだ。一時はゲームソフトやCDもあつかったそうだが、利益のあがらない分野はどんどん切り捨てていく。あいたスペースにディスプレイだなをいれ、ケータイをならべる。場所をとらないわりに上がりのいいビジネスらしい。
客はいつでも現金なもので、安さにとびつく。うちはビデオも安いがケータイも安い。もちろん安さには理由がある。電話会社とそういう契約があるからだ。安くおろしてもらう代わりに、うちは契約の台数を売る。売り上げのため、日夜バイトはあかるく感じのいい接客をするというわけだ。
「新規のご契約ですか? 機種交換ですか?」「おわたしは~、1時間くらいあとになります」「こちらのほうにご記入おねがいします」「留守番電話はどうなさいます?」「メールは?」「暗証番号は?」「こちらのオレンジですか? いま在庫をきらしているので確認します。しばらくお待ちになっていただけますか?」「つきの電話代はいまどんくらいですか? そうなりますと、こちらのプランのほうが気持ちお得ですかね」「あ~、その機種はもうおいてないんですよ。量販店さんのほうなら、まだあつかってるところがあるかもしれないですね」着信履歴、圏外、迷惑メール、マナーモード、着メロ、伝言ダイアル、電源をお切りになっていますのアナウンス、待ち合わせ、遅刻、出会い系、13回のコール、ただいま電話に出られません、プチ、プープープー
「新作1本を1泊ですので、300円になります」「もう1本おかりになるとセット料金で100円お得ですよ」「1週間でよろしいですか?」「期限切れのものが1本ありますので、お早めにおねがいします」「はじめてのお客さまですね。こちらに必要事項のご記入をおねがいします」「身分証明書はなにかおもちですか?」「ミュージックビデオはおいてないんですよ。著作権の関係で」「3巻いま返ってきてますけど、おかりになりますか?」「こちらにサインをおねがいします」当日、1泊2日、延滞料金、1週間レンタル、新作、レンタル中、旧作、アニメ、企画もの、当店おすすめ、インディーズ、流出もの、リクエストボックス、貸し出しランキング
「遠藤さ、店のレイアウト変更だってよ」
「このせまさで、どうしろっつーの」
「まー聞け。あとベスト20までランキングしろってさ。一般とアダルトと」
社長の注文はとどまるところをしらない。
「よこうもつぎからつぎにおもいついてくれるよ」
ビデオ屋の店員をばかにするものではない。すくなくともこの店では、ぼーっとしている時間にも仕事を用意してくれる。というか、みずから仕事をつくり出せとしりをたたかれている緊張感があったりする。それでこそ地域いちばん店としてサバイバルに勝ち残れたのだ。そこいらの販売員とくらべられても見劣りはしないという自負があってもいい。ぼくなど新参者でしかないが、先輩諸氏のものなれた客あつかいには感心することたびたびだ。おうへいなひと、決まらないひと、日本語がかたことのひと、親子、カップル、ガテンなひと、奥さんのくべつなくあいそうよく迷いなく。いいこと尽くしであるかのように、わたしはあなたのしもべですくらいに、お客は自分がただのお客ではなく無条件に奉仕されるべき主人となった錯覚さえ抱かせるように。冷静な判断をうしなわせ完全なほうけものとさせること、そんな手練手管をもちながら、彼らはけっしてそれにおぼれることはない。というか、がつがつしていない。肩のちからがぬけている。ぬけ切っているが、だらけてはいない。微妙なぬけだ。このぬけはなかなかでない。天然か熟練か、またその両方か。
なるほど、ぼくらにノルマはないから、きゅうきゅうとすることはない。売り上げを達成したからバイト代があがるわけでもない。売れなければ売れないでいい。その気楽さゆえの余裕であろう。それでも、だらけないところにとどめているものは、客に対する誠意とかいうものではなく、仕事に対するささやかな抵抗であろうだろう。「お客さまは神さま」ではない。やつらがなにを感謝するだろうか? かねを払っているのだから当然だという顔をするのみではないか。バイト人の疲れをつぐなうものがあるとすれば、それは仕事への信仰があるのみだ。仕事こそ神さまであり、それへの義務をはたすことでいじわるな毎日をやりすごすのだ。
ぼくがまだ、かけ出しのねんねだったら、彼らにあこがれもしたろう。いや、彼らにこそなりたかっただろう。しかし、もはやそんなとしでもない。彼らになどなれはしない。またなったところでそれがなにになろう。二番煎じの出がらしで、ポイ捨てされるだけなのだ。その点、あの青二才があわれでならない。彼らをあがめたてまつることに骨みをけずるようではないか。そうではないのだわかものよ。おまえはなにもわかっていない。いや、いまはなにもいうまい。いずれ、ときがきうればわかるだろう。そしてなげくがよい。そうやってわがみに刻むよりないのじゃよ。ほほほ。
「どうだい、田中くんは? つかえる?」
「きのう、さっそくやらかしてね」
「あ~、あれか、ちらっと聞いたよ。ひごろのなってなさが出ちゃうよね。一度、社長のほうから、がつんといってもらわんとね」
「ま~、それとなくいってはいるんだけどね」
「いっていいよ。ずばっと。そんな気のきく感じじゃないでしょ、彼。社長もあまいんだよな。田中もそれをいいことに、だれ切ってんじゃねーの」
ぼくはビデオだなのかげにまわった客をミラーで確認しながら、ちょっとくちかずがすくなくなっていく。
犬は一家の主人を目ざとく見つけるという。田中にとっての主人は高村らなのだ。どうりでぼくには、なつかないはずだ。くやしくあり、やはりそうかともおもい、残酷になりきれないひとのよさというものか。ぶるぶるっ、お~、やだやだ。自省してんじゃねぇーつーの。
※
「お疲れーす」
おそ番と入れかわりにネグラスカをでる。
この時間、大通りをわたる信号で、市役所から出てくる大量の職員と合流する。こうやって駅へむかう数十メートルのみちを彼らに同行するのが、はや番おわりのならわしだ。今日は駅までごいっしょする。なぜなら、アパートに帰らず、大市街にいくから。
「これからどこいくの?」「だって・・・じゃない」「いや・・・いこうとおもって」「・・・でしょ。わかんないわよ」「おやすみどうするの?」「そんなことないわよ。きっと・・・」「それじゃ、ここで」
一人、またひとりと集団からほぐれて、駅でばらばらになる。地下鉄の改札へむかう階段で、おおきなひとの波にさからっておりる。のぼりは、くだり列車にくらべて、気持ちよくすいている。席にこしをおろして、しばらくすると、うとうとし出した。ねむりに入るか入らないかの気持ちよさをたのしむ。
はっとして目をさますと、列車がとまりドアがひらこうとしている。あわててとび出した。ぼんやりと、いつもとちがう空気を感じながらも、改札をでるまで気がつかなかったのは、どうしたことか。どうりで見なれないはずだ。ひとつ手まえでおりてしまった。もう一段あるとおもって階段をふみ出したら、もう地面だった感じ。起こっていることにからだがおくれてついてきた。やってくれたよとはおもっても、改札をでてしまっている。ひと駅分の料金を出しおしんであるくことにする。
地上は大市街の一角、ビジネス地区だ。大企業の高層ビルがいく棟もおっ立っている。エスカレーターから地上に出ると、ビルから出てくるビジネスマンらの集団に合流する。
「・・・してくれたよな」「ああ、それと・・・」「・・・してもけばいいですよね」「むこうからいってきてるのは・・・」「・・・だとのことです」「それじゃだめだよ。もっと・・・」「・・・じゃないだろ」
いつも市役所から出てくるひとたちに特有の顔つきがあるように、彼らにも得有の顔つきがある。ふたつのちがう民族にまぎれこんだストレンジャー気分だ。それぞれの”民族“は、顔といわず、あるき方、口調まで、からだのかなりしんのほうからにているようだ。おなじ環境にながいいつづけると、遺伝子のくみかえ的なことが起こって、ひとのからだをつくりかえるのかもしれぬ。
あるきながらデパートのショーウインドーにうつるぼくのからだを見る。そういうおまえはなにさまのつもりだ。いや、なにをはじることがあろうや。かといって、おごることなど論外。とどまってはならんよ。ただひたすらあるきつづけることさ。そうすればいつか、このからだにも、なにかもっと意味あることがあらわれるのだから。
※
ネグラスカまえにふるあわいピンクの花びらをウインドーごしにながめていると、高村がはなしかけてきた。
「このあいだの試写会、どうだった?」
「ん~どうだろうね。手ばなしでほめるってのはできないんですが、どうしても見なきゃいけないってことはないとでもいっておきましょう」
「女がいきたそうにいってたんだけどね。だめかい?」
「カップルでみるのは苦しいかなって気がする」
「へえ、そうか。じゃあ、ほかのにするかな」
あの映画は主演の女優のための映画だ。ふしぎな女だ。ぎょろっとしたおおきな目、ひろいおでこ、まるい顔、ぽってりたぷたぷのにのうで、えりからのぞく深い乳房のかげ。彼女の奇妙さ以外にたのしむべきものを見つけることができなかった。しかしながら、このひとを見られるだけであの映画はゆるされてある。すくなくともぼくにはそうおもえる。が、いらぬ助言をつけくわえるのをひかえる。
高村の女とは、どのような女であるのか。女のことはしらないが、高村がエロビをみない男だというのは本人から聞いた。そのはなしを聞いたとき、ぼくはエロビを見はじめたばかりで「なぬ! すでにエロビを卒業と。すておけぬ」などあせったものだ。なにせ30すぎてからのエロビデビューなのだ。おお目に見ていただきたい。興味がないわけではなかった。エロ小説やエロ写真は見るが、エロ道の修験者として、エロビは短絡的だとおもっていたようだ。
業界紙によれば、日本のエロビはいま世界マーケットでたいへん歓迎されているという。アメリカ西海岸、香港、台湾あたりで人気ふっとう中というはなしを聞いた。マンガ、アニメにつづいてエロビだ。
またアダルトコーナーを歩いてジャケットを見るにつけ、わかくてきれいな女子がたくさん出演していることがしれる。「おら悟空。おまえ、つよそうだなあ。おらとうでだめししねぇか」。SM、スカトロ、巨乳、潮吹き、手こき、フェラチオ、ハメ撮り、なか出し、女子高生、風俗嬢、熟女、痴女、OL、女教師、人妻……、さまざまな流派がひしめきあう天下一武道会だ。なかでもエロビの王道をいくのは女優ものといえよう。年間数千とうまれる新人のなかでもタイトルに名前のでる女子はごくわずか。覇者の器たるもののみが、みずからのコーナーをもつ。そのようなものこそ女優をなのることがゆるされるのだ。
いまだ女優にはいたらずとも、すれておかしき女子もおる。そのようなものら56人つどいて1本をなすエロビを素人ものと称するそうな。これら素人ものでは、男女の交合にうつるまえにそれぞれにインタビューをおこなうことをつねとする。「男性経験はどのくらい?」ときかれて彼女らは「ふつうに15人」「かぞえてないよ。30人くらいかなあ」とかこたえる。はたして、われら男子組は、これらの女子組と対等に闘えるのか。
たとえば素人ものを5本みる。ここで25~30とおりの女子のフランクなありようをみるわけだ。これだけでもちょっとしたデータベースになる。いろんなひとがいるものだ。あ~そうだったのかと反省もするだろう。活用法もひと通りではない。
あな素晴らしき哉、エロビの世界。なんてかたりあえるひとはいない。いたら、それもかんがえものだ。
※
ぼくは彼女らをハナキントリオとよんでいる。店にはいって手まえから順に黒、茶、金とならんでいるのをはじめてみたとき、これこそがゴージャスだとうれしかった。5つあるレジに3人がそろうのは月になん回もない。ぼくがはや番のかえりによるころ、彼女らはちょうど、まえのひとと交代でレジにはいる。スーパーハナキンにかよいはじめてかなりになるが、歴代レジ係のベストテンに今後しばらくはいりつづけるだろう。
黒い髪のひとは、ほそいからだとふつりあいにふっくらした顔だち。くろ目のわりあいがしろ目よりおおきく、アイラインとマスカラで目のあたりがくろぐろしている。茶色の髪のひとは、アヒル口で、しかられたこどもの顔をしている。いつもアディダスのスタンスミスをはいている。きん色の髪のひとは、テレビドラマやCMや雑誌のグラビアでしばしばみかけるUというタレントににている。いつかまゆをかきわすれたのかとてもうすかった。
いかなる経緯にしてやあらん。彼女らがコンビニではなく純血のスーパーマーケットを選んだことを好ましくおもう。夕方のレジはたいへんだ。ぜんぶのレジにひとがならぶ。処理がおそければ列がどんどんのびていく。買い物かごいっぱいにつめこまれた商品をバーコード読み取り光線にてらしては別のかごにうつしかえる。ぬれたもの、つぶれやすいもの、かさばるもの、おもいもの、瞬時の判断でそれにふさわしいあつかいをほどこす。くしゅくしゅとストッキング状にたくしあげたちいさいポリ袋、ちょいとよこへのとりわけ、もう1枚余分の袋、お客がすくなければ、みずから袋にいれる。銭勘定にまちがいは禁物だ。おさつは2度かぞえる。端数の小銭は1円たりとももらすまい。
そのようなことを仕事への信仰においてやれるひとたちとみた。ちがいはレジを通ってみてはっきりする。男のレジ係はまだ青くさく、おもいものでも運んでいなさいなので問題外。「いらっしゃいませ」ではじまり「またお越しくださいませ」でおわる、このあいだに、戸惑い、はじらい、あきらめを表現できるレジ係はけっしておおくない。
彼女らのまえで、大手スーパーマルビのレジ係などレジ人形にひとしい。即興性がない、機知がない、スマイルのいけすかなささえすけている。マルビは最近駅まえにオープンした。売り場はハナキンの5倍以上。レジにおいては25をかぞえる。これらのうちに、いまだハナキントリオに匹敵するレジ係を見い出すことはない。
たしかにハナキンはせまい。玉ねぎを切ったら腐っていたこともあった。品切れも1度や2度ではない。小さいサイズをおいてないし、ねぎの1本うりをしない。それがどうしたというのだ。ハナキントリオを生み出したスーパーだぞ。でかしたとほめてやろう。みんは気がついているだろうか。あれがハナキントリオだよ。ちょっとばかりあいそうをおさえぎみの、矛盾をかかえていることを否定しないあのようす、わっかるかなあ。お客たちはつぎからつぎにレジにはいり、彼女らもただもくもくと彼らを送りだしていく。えらいぞハナキントリオ、まけるなハナキントリオ。いつも300円くらいしか買い物しなくてわるいね、くろのひと。グリーンスタンプ1枚おまけしてくれてありがとう、ちゃいろのひと。袋はちいさいのでいいよ、きんのひと。きみたちに神のおめぐみを。
※
そのバンドは高村の女がすきなんだそうだ。そういっていたのを店内の有線で思い出した。客はいない。いまのうちにリクエストカードの整理をすませねばならない。
きいたこともないタイトルがある。映画の内容もさることながら、タイトルの仕入れさきも気になる。石川淳「映画記」、谷崎潤一郎「映画を見なはれ」、武田百合子「映画のはな」、山田風太郎「映画帖」、内田百間「映画や」、向田邦子「映画のごとく」、江戸川乱歩「映画と旅する男」、山口瞳「映画百景」とかなんとかお気に入りの作家の映画評をよんで。ひごろからセンスのわるいことだけはごめんだをつらぬいている人がぽろっとこぼしたタイトル。いまいちばんきていることをスタイリッシュな写真、モデル、レイアウトでみせる雑誌が映画の特集をやったときにでてきたタイトル。かっこいいチラシ、かっこいい予告篇、そんなこんなでリクエスト。
ビデオ屋のリクエストボックスというのも中途はんぱなしろものだ。逆ダイレクトメールといってもよかろう。メール文化全盛のさっこん、このアナログ感がぎゃくにレトロでいいとかいうはなしではない。まあ、もの好きのたまり場、深夜のコンビニ的なものか。深夜のレディオにはがきをだすものに対してする”パーソナリティは遠藤“調でさばいてみよう。
つぎのリクエストは大島渚『少年』
筆跡から判断するに、のびヤンが書いたカードだ。ネグラスカのバイトなかまでの通称、のびヤンは、ハナキンの青果担当で人手がたりないとレジもやる。あたまからうえはのび太でボディはジャイアンだ。ときどき銭湯でいっしょになる。のびヤンの肌はくろぐろつるんとしている。ようじをさすと、きゅるきゅるとゴムの皮がむけるすずなりぶどうようかんにそっくり。のびヤンは週に1度エロビをかりる。そのあと邦画のたなをひとめぐりしてリクエストしていく。先週は吉田喜重『秋津温泉』だった。いちおう「検討してみます」とかいて、コルク地の掲示板にさしておいたが、たなのこやしをふやすことはできまい。
のびヤンは日曜か月曜の晩にきて1本1泊でかりていく。ぼくの記憶するかぎり延滞したことは1度もない。のびヤンはきっと日記をつけている。それに「このエロビがすごい!」という連載をどこかにかいているはずだ。そのうち出版されたらたちよみするつもりだ。
つづいてのリクエストは『天国は待ってくれる』
たしかはいっていたはずだが……。たなのタ行をさがす。『田沼意次最後の怒り』『ちりめん問屋の蔵』『つるとあか大将』『天衣無縫松』……
やっぱり。『天国は待って……』
タイトルのうしろをかくすものがある。しゃがんで、よくよくみるとシールがはられてある。ここにもいたか、あのガチャガチャをほしがるこどもだ。ん? ほしそうにしている? にぎらせてやりたいあいつだよ。なにをしているのだ、こんなところで。ぺりぺりと簡単にはがれた。その子をリクエストカードのすみにはりかえた。
「コメディのタ行にありますよ」
とかいてからおもいなおし、ピンをぬき
「ただいま貸し出し中」
とかきくわえた。
せっかくこどもがすすめてくれたのだ。じゃけんにしてはおとなげない。
その晩、アパートでビデオをみた。ひさしぶりにころころとわらった。いつもはふとんに入って1時間くらいねつけないのに、すぐねむれた。
※
「おもいだしたら、むかむかしてきた」
片山は、きのうおそ番だった。閉店まぎわの午前1時ごろ電話をうけた。
「やけになれなれしいなあとはおもったの。あげくのはてに『あんた、だれ?』ときたもんだ。社長の女だよ。なんかさっするところ、だちと飲んでて、ケータイかいかたいとかのはなしになったらしいのね。そんでわたしがしらべてあげるわよ的のりでかけてきたってわけさ。なにいいかっこしんてのって感じよ」
ぼうはあいにく社長の女にあったことはない。いまどきいるんだ、そんなひと。あまりのステレオタイプさにわらけてくる。いや、ほんとうはもっとポストモダンなアレンジがほどこされた、脱構築な女なのだろう。ただ片山のボキャブラリーが、それを表現しきれないだけなのだ、きっと。
「つかえねぇ、みたいなためいきもらされてもねぇ。かなしくなってくるよ」
片山のような脳天気おとこを失意のどん底にたたきおとす。おそるべし、ポストモダンレディ。
ぼくが片山と交代にカウンターにはいってからも、彼はのこってしばらくぐちり、そのうち胸のむかむかも落ちついたらしく、かえってからまもなくのことだ。その女は店にはいるとまっすぐカウンターにきた。
「ケ-タイ電話なんですけど」
「新規ですか? 機種変更ですか?」
「これは機種変更になるんでしょうか?」
「といいますと」
「あの~、落っことして、こわれちゃったんですけど」
「こわれたケータイは、今日おもちですか?」
「ひと月だったかな?」
「買ったばかりですね。保険とかはいってないということになると、機種変更ってことになっちゃうとおもうんですけど、なんか手があるかもしれないんで、ちょっとお待ちください」
いまなら片山がつかまるかもしれない。片山ならしっているだろう。……ただいま電波のとどかない……。じゃあ高山はどうだ。……ただいま電話にでることができません……。全滅かよ。しかたない。善処するか。
ぼくは、この時間もう電話会社のほうも営業がおわっていること、最善策をこうずるが、ままならないときは機種変更の手つづきをとり、あたらしいケータイを用意すること提案した。彼女の了解をえて、書類への書きこみをおねがいする。
それにしても、なんて感情のうごかないひとなのだろう。ちいさな口、うすい唇、いちばん顕著なのは目だ。それに見られるもののいつわりの仮面をはぎ、そのしたにかくれているわい小な存在をまるはだかにしてしまう目だ。この目からのがれるには、こころを無にするのだ。あほうのこころでのぞめば、あわてることはない。
女は住所欄でペンをとめると厚手のバッグから手帳をとり出した。手帳にしるされた住所を書きうつす。ははあ、引っ越したばかりらしい。ぼくにもおぼえがあるぞ。しばらく自分の住所を書けなくてはずかしいおもいをする。そんなことはさして重要ではない。それよりも注目すべきは、彼女の手帳。表紙のうらにはりついているのは、あのこども。はたしてこの女、いや、思い出せん。ついこのあいだ、ネグラスカのまえでくりひろげられた愛憎劇。その現場にて地面にたたきつけられたケータイ。女の顔をおぼえていない。
ぼくは女を盗み見る。ペンをもつ手。その指はねもとがふとく、さきにゆくと極端にほそくなっている。ふっくらとにくづきがよく、のばすと間接にえくぼができるのだ。ゆびさきについているちいさなつめがかわいらしい。
「あの~、ちょっと聞いていいですら?」
「そのシールですけど、はやってるんですか?」
「えっ、ああ、これ。わたしがつくったの」
「へぇ~、イラストレーターさんですか?」
「ちがいますよ。でも、これくらいは、だれでもできるんじゃないですか。パソコンで、ぱぱっと」
「だれか、モデルはいるんですか?」
彼女はすこし考えるようすでいて、なにかおもいだしたのか、ほほほとわらいながらうなずいた。
※
10人中8人がかわいいとおもうだろう女子。23はまわっていまい。ファーストフードショップでバイトしたことがあるやもしれぬ。そのものごしから接客になれたようすがする。
スーパーマルビのサービスカウンターにいた女子は、はきはきと、にこやかに応対する。
「いつごろですか?」
「ついさきほど」
「どんないろですか?」
「紺とグレーのしまもようです」
ぼくは店内で落としたマフラーのいろを説明してから、はたしてそんないろだったかおもいなおした。
「とどいておりませんが」
落としたことに気づいてまだ10分もたっていないのだ。発見者からあれこれの手をへてカウンターにとどくまえに来てしまったか。店内にはいってすぐマフラーをはずしたことはおぼえている。出るときはもうなかったのだから、ここで落としたことに、まちがいはなかろう。
「とどきましたら、電話連絡いただけないでしょうか?」
「はい。それではここに連絡先を」
と失敗したコピー用紙の再利用メモとペンをさし出した。そこに電話番号を書きこみながら、連絡はこないなと直感した。マフラーは十中八九このカウンターにとどけられるだろう。だが、それとこのメモはうまく連絡しないだろう。受け付けの子に直接責任はないかもしれぬ。それでも、この子におおくは期待できないぞというひらめき。
ぼくはそれを感じなかったように、そっと意識のかげにかくして、かかってこない電話をまつだろう。
家に帰って、牛乳を買い忘れたことに気がついた。食後のカフェオレがのめないのは残念だ。こんどはハナキンへ。ハナキンの牛乳はこのあたりでいちばん安い。牛乳買うならハナキンだ。
ハナキントリオは、今日くろのひとしか出ていない。牛乳をもって、くろのひとのレジにならぶ。ぼくの番がきたとき、くろのひとは
「ここおねがいします」
とあとからきたひとと交代に、そそくさとレジをはなれた。勤務時間をすこしまわっていたのかもしれない。まちかねた、すこしあわてたようすだった。
どうしたというのだ、くろのひと。いつものナイーブさはどこへいったのか。それではハナキントリオから除名されてしまうぞ。
とぼとぼと牛乳ぶらさげ帰りみち 遠藤翁
翌々日、マルビのカウンターをたずねてマフラーをうけとった。翌日あえていかなったのは、もしやにかける気持ちもないではなかった。結果はあんのじょう。
それがどうしたというのだ。
※
片山のはなしにでてきたむすめさんにハナキントリオのきんのひとをだぶらせたのは、見当ちがいでもあるまい。ハナキントリオでそつのなさナンバーワンのきんのひとだ。場内整理だとて「えーっ、わたしがー」とかなんとかいっちゃってるわりに、きっとすずしい顔でばりばりにおなしてしまうのだ。
片山は田中にさそわれて芝居をみにいったそうだ。100人はいればいっぱいになってしまうちいさな劇場。その日、盛況でつぎからつぎに客がはいった。
「そちら空いてらっしゃいますか? おひとりさま、こりらのお席へどうぞ。この列のお客さま、まえを通してあげていただけますかー」「もうしわけありませんが、この列のお客さま、全体にあちらの壁よりにすこしずつお詰めいただいてよろしいでしょうか? まことにおそれいれます」「お客さま、たいへんラッキーです。あちらのお席がおいております。どうぞー」
片山は、そのむすめの口調をまねてみせる。かなりできる子である。ジャエラシーさえ感じるのだ。
「いや~、お芝居のまえに、いい前座をみせてもらいましたよ」
こしの低さとずうずうしさ、ふてぶてしさ、ひらきなおりがこんぜんいったいとなった感じがでているむすめにちがいない。
「あの客いれはいい役者になるよ。役者という人種はたいていどうかとおもうけどね。あのひとたちのおおくは身勝手のごんげとしかおもえないから。どうしてああも、われさきにきもちいいおもいをしたいんだろう。いいとこどりで無責任。そういうひとたちがおもしろいことをできるんだろうか」
それは信仰のちがいか。信仰のあついひとは信仰のうすいひとががまんならないのだ。”ひと粒の麦は死ななければそのままだ。死んだならゆたかに実をむすぶ“ 片山の座右の銘だ。客いれのむすめに死んだ麦をみたのだな。
片山の販売員としてのキャリアはながい。
「ものを買うってことはそれだけで気持ちのいいことなんだよ。それをそっと演出するのがおれたちの仕事なのよ。あれを買おうとおもいたつ。支度してでかける。あちこちみてまわる。これぞというものをみつける。そこで、とてもいいものをみつけたという快感をしたざさえするって寸法よ。一連の行為のかいぞえ役なわけでしょ。そこんとこ、ちょっとひいている感じみたいなのは、教養と経験のたまものじゃないですか。そういう販売員だましいをあのひとに感じたね」
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1週間ほどまえだったろうか。公園のてまえで建物の解体作業がはじまった。たぶん4階建てだったとおもう。どういう建物だったのかはっきりおぼえていない。ここ23日、バイトのかえりにおもいついては現場にたちよる。
間接部分が建物の3階ほどのたかさまでくる大型のパワーショベルがはいって、ごんごん、ばりばりやっている。鉄骨をねじ切るペンチ、ぐいとつかんで引きちぎる万力、残がいをすくうスコップ。パワーショベルのせきに3種類のアタッチメントがつけられる。きょうの作業をおえて、3方のかべぎわに、引き裂かれ、ちぎりとられた残がいが残った。ここまですこしずつけずりおとされて、残った2階までの、ぐにゃりとねじ切った鉄骨がとび出し、もうひとちぎりで残されたかべのまどガラスはまどわくにおさまったままだ。手順にあやまりはないのだろうかといらぬ心配をする。
かべのすぐうしろ3方をあつでのシートでおおって、さらに、作業中は砂じんがまいちらないようにホースで水をまく。道路まであたり一面がぬれたまま、まだかわいていない。
犬をつれた老人と近所の顔見知りらしい同年輩の男が、かどのごみ置き場でたちばなしをしている。「無実の罪で30年の監獄ぐらしですよ。監獄のむかいのビルの1室を彼らがかりましてね。その囚人にてをふるんですなあ。彼らは囚人の家族でもなんでもないんです。ただ彼の無実を信じて、彼のささえになれればとおもって、すぐそばにいてやろうとするんですね」「ほほう、それはそれは。きっとそれでしょうな。先日、近所の牛たん屋にいきましてな。牛たんとねぎとろを食しておりますと、奥の1組の男女がはなしをしておる。女のほうがさかんに、あれがよかった、これがよかったと男にすすめるのですよ。実在のボクサーの生涯らしいですな。主演の役者は、わたしのひいきでして、気になっておったのですが、なんともちかごろ、おっくうでして、ぶしょうをしてサウンドトラックをひとからかりました。それがですぞ、おわりぎわにかかる曲を『SO AMAZING』といいましてな、”amazing now I'm free“というコーラス、ありゃ、ちょっとしたもので……」。ゴミ捨て場の彼らごしに、ネグラスカのウインドーを背にしてビデオだなのまえにまたべつの1組がいる。「廃業したんだ。この景気だからね。なかなか買い手もみつからない。つかえない建物つきじゃ土地の値段もぐんとさがってしまうんだってね。更地にもどすことを条件に売り出したら、けっこうな値段で売れたらしいよ」「へぇ、○×産業とかいったっけ。4丁目にある社長のお宅はたいした構えだよな。ガレージに車2台、お庭があって、きれいに手入れしててさ。いいときに引退したもんだよ」
たくさんのコンクリートや鉄のかたまりが、毎日トラックにつまれてはこばれていく。ひとかけら記念にほしくなってもよさそうなものだが、まったくその気にならない。なにかあるのではないかと、みれんたらしく、いましばらくうろうろとその場にとどまるのだった。
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消耗品という、わり切りができない。大事につかえば、ながもちするとかかんがえるにもほどがあるというものだ。いつまでまてば減価償却できるとかんがえられるひとに、つねづね引けめを感じている。どんなものでも、いのちあるかぎりつかえるくらいにおもっていたりするのだ。
彼女のケータイはどちらともいいかねる。かどの塗料がはげおちて、すれてこすれた疲労金属のふうをかもしている。これに凹をくわえたら兵士のヘルメットだ。ずいぶんながくつかいこんで出たあらくれぶりともいえる。まさか紙やすりでけずり出したとはおもえないが、なきにしもあらず。すると、古着感覚のワイルドなしあげで売り出すという手もありってことか。
バッグのなかのものをひとつひとつカウンターにならべて探し出した、彼女のレンタルカードは期限がきれていた。
レンタル手続きをすませた女を送りだして、高山が
「このあいだやすみもらったじゃん」
「忌引きだったんでしょ」
「そう。それで、実家にかえったんだけど、そんとき、正月に帰んなかったもんで、年賀状がとどいてるのを知らなかったの。そんなかに学生のときの同級生から1枚あったのね。もう卒業して7年かな、それくらいなるし、そのあいだ連絡くれたことなかったしさ。そいつ、はがきに”おたよりありがとう“ってかいてたよ」
「7年、連絡なかったんだよね」
「むこうからはそうなんだけどさ。こっちから1度、はがき送ったことがあったんだ、もう2年くらいまえ」
「それまた、どうして」
「彼女が、あっ、そいつ女なんだけど、学生のとき旅行先から絵はがきをくれてさ。ずっとわすれてたのに、2年まえひょっこりでてきたの。それみてたら、おれ、このはがきの返事って、かいたかなとおもいはじめたら、返事をかかなきゃいけないような気になっちゃったんだよね」
「そのまた返事が2年後にきたってわけ?」
「そうかなあ。でも、ちょっとだけ、おれのはがきをおもしろがってもらえたのかなとおもいたいね。2年っていうブランクが、かなり微妙なんだけどさ」
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無常をおぼえたのは無情よりあとだった。ネグラスカまえには、ぱらぱら漫画をみるように、きのうのうえにぺろんとかさなる今日をみることができる。
交差点のさくら木は、もうほとんど花びらをのこしていない。えだにのこされたのは梅ぼしいろをした花のじく。えだのあちこちからわかいはっぱがはえている。じゅくしたメロンの果肉のようなみどりがどんどんふえていく。ついにはパイナップルのはのようなかたいみどりになってしまうのだが、それはまださきのことだ。公園のほうのさくら木は種類がちがうのだろうか。花びらがこちらよりもしろいようだ。花びらをいくぶんおおくのこしたまま、はっぱをはやしている。やわらかく素直なみどりが、すこしずつ花びらをおとしていくごとにふえて、えだにはえそろうまでの10日ばかりのあいだ、この窓から無常をみることができす。
「質問箱じゃねぇーつーの」
高村はリクエストカードの整理の途中、1枚のカードをみながらつぶやいた。
「なに?」
ぼくがのぞくと
「これ」
と作業をつづけたまま、カードを1枚ぬいてカウンターのうえをすべらせた。
「ケ-タイ電話についておしえてください。相手の番号をおして、しばらくよびだし音もなく、通じたとおもったら”おつなぎできません“というアナウンスがあって、すぐプツンときれてしまいます。これは電源をきっているときの合図ですか?」
のびヤンにまちがいあるまい。
「これって着信拒否だよね。のびヤン、なにかわるいことしたのかなあ」
「っていうかさ、固定電話つかってるひととケ-タイ電話つかってるひととじゃ、文化がちがうでしょ。カトリックとイスラムくらいちがってるよ。のびヤンの場合、もうねっからのコテイのひとじゃない。その相手とはじめから断絶してんじゃなの」
「それにしても着信拒否って、ひどいんでないの」
「多分ね、ひどいことしてるっていう次元じゃないんだよな。選択基準が、ありかなしかだからさ。そんなこといってたら、かえって”こっちがめいわくなのよ“くらいの逆切れでこられちゃうよ」
あしたもきょうも留守なんて、みえすく手口つかわれるほど、きらわれたなら……ここからが男の度量のせみどころだ。しょうがない、だまってあばよというのか、それとも相手のケータイをうばいとり、アスファルトにたたきつけるか。
「このあいだの、店のまえで女ともめてた彼さ。このまえ店にきてさ。ケータイのパンフいくつかもってたよ。わるいひとじゃないよね。きらいじゃないよ。むしろ、なんか応援したいくらい。なんだろう、うまれながらに体温のたかいひとには、がまんならんのだね、そのテンションのひくさが。ままならんよ」
高村の女が体温のたかい女ならいいと思った。いや、きっとたかい女だ。
のびヤンのカードには、なにもかかないまま、引き出しにしまいこんだ。いずれこたえられる日もこよう。
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高校生のころ、日曜日の午前中、ぐずぐずと布団のなかにいると、セスナ機がとぶ、ぶ~んというおとがしていた。どこかのスーパーだか商店街だかが大売り出しをするアナウンスをながしながら、このかいわいを旋回しているのだ。春休みがおわって、ゴールデンウィークをまっている日曜日だったような気がする。あの日とおなじ、よく晴れた日の午後だった。
ハナキンのちゃいろのひとがネグラスカにやってきた。ちゃいろのひとは、花房となのり、家族のものだが、本人にたのまれてケータイを引き取りに来たという。
「ちょっとうけとりがおくれちゃいましたね」
「ええ、わすれてたみたいで」
ケ-タイ一式をつめた袋のなかを確認してもらい、うけとりにサインをたのんだ。紙をおさえる左手のゆびにえくぼができる。
もし、その手のひらにガチャガチャをのせたら、どんな顔をするだろう。
タ行のたなのまえで左右をうかがっているのは
リクエストボックスにそっと投函するのは
とても楽しい気がして、どうしても、いま、いわなければフェアでないような気がする。
「『天国は待ってくれる』とてもたのしかったですよ」
「えっ」
顔をあげて、彼女はぼくをみる。そのとき、ぼくは、きっと、しかられたこどもの顔をしている。
しばらくまをおいて、彼女のアヒルの口のはしがきゅーとのびて、ほほえみながらうなづいてくれる。




