『新世紀エヴァンゲリオン』(アニメ作品)
はいはい、ちょっと待って。今「エヴァ? 難しいやつでしょ」って思ったそこのあなた。わかる。私も最初そうだった。なんか哲学っぽいし、ロボット出てくるけどロボットアニメじゃないし、キャラみんな情緒不安定だし。だけどね、これが刺さるんだよ。心に。脳に。魂に。なんならトラウマに。
『新世紀エヴァンゲリオン』――それは、1995年に放送されたTVアニメであり、後に映画やリメイクで何度も蘇った、まさに“令和にも生き残る平成の怪物”。ジャンルは一応SF。巨大な人型兵器「エヴァンゲリオン」に乗って、謎の敵「使徒」と戦う少年少女たちの物語。だけど、ただの戦闘ものじゃない。むしろ、戦闘はおまけ。メインは、登場人物たちの心の闇と、世界の終わりに向かう人類の選択。
主人公は碇シンジくん。14歳。父親に呼び出されて、いきなり「乗れ」と言われて乗る。何に? エヴァに。乗らなきゃ人類滅ぶ。乗っても心が壊れる。詰んでる。でも乗る。泣きながら乗る。もうこの時点で、普通のロボットアニメじゃないってわかるよね。
そして周囲のキャラも濃い。綾波レイ、無表情で謎多すぎ。惣流・アスカ・ラングレー、ツンデレの原型にして情緒ジェットコースター。葛城ミサトさん、酒飲みながら司令官やってるし、部屋汚いし、でもめっちゃかっこいい。みんな何かを抱えてる。何かを失ってる。それでも戦う。いや、戦わされてる。そんな彼らの姿が、痛々しくて、でも目が離せない。
物語は進むにつれて、どんどん抽象的になる。人類補完計画? ATフィールド? 心の壁? もう哲学と心理学と宗教とSFがごちゃ混ぜ。でもそれがいい。わからなくてもいい。感じるんだ。考えるな、感じろ。いや、考えろ。どっちだよ。
そして迎える最終回。TV版は「心の中で拍手される」謎の演出。映画版は「血まみれの海に立つシンジとアスカ」。どっちも衝撃。どっちも賛否両論。でも、どっちもエヴァ。わかりやすさなんていらない。わからないからこそ、何度も見たくなる。語りたくなる。考察したくなる。そういう作品。
というわけで、『新世紀エヴァンゲリオン』は、ただのアニメじゃない。これは、観る者の心をえぐり、問いかけ、そして放り出す作品。観るたびに違う感情が湧く。観るたびに自分が試される。そんなアニメ、他にある? ないよ。たぶん。
さあ、君もエヴァに乗れ。乗りたくない? わかる。でも乗れ。乗ったら、世界が変わるかもしれない。
豚化萌えの感想
軽い(^_^;)
あのエヴァンゲリオンの作品紹介がこんなに軽くていいのか!とか思ったりもしますが、まーこれぐらいあっさりしている方が気張らずにいいのかもしれません。
私、豚化萌えもエヴァンゲリオンにはかなりハマりました。だから、こんな1000字程度であっさり書くのは勿体ないと思ってしまう作品ですが、今回はそういう企画のエッセイなので。
新劇場版よりは、90年代のテレビアニメ版とか旧劇場版派です。いろいろと物議を醸していたテレビアニメ版の最終回もけっこう好きで、若かった当時は数十回以上見て、いろいろ考えてみたりしていました。最終回が一番好きかもしれません。