【Scene07:Pain】
司令室を出ても、誰も追ってこなかった。
無機質な廊下に、ヒールの音だけが薄く残る。
踊り場で足が止まる。
背を壁にあずけると、冷えたコンクリートが肩甲骨に触れた。
ゆっくり膝が折れて、その場に沈む。
誰もいない。
誰にも見られないはずの、場所。
「……なんで……」
かすれた声が、照明の唸りに溶ける。
爪が掌に食い込み、震えが指先から肘へ伝わっていく。
「なんで、あいつ……」
喉の奥で、形にならない音がほどけた。
こらえようと目を覆っても、熱は零れる。
「……愛してたんだよ……私……」
その一言だけが、彼女を貫いていた。
丘の風、訓練場の笑い声、崖で見た表情──
すべてが胸骨の内側で一度に軋む。
「なんで……なんでもう一度……私が……殺さなきゃいけないの……」
今ここにいるのは“牙の姫”じゃない。
選ばれた刃でもない。
ただ、ひとりの少女だった。
階段の影に、気配がひとつ。
クロノだ。
声はかけない。足音も立てない。
記録屋ではなく“仲間”として、ただこの瞬間を見届けている。
慰めは刃こぼれになる──彼はそれを知っている。
だから、何も言わない。
代わりに、まぶた越しの涙の線、肩の上下、震えのリズムを、記録の外側に焼きつける。
「……なんで生きてたの……縁……」
呟きが階段に落ちて、淡く反響する。
照明が一度だけ瞬き、静けさが戻る。
痛みは、決意の前に必ずやってくる。
その順番だけは、きっと正しい。
彼女は数拍、ゆっくりと呼吸を整えた。
涙が乾くより先に、視線だけが前を向く。
クロノは影の中で、ほんの少し顎を引いた。
「見た。忘れない」──言葉にならない合図を胸の内で交わし、気配を消す。
立ち上がる。
膝の砂を払う。
踵を戻す音が、先ほどより確かになった。
愛したことも、撃ったことも、今の痛みも──全部、連れて行く。
それが、彼女の戦い方だった。




