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Tokyo Dusk  作者: 藤宮 柊
6章『邂逅』
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【Scene07:Pain】



司令室を出ても、誰も追ってこなかった。

無機質な廊下に、ヒールの音だけが薄く残る。


踊り場で足が止まる。

背を壁にあずけると、冷えたコンクリートが肩甲骨に触れた。

ゆっくり膝が折れて、その場に沈む。


誰もいない。

誰にも見られないはずの、場所。


「……なんで……」


かすれた声が、照明の唸りに溶ける。

爪が掌に食い込み、震えが指先から肘へ伝わっていく。


「なんで、あいつ……」


喉の奥で、形にならない音がほどけた。

こらえようと目を覆っても、熱は零れる。


「……愛してたんだよ……私……」


その一言だけが、彼女を貫いていた。

丘の風、訓練場の笑い声、崖で見た表情──

すべてが胸骨の内側で一度に軋む。


「なんで……なんでもう一度……私が……殺さなきゃいけないの……」


今ここにいるのは“牙の姫”じゃない。

選ばれた刃でもない。

ただ、ひとりの少女だった。


階段の影に、気配がひとつ。

クロノだ。

声はかけない。足音も立てない。

記録屋ではなく“仲間”として、ただこの瞬間を見届けている。


慰めは刃こぼれになる──彼はそれを知っている。

だから、何も言わない。

代わりに、まぶた越しの涙の線、肩の上下、震えのリズムを、記録の外側に焼きつける。


「……なんで生きてたの……縁……」


呟きが階段に落ちて、淡く反響する。

照明が一度だけ瞬き、静けさが戻る。


痛みは、決意の前に必ずやってくる。

その順番だけは、きっと正しい。

彼女は数拍、ゆっくりと呼吸を整えた。

涙が乾くより先に、視線だけが前を向く。


クロノは影の中で、ほんの少し顎を引いた。

「見た。忘れない」──言葉にならない合図を胸の内で交わし、気配を消す。


立ち上がる。

膝の砂を払う。

踵を戻す音が、先ほどより確かになった。


愛したことも、撃ったことも、今の痛みも──全部、連れて行く。


それが、彼女の戦い方だった。



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