【Scene06:意志】
“牙の心臓”──指令室《Grave Room》。
壁一面のモニターが低く唸り、冷白色の光が鉄のテーブルを磨くように撫でていた。
書き出されたログは山と積まれているのに、視線は誰ひとり落とさない。
ここにあるのは命令ではない。選択の重みだけだ。
そこに立つのは、ボス。
そして、ウィステリアとクロノ。
ウィステリアが一歩、前へ出た。踵が床を鳴らす音が、室内の唯一の鼓動になった。
「……行かせてください」
珍しく、丁寧な言い方だった。声は静かだが、刃の芯はもう揺れない。
ボスは黙ってその目を受け止める。
「縁は、私が終わらせる。……今度こそ、自分の手で」
横にいたクロノの肩が、わずかに強張る。視線は落としたまま、握った拳だけが正直だった。
「本当に……“殺しに”行くのか」
返事はない。代わりに、瞳が答えた。燃えるのではなく、凍るのでもなく──決意だけをたたえた静かな光で。
「……君が背負うには、でかすぎる過去だ」
記録屋の声に、迷いが滲む。
それでも、ウィステリアは淡く息を吐いた。
「私しか、終わらせられない」
わずかな沈黙ののち、ボスが鉄の天板に掌を置いた。静かな音が、承認の印章のように室内へ広がる。
「……一人で行け」
クロノが顔を上げる。驚きではない。言いかけた言葉を、奥歯で噛み砕く。
「誰かを連れていけば判断が鈍る。これは牙の命令じゃない。──お前の“意志”だ」
その一言に、ウィステリアの睫毛が微かに震える。
信頼の重さは、鎧にも枷にもなり得る。それでも彼女は頷いた。
クロノが半歩、前へ。
「……なぁ、ウィステリア」
呼び止められ、彼女は肩越しに振り返る。
「もし……万が一、お前が戻らなかったら」
短い間。
そして、背中のまま、笑った気配がした。
「……あんたが全部、記録して。ちゃんと“残して”」
クロノは答えを持たなかった。喉が鳴るだけだ。
記録は棺にもなる──それを誰より知る自分に、彼女は託した。
ボスが最後に一行だけ、指令を置く。
「──行け。牙が“選んだ刃”」
ドアのロックが外れる乾いた音。
ひとつの足音だけが、冷たい光を抜けて夜へ溶けた。




