【Scene04:静かなる手】
雨上がりの屋上に、言葉の切れ端だけが残った。
誰も動かない。呼吸すら薄い。
その静寂を割ったのは、重くも荒くもない、一定の足音だった。
「……ウィステリア」
振り向いた瞬間、彼女は悟る。声の主──ボス。
彼は距離を詰めすぎず、手すりの横に片手を置く。その掌だけが、ここに“重し”を据えるように静かだった。
「怒るなとは言わねぇ。お前の怒りは、否定するもんじゃない」
低く、まっすぐ。
「けどな、感情のまま行けば──次は“お前自身”が壊れる」
喉がかすかに鳴る。言い返す言葉が見つからないほど、胸の内は縁の“生”に攫われている。
「殺したはずの相手が、生きて戻った。……亡霊をもう一度埋め直すつもりだろうが」
ウィステリアは目を伏せた。怒りとも動揺とも違う、深く暗い静けさが広がる。
一拍置いて、ボスは珍しく視線を落とす。
「……俺も、同じ気持ちだ」
それから、手すりに置いた掌で雨粒をひとつ払うようにして、静かに告げる。
「だから命じる。今はまだ、“決着をつけるな”」
それは命令の形をした“預け”だった。
ウィステリアはゆっくりと目を閉じ、長く息を吐く。
「……わかってる」
声は掠れているのに、芯は折れていない。怒りの赤の下で、意志の色がはっきりと残っている。
ボスはそれだけを確かめ、視線を全員へと流す。
「戻るぞ。縁の件は──“今夜中に処理する”」
踵が返る。足音が闇に吸われていく。
濡れたアスファルトがネオンを割って光る。置き去りの風だけが、彼らの間を通り抜けた。
亡霊は確かに戻ってきた。
どう向き合うかは、牙が選ぶこと──そして彼女もまた、選ばねばならない。




