『5章 亡霊の記憶』【Scene01:Noise】
記録室は、よく冷えていた。
空調の低音が、背骨をまっすぐになぞっていく。
クロノは手袋越しに端末へ指を置き、認証列を無音で流し込む。
権限タグが幾つも重なり、最後にひとつだけ異質な行が浮いた。
[封印指定] 牙外部記録ファイル No.0342
[対象] 縁
[付近] 機密ログ流出“未遂”の痕跡あり(未解決)
その名を目にするたび、胃の奥がひりつく。
閉じたはずの頁。二度と開かないと決めたファイル。
それでも、クロノは「開く」を選ぶ。
迷いではない。ただ、自分が変えられなかった事実に触れるための、儀式。
「……見たくない記録ほど、よく手が覚えてる」
呟きは青い光に消えた。
映像が走る。砂嵐、波打つフレーム。音声は断続的。
《22:41:09》 カメラ起動/手ぶれ
《22:41:10》 指令室より外向き送信 1件(短文)
《22:41:12》 映像乱れ [データ欠損]
《22:41:13》 位置信号消失(セイカ/ハヤト/ミサキ)
焦げた床。崩れた天井。吹き飛んだ壁。
中央には、倒れ伏した三つの影。
――かつて“牙の柱”と呼ばれた者たち。セイカ。ハヤト。ミサキ。
名を心内で呼ぶだけで、喉の奥が痛む。
その遺骸を挟むように、奥にひとつの背中が立っていた。
短く切られたダークブラウン。若い肩。沈黙。
――縁。
解像度は粗い。顔は判別できない。
それでも、立ち方と、空気の沈みだけで、十分だった。
手前で、カメラを持つ者の手が画面に入り込む。わずかに震える。
ノイズにまみれた声が、かすかに残る。
「……縁が、裏切った……」
ぷつん、と音がして、再生は途切れた。
静寂が戻る。
グレーのバーが端で止まり、進捗マーカーが墓標のように固まっている。
クロノはしばらく、その“墓標”を見つめた。
呼吸を整えるでもなく、目を逸らすでもなく。
ただ、記録が告げる事実――同時刻の短い送信と、三つの位置信号の消失――
そして何も変えられなかった自分の手の温度を、もう一度確かめるように。




