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Tokyo Dusk  作者: 藤宮 柊
4章『枷咲』
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【Scene 19:雨上がりの名残】



東京湾沿いの廃倉庫。

牙が一時退避に使う簡易拠点は、波と鉄の匂いだけを抱いていた。


外は、雨上がり。

梁から落ちる雫が、時折コンクリに小さな輪を描く。


鉄骨の影。

咲間は人気のない一角に腰を下ろし、目を閉じて風を受けていた。

頬の返り血は拭かないまま。呼吸は深くも浅くもない、ただ在るだけの呼吸。


足音が近づく。


「……ひとりで背負い込むタイプか。お前も」


レインが来た。片手に缶コーヒー。無造作に一本、咲間の足元へ転がす。

金属が床をかすめ、乾いた音が跳ねた。


咲間は目を開ける。さっきまで殺気を孕んでいた薄紅の瞳に、いまは静が宿っている。


「休んでいるだけです。少し、考えたくて」


「……殺したんだろ。桜蛇の会長を。親代わりだった」


咲間の眉がわずかに動く。肯定も否定もなく、沈黙が答えを示す。


レインはため息ともつかない息を落とし、隣に腰を下ろす。

潮風がふたりの間を撫でて通り過ぎた。


「全部、壊れたな。お前の世界」


「ええ。まるで最初から虚構だったように」


「それでも、戻ってきた」


短く言って、缶のプルタブを引く。小さな破裂音が、遠いサイレンを掻き消した。


「……あのとき、俺は怒ってた。お前が彼女を攫ったと聞いた瞬間、頭が真っ白になった」

「……はい」


「けど、今こうして向き合っても、お前は“敵”には見えねぇ。不思議なもんだ」


沈黙。波の間に、雫がまた一つ弾ける。


咲間がぽつりと落とす。


「俺を拾ったのは、彼女でした」


「だろうな」


レインの口元が、ほんのわずかに緩む。


「拾う、か。あいつはそういう女だ。優しすぎて、強すぎる」


咲間は視線を伏せる。


「正直、まだ信じられません。誰かに拾われたなんて。……それでも、あのとき確かに、自分の名を呼ばれた気がした」


レインは立ち上がり、背中越しに言った。


「なら、生きろ。拾われた奴には、拾い返す番がある」


咲間が顔を上げる。


「……拾い返す?」


「ああ。誰かから受け取った温度を、今度はお前が別の誰かへ渡す。そうやって続いてくんだよ」


少しだけ間を置いて、レインは続ける。


「ウィステリアに拾われたお前なら、きっとできる」


夜風が吹き抜け、雲の間から細い月が覗いた。

咲間は立ち上がり、胸の奥でゆっくり息を吐く。


雨上がりの匂いの中で、新しい灯が、静かに点った。



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