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Tokyo Dusk  作者: 藤宮 柊
4章『枷咲』
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【Scene17:迷子】



窓を叩く雨音だけが、部屋の呼吸だった。


咲間は立ち尽くしていた。

握った柄に、まだ微かな震えが残っている。

背後には、紫煙の匂いと、冷えはじめた鉄の気配。


墨色の髪は乱れ、頬に返り血が一筋。

胸は浅く上下するばかりで、吸い方さえ忘れたようだった。


──やがて、音もなく膝が落ちる。

重さを失った人形のように、静かに床へ沈む。


肩は震えず、顔も歪まない。

ただ瞼が降り、言葉のない口が小さく開く。

宙をさまよう指先は、掴みそこねた何かを探していた。


それはまるで、迷子だった。


その隣に、影がひとつ膝をつく。

ウィステリアだ。何も言わず、そっと肩に触れる。


その瞬間、咲間の背が微かに揺れた。

初めて人の温度に触れた子どものように。


薄紅の瞳が揺れて、彼女を映す。

もう“敵”でも“対象”でもない。

自分の名を知っている、ただ一人の人。


「あなたは、もう“誰かのための道具”じゃない」


指先が触れ合う。咲間の手が小さく震える。


「居場所を失って、途方に暮れて……それでも誰かのために剣を抜いたあなたを、私は知ってる」


喉がひくりと鳴る。

声にならないものが、胸の奥で溢れていた。


「……俺は……」

幼い響きが零れる。

「……俺は、どこへ……行けば……」


答えは迷わない。


「──ひとまず、うちに来ればいい。ここよりは、ずっと居心地がいい」


その言葉が、雨より静かに落ちてくる。

咲間はゆっくりと、彼女の胸元に額を預けた。


「……俺は、生きても……いいんですか」


「生きなさい。あなたはもう“拾われる”必要なんてない。これからは、自分で“在る”ことを選べる」


ウィステリアの腕が、静かに背へ回る。

そこにあるのは、罰でも赦しでもない。

ただ、人としての温もり。


──あの日、廃ビルで「拾われた」と思っていた自分が、

本当に“拾われる”瞬間は、今だったのだと。


頬を伝う涙が、床へ落ちる。

誰にも支配されない、最初の涙。


雨音が少しだけ遠のいた。

二人は立ち上がる準備を、同じ静けさの中で始めていた。



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