【Scene12:檻の外へ】
地下の一室。
石壁は乾き、空気は薄く冷たい。遠くで配管がかすかに鳴り、天井の蛍光灯がチリ、と一度だけ瞬いた。
ウィステリアは簡素なベッドに腰をかけたまま、指先で膝の縫い目をなぞる。毒の霞はほぼ抜けた。立てる。――それでも、座っていた。足を床につけた高さで、ものを見るために。
静かに、扉の錠が回る。
咲間が入ってきた。いつもの薄笑いはない。影だけを引き連れて、部屋の隅に腰を落とす。彼女より低くも高くもない、まっすぐの位置。
「起きていたんですね」
声は静かだ。沈黙をひとつ置いて、彼は自分の膝に視線を落とす。
「桜蛇は、俺の居場所だと思ってきました。拾われて、名をもらって、生かされた――ずっと、そう信じて」
ウィステリアは目線だけで促す。咲間は息を整え、言葉を選ぶ。
「違っていました。俺の家族を殺したのは桜蛇です。拾ったんじゃない。“作った”んです、最初から」
ウィステリアの瞳がわずかに揺れる。
咲間の指先が震え、その震えを隠すように拳を握る。
「恩も、忠誠も、自分が選んだと思っていた道も――用意されていたレールでした」
石の部屋に、乾いた音のない風が通る。ウィステリアの目に、微かなぬくもりが灯る。
「貴女と話して、見て、わかりました。俺には“意思”がなかった。……でも今は、違う」
顔を上げる。初めての透明な眼差し。
「俺が選びたい。命令じゃなくて、自分の意思で。――貴女を、ここから出したい」
静けさが落ちる。
ウィステリアは短く問いを放つ。
「それは、“咲間”の意志?」
咲間は頷き、微笑む。仮面ではない、痛みを通った微笑み。
「はい。俺の意志です」
その瞬間、ウィステリアは彼の中に“人間”を見た。道具ではなく、名を持つひとりとして。
「……なら、信じる」
言葉はそれだけ。だが、錠前に触れる鍵の音が確かに響いた。
咲間が手を差し出す。短い逡巡。ウィステリアはその手を取る。体温が、指先で確かめられる。咲間の手は震えていた。恐れではない、生きている印。
二人は立ち上がる。
咲間は扉へ歩き、懐から取り出した鍵束を静かに差し込む。カチリ。錠が外れる音が、石壁に小さく跳ねた。
誰かのためでも、命令でもない。
これは――彼ら自身が選んだ一歩だ。
蛍光灯がもう一度だけチリ、と瞬く。
檻の外の闇へ、二つの影が並んで溶けていった。




