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Tokyo Dusk  作者: 藤宮 柊
4章『枷咲』
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【Scene 08:地下牢】



桜蛇会・地下施設。

湿り気を孕んだ石壁と、低く唸る換気音。鉄扉の“蛇の目”ほどの覗き窓から、揺れる灯りが一筋だけ差し込んでいる。


奥の一室──かつて拷問具が据えられていたと思しき空間には、今は簡素なベッドと水差し、木の卓しかない。


ウィステリアは静かに目を開け、上体を起こす。意識は澄んでいるのに、芯に力が入らない。

麻痺でも拘束でもない。自律神経の調子だけを狂わせる類の“眠り薬”──そう身体が告げている。


(指輪は……外されてる。靴底も確認。即席の武器は──卓の脚、か)


「……やっと目覚めましたか」


灯りの影から、咲間が声を落とす。

墨色の髪を後ろで束ね、膝を折って正座していた。手にはぬるま湯の入った器と柔らかな布。彼は距離を保ったまま、慎ましく額に布を当てる。


「熱は下がりました。毒は、ほとんど抜けています」


所作は徹底して丁寧。家族を介抱する者の手つきだった。

ウィステリアは視線だけで咲間を射る。怒りでも憎しみでもない、“理解不能”の色で。


「……なぜ、優しくする?」


咲間は微かに笑う。だがその笑みはどこか影を抱いていた。


「貴女を傷つけるつもりは、最初からありません。“迎えに来い”と命じられただけです」


「連れて来て、閉じ込めて、介抱する。矛盾してるわ」


「──自分でも、よくわからないのです」


咲間は布を卓に戻し、窓のない壁に掌を添える。

しみ出す冷たさが皮膚を伝った。


「貴女を見ると、胸が締めつけられる。“同じ匂い”がする。……奥に沈んだ痛み。家族を失った者の色」


ウィステリアの指が、ごく僅かに動く。


「私は、あの日に桜蛇に拾われました。助けられたはずなのに、痛みは消えない。夢に出てくるのは“家族”ばかりで……目が覚めるたび、泣いている」


その横顔は、徹底して静かで、徹底して孤独だった。

ウィステリアは沈黙を貫く。答えようのない問いを、胸の底で嚙み砕く。


「貴女の家族は?」


「……眠っている間に、いなくなった。それだけよ」


咲間の瞳がわずかに揺れ、彼はベッド脇に膝をつく。


「──同じですね」


薄紅の眼が細まり、悲しみを帯びた微笑が、灯りに淡く滲む。


「だからでしょう。私はきっと、貴女に惹かれている。同じ孤独に、同じ痛みに……その、まっすぐな目に」


呼吸が浅くなる。

部屋には、二人分の鼓動と、遠い配管の滴る音だけが重なる。


やがてウィステリアは、乾いた唇をわずかに開いた。


「……私に“眠れ”と言った男が、いちばん眠れていない顔をしてる」


咲間は一瞬だけ目を瞬かせ、ふっと肩の力を抜いた。


「今夜は、ここにいます。扉の鍵は掛けますが、拷問はしません。命じられても、しない」


「命令に背くの?」


「道具にも、刃の向け方は選べる」


鉄扉の向こうで、遠雷のような低い轟きが、地下の空気を震わせた。

咲間は立ち上がり、灯りの芯を少しだけ絞る。


「水を、ここに。……手が震えるなら、言ってください」


返事はない。ただ、ウィステリアの睫毛がゆっくりと伏せられる。

眠りではない、刃を研ぐような沈黙。


二人の間に落ちたその静けさは、檻であり、同時に──どちらにも初めての、微かな“避難所”だった。



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