【Scene04:沈黙の檻】
風が止んだ。
交差の余韻だけが、夜気に薄く震えている。
咲間の刀がわずかに引かれ、刃先が月を払う。血はない。
「……速い」
ウィステリアの息がひと拍、浅く揺れる。だが退かない。
砕けたガラス片のように、刹那の軌跡が足元に散っている。
咲間は動かない。優雅な半身のまま、薄紅の瞳で彼女を測る。
「眠っていただくだけです。それが、私に課された役目ですので」
「なら──そのまま果たせると思わないことね」
音が跳ねた。
逆手の短剣が喉元をかすめ、咲間は一歩、砂を鳴らして退く。
刃筋を流し、鞘尻で角度を殺す。すれ違いざま、肩口にかすかな手応え。
(掠った)
ウィステリアは見逃さない。咲間の口角が、痛みを飲むように微かに歪む。
同時に、その瞳が──ほんの刹那、詫びるように揺れた。
「……すみません」
囁きと同時に、空気が変わる。
甘さのない冷たい匂い。舌の奥に金属の味。肺の底で薄い痺れが広がった。
(吸入──)
視界の縁が暗く滲み、足裏の感覚が遠のく。
膝が落ちるより早く、咲間の腕が支えに回る。
彼の掌には、空になった小瓶。
揮発性の“眠り”──肌と呼吸に触れた瞬間だけ効く、きわどい配合。
「眠ってください」
指先から力が抜けていく。
毒針のリングが、月明かりでひときわ小さく光った。
墨色の髪が肩をかすめ、丁寧な抱え込みに身が預けられる。
「……おやすみなさい。牙の姫」
最後に落ちた声が、夜の底で波紋になる。
――落ちていく。
眠りに似た深さへ。
その境目で、ウィステリアはかすかに覚えていた。
“道具”の顔をした男の瞳に、確かに宿った迷いを。




