【Scene03:交差する刃】
夜が敷かれた。
廃線跡のアスファルトはところどころ剝げ、金網は風に鳴るだけ。
遠くで、止まったままの踏切がかすかに軋んだ。
ヒールの音が、乾いた地面に細く刻まれていく。
ウィステリアは迷いのない歩幅で進む。呼吸は静か、肩は落ち、指先だけが毒針のリングを無意識に確かめていた。
──風向きが、変わる。
「こんばんは、“牙の姫”」
柔らかな男の声。けれど、鋼の匂いが混じっていた。
振り向くより速く、ウィステリアは横へ跳ぶ。
次の瞬間、夜気を斜めに裂く光条。風鳴りとともに、鋭い一閃が地面に火花を散らした。
「……ずいぶん、ストレートね」
「命令ですので」
声の主──咲間。
墨の髪を後ろで緩く結び、薄紅の瞳に淡い灯を宿したまま、刀を静かに構え直す。足幅は狭い。切っ先はぶれない。制圧の型だ。
「貴女に恨みはありません。上野の王が貴女を望んでいる。……ご同行を」
「“上野の王”──桜蛇会、ね」
ウィステリアは軸を落とし、背へ滑らせた右手で短剣を逆手に抜く。
毒針のリングが、かすかに月光を弾いた。
(間合いが近い。踏み込み一つで首を落とせる距離──殺す意志は薄い。眠らせに来てる)
咲間は一歩も寄らない。声だけが近づく。
「怪我は、させません。できれば、眠っていただくだけで」
「甘く見ないで」
足音が消えた。
刃と刃が擦れ、金属の悲鳴が路面を走る。
短い呼気。土踏まずの返し。袖だけを裂く浅い斬り。
ウィステリアの短剣が刃筋を外し、咲間の刀は切先で力を殺す。
二手、三手。
銀の軌道と黒い影が絡み、ほどける。
毒の指輪がひらめけば、咲間の鞘尻が即座にそれを叩き落とす。
どちらの刃にも、致命の角度は乗らない。
「……連れて行くつもりなら、まず“私の足”を折りなさい」
「道具は、必要以上に壊さない主義で」
「私は“道具”じゃない」
一拍、空気が硬くなる。
薄紅と夜色の視線がぶつかり、同時に逸れる。
再び交差。
咲間の袖に細い切り口、ウィステリアのグローブに浅い線。血は出ない。互いの“本気”だけが、ひとつずつ増えていく。
信念と命令。
奪う手と、奪わせない手。
その交点で、わずかなズレが生じた。
──片や「無傷の拘束」。
──片や「無傷の拒絶」。
同じ“鋭さ”で、目的だけが噛み合わない。
風がまた向きを変え、金網が鳴る。
二人は同時に距離を取り、刃先だけを落とした。
この夜の結論は、まだ出ない。
ただ、運命の歯車は──確かに噛み始めていた。




