『4章 枷咲(かせざき)』【 Scene01:道具の定】
咲間は、組の道具だった。
そう教えられて育ち、そう在ることこそ美徳だと疑わなかった。
【桜蛇会】──上野一帯を押さえる大所帯。
拾ってもらったのだ。凍える夜、血の匂いが残る廃ビルで、「可哀想に」と声をかけてくれた“あの人”に。
だから、忠誠を尽くすのは当然だった。
「拾っていただいた恩は、この命で返します」
その言葉に迷いはない。
ただ一度だけ、胸の底に微かな陰りが射す。
(……その“恩”は、本当に自分が望んだものだったのか)
考えるな。自分は道具。器。
それ以上でも、それ以下でもない。
──けれど、報告に添えられた一枚の写真で“彼女”の瞳を見たとき、
咲間のどこかで、かすかな音がした。
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薄暗い和室に、煙草の白が漂う。
畳の縁に射す夕闇の光の中、青年がひとり、静かに佇んでいた。
墨色の髪は首筋で緩く結い、肩に落ちた後れ毛が煙に溶ける。
中性的な顔立ち。目を細めた笑みは浮世離れしているのに、瞳だけが異様に鮮やかだった──薄紅。散り際の桜を閉じ込めたような、寂しさと光。
その視線が、煙の奥の会長をまっすぐに捉える。
「咲間」
名を呼ばれ、音もなく膝をつく。
「“ウィステリア”を知っているか」
伏し目がちに、静かに答える。
「……花の名にも、牙の姫にも、覚えがあります」
会長は口端をわずかに上げた。
「充分だ。……最近、界隈で話題の記憶施設の解体。主導がウィステリアだという話だ」
そして低く囁く。
「──我が組にとって、喉から手が出るほど欲しい“駒”だ」
咲間はゆっくりと目を伏せる。
感情の影は浮かばない。ただ整っている。
美しく、儚く、空虚に。
「お前にやらせる。単独で、だ」
「……私ひとりで。牙の姫は相応に手強いと聞きますが」
「嫌ならやめればいい。……使えない道具を、うちは置かない」
それが、桜蛇会の“常”だった。
道具には代わりが利く。忠実であるほど、容易く。
咲間は、糸のように目を細めて笑ってみせる。
何も思っていないように。まるで、空の器のまま。
「──拝命、光栄に存じます」
その声の底で、胸の奥がかすかに軋む。
それもまた“不要な感情”として切り捨てる。
(任務だ。道具として命令に従う。ただそれだけ。壊れたら、そこで終い)
ただ、それだけ──
少なくとも、このときまでは。




