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Tokyo Dusk  作者: 藤宮 柊
3章 『解体』
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【Scene16:Routine_Still Remember】



朝6時00分。アラームが鳴るより数秒、彼は静かに目を開けていた。

窓際から射す薄い光が、シーツの皺を淡くなぞる。手のひらでそれを整え、ゆっくりと身を起こす。


動きは相変わらず几帳面だ。けれど、胸の内側は──あの日より、確かに柔らかい。


鏡に映る自分を見て、銀の髪に指を滑らせる。

「……寝癖がつかなくなったのは、歳をとった証拠かな」

独りごちて、ほんの少しだけ笑った。


キッチンでドリップポットに湯を落とす。細い糸が粉を湿らせ、香りが部屋に満ちる。

湯音に重ねて、彼は無意識に鼻歌を口ずさむ。忘れたはずの旋律。

いまは覚えている。誰の歌だったかも──その口元から零れたあの日の光景も。


花音。

最期まで優しい目をしていた人。

このクロスの意味も、鼻歌の理由も、もう探さなくていい。

覚えている。声も、笑顔も、手の温度も。


トーストが跳ねる。皿へ運び、朝食を整える。

今日は少しだけ彩りを変えた。ヨルが買ってきた紫キャベツを添える。

変化を怖れないこと──それも、生きている証だ。


食後、食器を片づけ、クローゼットの前に立つ。

ネクタイを結び、ジャケットの肩を整える。

最後に引き出しから、銀のクロスを取り出した。掌に一度、包み込む。


「……君が託してくれたものを、今もちゃんと覚えているよ」


そっと首にかける。もう迷わない。

これは“記憶の象徴”であり、“誓いの形”。これからの歩みに寄り添い続ける印だ。


窓外では、朝の光が街を薄く染め始めている。マグを手に、その景色をひと呼吸だけ見つめる。

「……今日も、行ってくるよ。記憶の中の君へ。そして、生きてそばにいる、彼女のもとへ」


一日の始まりは、同じでいて──確かに違う。

変わったのは、彼の心。そして、もう迷わず“誰かのために生きる”と決めた覚悟。


扉の前で振り返り、部屋をひと睨みして、くすりと笑った。

「……ただいま、って言える場所があるのは、いいな」


その言葉を残し、彼は歩き出した。

変わらないようで、すべてが変わった“日常”の中へ。


* * *


昼下がりの《The Echo》共有スペース。

ステンドグラス越しの光が床に薄い色を落とし、冷房の吐息とカップの触れる音が午後を形にする。


「で、今朝の鼻歌、聞こえたぞ?」レインがカップを傾ける。

「浮かれてるよな、あれ」


「……なんで聞こえてるんだ」アリステアが眉を寄せると、

ヨルがぐいっと顔を覗き込む。「しかもクロス握ってなんかつぶやいてたよね? 毎朝祈ってる系男子?」


「……見てたのか」


「ばっちり」

「お前ら、ほんと暇か」ため息に、クロノが新聞を畳んで一言。

「“今日も、行ってくるよ……”ってな。壁が薄い」


笑いが弾ける。アリステアは苦笑しながら肩を落とす。

その背に、タバコの匂いが近づいた。振り向けばウィステリア。

紫煙の向こうで、どこか遠くを、しかし確かに“今”を見ている目。


「……そうやって、からかわれてるアリステアを見てるとさ」

彼女はくすりと笑い、瞳を細める。

「“ちゃんと帰ってきたんだな”って、思う」


アリステアは何も言わず、そっと目を伏せた。

それでいい。これがいい。

日常の声、笑い、視線──そのすべてが、いまは宝物だ。


きっと、明日も同じように始まる。

忘れないまま、生きていく。その証として、今日もまた。


覚えている。



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