【Scene10:残響】
薄暗い制御室に、青白いホログラムがゆらぐ。
開かれたログのひとつが記録再生を促していた。
──メタ:記録ファイル
【件名】個人記録/主任宛メッセージ
【作成者】カノン・シラトリ(花音)
【形式】映像・音声/内部配布未承認
アリステアが再生に触れる。空間に、軽やかな声が満ちた。
「テスト、テスト。……よし、録れてる」
モニターに映るのは、栗色の髪を後ろでまとめた女性。
白衣の袖をまくり、いたずらっぽい笑み。瞳は温かく、芯がある。
「ねえ、主任。これを見てるってことは、私はもうここにいないんだと思う。
それでも、あなたの中に“何か”が残るように――ちゃんと残しておくね」
花音はふっと目を細める。
「主任のコーヒー、苦いんだもん…。いつも言ってたでしょ、私。 『お子様な舌で悪かったですねー』って。覚えてる?」
机の上のカップがカランと鳴る。
「私ね、“記憶”ってただの記録じゃないと思ってる。
誰かを好きになったこと、心で震えたこと――それは存在の証だと思うの」
笑顔が少しだけ寂しげに揺れた。
「もし私のことが全部消されても、誰かが覚えていてくれたら、それでいい。
あなたが、一人でいいから、思い出してくれたら――」
息が震える。声が少しだけ掠れる。
「それが、私にとっての救いなんだ」
映像が静かにフェードアウトする。
沈黙。
ウィステリアは言葉を持たず、アリステアの横顔を見守る。
彼は動かない。背筋は伸びたまま、指先だけが強ばる。
襟元のチェーンが、胸もとでわずかに触れ合った。呼吸が一拍、浅くなる。
声が出ない。
唇が言葉を探すたび、音になる前に消える。
それでも視線はスクリーンを離れなかった。
誰かを想い、誰かに想われた証に、いま確かに心が触れている。
アリステアは、静かに立ち尽くしていた。
記録の残響だけが、室内の青白い光に混じっていた。




