【Scene09:鍵を持つ者たち】
無機質な白のパネル。天井まで伸びるデータカプセルの列。
音はない。電子パネルの微かな律動だけが続く。
クロノが中央制御端末にコードを差し、層を次々に展開する。
「……この記録階層、明らかにおかしい。個人IDに紐づくログが断絶してる。通常の“退職”処理じゃない。誰かが“記録そのもの”を削ってる痕跡だ」
後方でレインが腕を組む。
「……情報の墓場ってわけか。痕跡ごと消すやり口、腹立つな」
ウィステリアは壁際のスキャンを見つめる。
登録名のない欠番データが、静かに点滅していた。
──記録上“存在しないはず”の人間の、断片。
「……消された“記憶”を掘り起こせるなら、ここしかない」
クロノが更に踏み込む。だが──
──アクセス拒否:オーソリティ不足
──要求権限:主任以上
「……レベルが違う。“主任権限”じゃないと、これ以上は無理だ」
その時、背後から足音。
「……なら、私がやろう」
振り返ると、アリステアがいた。
照明の下、静かな眼差しで端末を見据える。その歩みに、迷いは見えない。
クロノが低く問う。
「どうして……」
アリステアは目を細める。
「わからない。……でも、知りたいと思った。ここに何が隠されているのか。私が、何を見落としてきたのか──知りたくなったんだ」
ウィステリアがゆっくり近づく。
「あなたが“思い出す”ことができたなら。この研究所の罪は、あなたの手で明らかになる」
アリステアの視線が揺れる。
「……“罪”?」
「ええ。記憶はね、“消せば消える”ものじゃない。残るのよ、忘れたくない気持ちの中に」
その響きに、彼は息を止めた。
誰が言った言葉だったのか──思い出せない。けれど胸の奥にだけ、確かに残っている。
「なら、あなたにしか開けない“鍵”がある」
ウィステリアの一言に、アリステアは頷き、端末へ手を伸ばす。
──認証開始:主任権限
──認証結果:成功
──封印階層:解錠
封印された記録層が、ゆっくり展開していく。
名のない断片。削除済み会話ログ。抹消されたID。痕跡だけの“彼女”。
ウィステリアが息をのむ。
「……花音……?」
その名に、アリステアの指が止まる。記憶はまだ戻らない。
ただ、内側で“何か”が目を覚まし始めていた。
クロノが表示を重ねる。
──抹消待ちエントリ
【対象】カノン・シラトリ
【職位】副主任研究員
【状態】権限削除/存在ログ破棄処理中
【可視性】0(組織内検索から非表示)
【関連】主任記録:同時期“修復処理”複数回
レインが小さく舌打ちする。
「やっぱりな。加害者であり、被害者でもあるってことか」
ヨルは黙ってモニターを見つめ、名を胸の内で反芻した。花音。
ウィステリアが短く告げる。
「先に進めるのは……あなたしかいない」
アリステアは無言で頷き、さらに深部へアクセスした。
──記憶の扉が、開こうとしていた。




