【Scene05:静寂の臨界】
ある日の夕刻。
窓の外は、紫がかった灰色に沈みはじめていた。
館内は変わらず白い光。空調の低い唸りだけが続く。
アリステアは端末に向かい、正確なリズムで記録処理を進める。
指は無駄なく動き、視線はブレない。感情というノイズは見当たらない。
ふと、隣の空席へ視線が流れる。
何も置かれていない、ただのスペース。
「……おつか──」
自然に口をついて出た言葉を、飲み込む。
──誰に? なぜ?
理由はわからない。ただ、そうすると落ち着く気がしただけだ。
壁時計は一分遅いまま、正確に遅れている。
襟元のチェーンが、胸もとで小さく触れ合った。
その瞬間──
──ドン。
建物の奥から、鈍い衝撃音。
空気が微かに揺れ、照明が一度だけチカつく。
アリステアは手を止め、眉をわずかに寄せて立ち上がる。
廊下の向こうで、ざわめきが連鎖する。
「……爆発音?」
「今の、実験予定にありましたっけ?」
「火災? でも警報は──鳴ってない……?」
非常灯がゆっくり点滅をはじめる。
──ログ:衝撃検知/レベル:低〜中
──アラーム:未作動/非常灯:点滅
──原因:不明
誰も「襲撃」とは言わない。
外敵に狙われる理由が、ここには“存在しない”はずだから。
白衣の研究員が駆け寄る。
「主任、大丈夫ですか。確認、されますか?」
アリステアは短く頷く。
「……まずは落ち着いて行動を」
視線は施設の奥へ。閉ざされた階層の、その向こう。
彼は一歩、廊下へ踏み出した。
「私が確認してくる」
足取りはいつもと同じに見えた。
だが、静寂は臨界を越えていた。
──この“日常”そのものが、嘘であることに。
彼は、まだ気づいていない。




