【Scene03.5:倫理なき純白】
「国の方が、こうして現場まで視察に来てくださるなんて……本当に光栄です」
白衣の胸元には記憶改編技術研究局の刺繍。
過剰に清潔な廊下、無機質な照明。空調の低い唸りだけが続く。
レイン──いや、視察官セイジは柔らかく微笑む。
「現場主導での倫理配慮、確認させてもらえれば。あくまで“定期監査”の範囲内です。構えず、普段どおりで」
「もちろんです! では、こちらへどうぞ。現在は《社会適応型記憶フィルター》の長期被験群を──」
強化ガラスの向こう、ソファに初老の男性。瞳は空ろ、口元は微笑。
モニターには簡潔な数値。
──モニター:幸福度:93%/ストレス指数:低
案内役が誇らしげに続ける。
「この方は、かつての災害で奥様とお子さんを亡くされましたが……記憶除去後は、とても穏やかな日々を送られてます」
「……そうですか」
「今では“その出来事自体”が、脳内から完全に抹消されています」
レインはメモ端末に視線を落とし、淡々と問う。
「倫理委員会の事後承認は?」
「もちろん。本人の同意書も。“苦しむ記憶を持ち続けるくらいなら、忘れたい”──そう話されてました」
“そう話していた”という記憶も、今の彼には残らないのに。
レインは笑顔を崩さない。指先だけが、わずかに震えた。
次の区画。被験者が“誰もいない椅子”へ穏やかに語りかけている。
壁面のラベルには機能名。
──ラベル:幻影的記憶投影
「愛する人を失った方の精神安定に、非常に効果があります。“過去の幸せな記憶”だけを残し、現在の喪失を上書きするんです」
「上書き、ですか」
「ええ。人は過去に縛られて苦しむ生き物ですから。私たちは、その呪いから人間を解放しているんです」
レインはガラス越しのモニターへ目をやる。
被験者は笑顔で手を振る。空席の前に、花が一輪だけ活けてあった。
“そこにいた誰か”はもうこの世界にいない。
「──倫理規定は厳守されていると、受け取っておきます。あと一点、主任研究室にはアクセス可能でしょうか?」
「ええ……主任のアリステア先生ですね。現在会議中ですが、お部屋でしたらご案内できます」
「ぜひ」
視察員の仮面のまま、レインは静かに告げる。
「念のため。中枢に近い領域は、目視で確認したいので」
研究員は、にこりと笑って頷いた。
それは純粋で──そして、恐ろしいほどに無邪気だった。




