【Scene02:Distortion】
朝八時ちょうど。
エントランスのゲートが無音で開き、センサーが識別タグを読む。
「おはようございます、アリステア主任」
受付AIの声。アリステアは小さく頷くだけだ。
白で統一されたフロア。壁に浮かぶ記憶改編技術研究局のロゴに、薄い青光が走る。
床材は吸音仕様で、足音はすぐ空気に溶けた。
すれ違う研究員たちは、同じ角度で会釈し、同じ言葉を置いていく。
「おはようございます」──温度も抑揚も、そろっている。彼は気に留めない。
廊下を抜け、扉の前で立ち止まる。
自動ドアが横に滑り、整然と並んだデスクが現れる。清掃は完璧。配線も直線。
一番奥、窓際の席だけが──空席だった。
アリステアは自然な動きで、その空席へ小さく会釈する。
「……おはよう。今日もいい天気だ」
返事はない。いつものことだ。
彼は自席へ向かい、椅子を引く。端末の電源を入れ、ルーティン通りにログイン。
画面の片隅に、短い行が点滅する。
──ログ:リンク不整合/対象ID:存在せず
アリステアは視線を滑らせ、通知を閉じる。問題なし。タイピングを再開。
隣の空席に視線が流れ、すぐ戻る。
デスク脇の小さな缶に、紅茶の茶葉。彼は紅茶を飲まない。
いつから置いてあるのか、思い出せない。必要もない。そう判断して、手は止まらない。
スクリーンにグラフが展開される。幸福度の数値は設計値どおりに上昇。ノイズは少ない。
フロアの空調が一定のリズムで息を吐き、壁時計の針は一分遅いまま進む。
寂しさはない。
これも“いつもの朝”に含まれている──彼にとっては、ただそれだけだった。




