『3章 解体』【Scene01:Routine】
朝六時ちょうど。アラームが鳴る。
アリステアはすでに目を開けていた。
数秒前に覚醒し、無音の中で“その瞬間”を待っていたかのように。
シーツの皺を片手で伸ばす。無駄のない起き上がり。
窓辺には柔らかい朝の光。
灰銀の髪をきちんと撫でつけた横顔は、彫刻めいて整っているのに、人間味の温度だけが欠けている。
白いシャツの袖を滑らかに通す。ボタンを上から下へ、一定のリズムで留める。
青灰色の眼差しは静かで、感情の起伏は水面下に沈んだまま。
キッチン。ドリップポットを傾け、細い湯を落とす。
小さく、鼻歌がこぼれた。旋律は知っているはずなのに、曲名を思い出せない。
コーヒーの香りが広がる。
トースターのレバーが上がり、こんがりと色づいたパンが跳ねる。
皿にのせ、サラダとスープを寸分違わぬ配置で並べる。毎朝の、同じ位置へ。
食後、洗い物を済ませる。
クローゼットの扉を開く。アイロンの折り目が揃ったシャツ、グレージャケット。ネクタイを結び、引き出しから──銀の十字架を取り出す。
「〜♪」
鼻歌の続き。
チェーンを首にかけようとして、手が一瞬だけ止まった。
この十字架は、どこで手に入れた?
信仰はない。なのに、どうして毎朝つけている?
胸の奥で、小さな“ひっかかり”が音を立てる。
壁時計を見る。
短針と長針は正確なはずなのに──**一分だけ遅い。**昨日までは、遅れていなかった。
微笑をつくり、口元を指先で整える。
「変だな。何か、忘れているような……」
独りごとを空気に溶かし、靴を履く。
鍵を取り、玄関のドアを閉める。ヒンジの音はいつも通り。廊下の照明も、いつも通り。
今日もまた、変わらない一日が始まる。
──それが、静かに、確かに、崩れ始める日だとは知らないまま。




