【Scene11:記憶撹乱施設 “白の箱”】
視界に色はない。
壁も、床も、天井も、すべてが白。
音源の位置すらわからない薄い反響だけが、均一の静けさを汚している。
ヨルはその中心に座らされていた。
椅子は固定されていない。手足も縛られていない。
それでも立てない。空間そのものが、足許から均衡を奪っていく。
天井の淡光が無感情に明滅し、正面の白壁がモニターへ転じる。
まるで“記憶を実地で再生する”かのように、映像が流れ始めた。
> 『ウィステリアは、君を守るために戦っていると思っていた?』
「……思ってた、じゃねぇよ」
掠れた声。だがまだ芯がある。
> 『ではなぜ──あのとき、君を置いて逃げた?』
「逃げてねぇ……!」
拳を握り、立ち上がろうとする。
だが身体が重い。記憶と現実の境界が、足元を濁らせる。
> 『彼女の選択が、正しかったのか?』
『君の存在は、“代替可能な歯車”だったのでは?』
『思い出して。──誰が君を抱きしめた?』
沈黙。
ヨルの瞳が、わずかに揺れる。
──姉さんは、そんなやつじゃない。
だが映像は、偽の記憶を本物の文法で流し込む。編集された“もう一つの真実”が、ひたすら白の上に重ねられる。
──心が、擦り切れていく。
「……俺は」
声にならない声で、言葉をつかむ。
「俺は、……“あの人に、助けられた”んだ」
ガシッ。
ヨルは椅子を蹴るように立ち上がった。膝は震えても、視線は落とさない。
「俺は──あの人の“弟”だ。それだけは、書き換えられねぇ」
その言葉が空間に響いた瞬間、照明がバチンと一度だけ強く明滅する。
──記録ログ:精神抵抗レベル 上昇
──記憶操作:失敗
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強化ガラス越し。真っ白な処理室を監視する黒いフードの百目羅刹操作官が、舌打ちを落とす。
グローブの手がパネルを乱暴に叩くたび、画面に赤い警告が点滅する。
> 【記憶改ざん:失敗/対象意志力 想定超過】
【再構築率:6% 効力:不完全】
【補助薬物:効果 限界域】
「……使えねぇガキだな」
タブレットを投げ、背後へ声を飛ばす。
「補助班、次の投与を──」
言葉が途中で止まる。
記録モニターのヨルが、再び顔を上げた。何を見せても揺れない。何度“書き換え”ても、姉だけは壊れない。
「……そうか。じゃあ、次は“あの女”を見せてやるか」
冷たい声音で囁き、操作官はスイッチを切り替える。
ホロ画面に浮かぶウィステリアの姿──ただしそれは現実ではない、百目羅刹が“創った”像。
「──今度こそ、壊れてもらう」
指先がタッチパネルを押し込む。
照準がゆっくりと“白の箱”の内部へズームしていった。




