【Scene 19:脱出】
「別に組を裏切るわけではない。……独り言だ」
その一言に、ウィステリアは目を細め、レインは口の端をわずかに上げた。
「──位置を教えて」
ウィステリアの短い指示に、カグラは壁面の一点を顎で示す。
「左奥の配管の継ぎ目。支柱を二つ越えた裏、保守シャフト。……内部は狭い。屈んで進め」
「俺が先行します。狭所です、列は崩さず接触なしで」
咲間が即答し、前に出る。
「了解」
レインが短く返し、殿に回る。ウィステリアは眠るミトを抱え、そのすぐ後ろへ。ヨルはふり返り、最後尾を確認するように声を落とした。
「……来ないの?」
アキラは俯いたまま、拳だけが微かに震えている。
カグラは、ヨルにではなくアキラに視線を置いたまま、淡く笑った。
「俺たちは残る。……お前たちは“クロウを倒して正面から離脱した”。記録はそうなる」
ウィステリアは指先で薄い黒のイヤーカフを弾き、アキラの掌に落とした。
「困ったら、これで呼べ。牙の臨時回線。合言葉は『赤い雨』」
「一度だけ、三十秒。使い切ったら折って捨てて」
ヨルが短く付け足す。「片道仕様。盗聴はされない」
カグラは静かに頷いた。
「……借りた。ウィステリア、レイン、ヨル、咲間…名前、覚えておく。……ありがとう。俺達のことを気にかけてくれて」
カグラが静かに言い、壁板の隙間に指を掛ける。
重い金属が擦れる音――シャフトの口が現れた。
「皆さん、俺の後ろを」
咲間が身を滑らせ、ウィステリア、ヨル、そしてレインが続く。
レインが最後に振り返ると、カグラは入口の縁に手をかけ、アキラの側に立ったまま目を伏せた。
「……もう、いいんだ」
カグラの小さな呟きに、返事はない。だがアキラは、もう目を逸らしてはいなかった。
シャフトの蓋が音もなく閉じる。
薄闇の抜け道を、四つの影が静かに進む。呼気と衣擦れだけが、狭い空間に淡く残る。
足音が遠のき、再び静寂。残ったのは、崩れた烏の黒と、二人分の影だけ。
迫る隊列の規則正しい靴音が、廊下の向こうで反響する。
アキラの拳が、かすかに震えた。
カグラはそれを見ようともせず、ただ前を見た。
──闇の縁で、光へ向かう者たちの背を。
二つの影は、黙って見送っていた。




