【Scene 15:漆黒の烏】
「……くだらん茶番だな」
空気がひっくり返った。
冷えが背骨を逆流し、耳鳴りの手前で音が潰れる。
重い扉が、傷んだ蝶番を気遣うように、ゆっくりと口を開いた。
黒衣の男が、入ってきた。
足音はない。それなのに、心臓の裏を黒い爪で撫でられるような不快さだけが、確かに近づいてくる。
「……ッ、クロウ……」
アキラとカグラが、同時に一歩退いた。
まるで自分の影を踏みつけられたかのように、肩が硬直する。
「No.81、No.82──随分ぬるんだ場所で遊んでいたな」
番号で呼ばれた瞬間、ふたりの喉がわずかに鳴った。
牙の誰も、彼らの“恐怖”を初めて見た。
「……あんた、誰だ」
低い唸りが、空気を裂く。レインだった。
伏せた睫毛の奥で、獣が牙を畳むように、視線だけが鋭く光る。
黒衣の男──クロウは、塵を払うように片手を振った。
「下衆な侵入者に名乗る義理はない。
私の任務は、感傷遊戯の観客になることではない。
“器”の管理、“異物”の排除──それだけだ」
乾いた金属音。黒の銃口が、まっすぐウィステリアへと向く。
温度が、音もなく数度、下がった。
「待て」
床が鳴らずに沈む。レインが前に出る。
疾駆の直前に身を落とす獣の姿勢。視線は銃口の奥、さらにその先へ。
「勝手に引き金引く気なら──先に落ちるのは、そっちだ」
咲間も一歩、静かに踏み出した。
表情は柔らかいままなのに、瞳孔の奥に、冷え切った火が灯る。
「この場に“牙の意志”を越えて介入するなら──」
「──まず、俺たちが相手をします」
同時に、ヨルが半歩、檻へと体を向けた。
ウィステリアが手の甲で合図し、彼の肩をそっと押し戻す。
咲間の視線が一瞬だけ振り向き、ヨルの前へ薄く壁を作った。
クロウは、退かない。
無機質な視線が、ウィステリア、レイン、咲間を順に測り、最後に檻の中の少女へと止まる。
「器は回収対象。No.81、No.82──貴様らの情動は後で処理する」
その声に、アキラの指がわずかに震え、カグラの奥歯が噛み合った音が小さく響いた。
ウィステリアが、ほんの半歩だけ前へ。
黒髪が揺れ、月のない夜のような瞳が、銃口と一直線に結ばれる。
「ここはもう檻じゃない。……通さないよ」
答えの代わりに、クロウの人差し指がわずかに動く。
引き金まで、あと一呼吸。
牙が誇る二本の刃が、同時に閃いた。
レインの踏み込みと、咲間の線の細い軌跡が、漆黒の烏へ切っ先を重ねる。
静かに、確かに──
“家族”を守るための戦いが、今、始まる。




