【Scene 03:座標】
「……ウィステリア。少しいいか?」
場の喧騒をすっと切り取る声だった。
入口に立つクロノの手には薄型端末。紺の袖口から細いコードが覗く。
彼女は視線だけで応え、湯気の立つカップを咲間へ押しやる。
「お願い。ちょっと見てて」
「……了解です」
黒い裾が椅子の背をかすめ、ウィステリアは立ち上がる。
ふたりはラウンジ奥の小部屋──仮設の作戦卓へ入った。
扉が静かに閉じ、電子音だけが残る。
「外部分析班から回ってきた記録だ」 クロノが端末を叩くと、天板にホログラムが浮く。
粗い上空映像。錆びた通気塔、崩れた梁、瓦礫の海。
右下に走る座標と時刻。今朝、微かな熱源が点いたまま消えない。
「……この座標、見覚えある?」
ウィステリアは目を細める。 名もない施設の跡。
朽ちかけたロッカーの側面に、小さな手形のような錆が残っていた。
「十数年前に放棄された“紅蓮団”の実験拠点。記録上は封鎖済み──なのに今朝、非常用電源の立ち上がりが検出された」 クロノの声は淡々としている。
別ウィンドウが開き、文字列が滲む。 《抑制具/投薬ライン/爆薬残渣》──記録は途切れ途切れ、ところどころ黒塗り。
「……“子供”が関わってた痕跡がある」
嫌な予感が、胸を撫でる。
ウィステリアはホログラムの地図を拡大し、指先で周辺をなぞった。
「この辺り……曖昧だけど、ヨルを拾った地点に近い。関係してる可能性は?」
「高い。いや──本人が見れば、はっきりするはずだ」
短い沈黙。
「“牙”全体で動く必要は?」
「…ない。調査班単位なら動ける。任せる」
「……分かった」
取っ手に触れると、金属はまだ朝の温度をわずかに残していた。 ウィステリアは扉に手をかけたまま、振り返る。
「……クロノ、こういう時だけ静かにしてるから、分かりやすいよ」
「……否定はしない」
ふたりの口元に、かすかな笑み。
次の瞬間、ウィステリアの瞳からは朝の穏やかさが消えていた。




