02 はじまりの変化2
あれから数日後、家族が面会に来た。父、母、妹。見慣れた三人がオシャレを決め込んでいる。
母がまず言った。
「どうしてそうなっちゃうの」
そして父も言った。
「男が好きなのか?」
あたしは絶望の淵に立った気がした。
「ふたりとも、なんでそういう言葉なの? ボクがどう頑張ってもなれなかった存在に、この変化でなって、やっと、あたしって言えるのに。今なら自分に納得できるのに。なんで最初の言葉がそうなの? 今まで話してきたじゃん。悩みのことも。なのになんで?」
そんな言葉を聞くと、妹が口を開いた。
「そりゃビックリするよ」
――話していたのに? これじゃぁもう…気持ちの向かう先が違くない?
あたしはまだ理解されていない。そう思わされることに、もううんざりだ。
「あたしは自分の好きなように人を好きになるし嫌いにもなる! 勝手に決めるな!」
少しの間、静けさが部屋に満ちていた。
それから最初に口を開いたのは妹だった。
「お兄ちゃんはお姉ちゃんになった。お姉ちゃんは今の状態にしっくり来てるしそれらしく振る舞う……それができるんだね?」
「できるよ、あたしはあたしだからね。いい加減、今のあたしに合う服だって着たいし、歌や小物、髪型もそう、もうコレで言い合うのはうんざりなんだけど?」
「…分かった。ごめん、うまく…すぐに味方になれなくて」
「……ううん、分かってくれたんなら……いい」
理解の類の言葉を吐いたのは、妹だけだった。
無事の確認や着替えの受け渡しが済んだら、家族三人は帰っていった。
着替えは男物やどちらでも着れそうな物だけだった。あたしの服なんてそんなもの。以前の姿のまま女物の服のコーナーや店に行って誰かに嫌な思いをさせるのも嫌で、そういった服を買うことはできていなかった。まあ行ったことがない訳ではないけれど。
そもそも引きこもりだった。人と会うこと自体を嫌いになっていた。
でもこれからは、もう少し勇気を出せそう。しっくり来る自分を鏡で見ることもできるから。
数日間の実験の末、あたしのSTEOP能力が判明した。「艶を取り戻させる」というもの。
そうだと分かったのは、壁紙に手を当てながら歩いている時に、その壁の汚れが消えて新品のようになったのを見た研究所員に呼び止められたからだった。
それからも数々の検証を行なった。
どうやらあたしは、錆びた部分を艶々にすることもできるし、髪も艶々にできる。もちろん、頭皮を洗う行為や風呂なんかのことをやらないことは考えられないけど、トリートメント代なんかは浮きそうだ。
STEOP能力が判明してしまえば、次は、新ヶ木市のどこに住むかだ。同時に、職を考えなければならない。
今のあたしは二十歳前後くらいに見えるそうで、これを考慮すると学生でもいいらしい。所員がくれた案内の用紙を見ながら、いつものロビーで考えた。
新ヶ木市に住む者は、ひとつだけコンプレックスを解消できていることがほとんどなので、割合美人が多い。容姿を活かした仕事はほかの人にしてもらう方がいいかもしれない。なにせ、身長はそこまで高くないのだ。あたしは160センチメートルくらい。
悩んでいるところに、女性の声が掛かった。
「容姿を活かしてもいいんですよ? 睦月さんは可愛いし、クールに見えてころころ表情が変わるから、色んな顔を色んな人に届けることもできそうだし」
声の方にいたのは、白衣の所員の女性だ。
「そ、そうかなぁ…」
照れてしまった。
素直に言ってくれたみたいで――ファイト! という感じで拳を握ったポーズもされている。
そこまで応援されているならと思えるほどには、自分の姿に自信を持っていいように思えてくる。それが嬉しい。そう思わせてくれたことが。
「うん…そっち方向で頑張ってみようかな。ありがとう、えっと……三島さん」
白衣の左胸の名札にそうあった。
三島さんは笑顔で手を横に振って、そんな大層な助言でも何でもないよと言わんばかりに去りつつ――
「元の姿でもできそうだったことは、大体できるよ、ガンバレ! 応援してるからね!」
この言い終わり頃に、今度は親指を立て、グッドサインをした。
どんなに元の姿を褒められても、それはそれだ。あまりいい気はしない。まあ前向きな言葉だったのは嬉しかったけど。
ただ――外に出られるかどうかと、人をうまくあしらえるかどうかは、また別だ。
――問題はそこにもある。……どうしようかなぁ……。というより、どういう風にならできるかなぁ……。
結局、あたしが選んだのはモデルの仕事だった。
新ヶ木市の中心地に事務所がひとつあるらしい。研究所には相談室があって、そこでその事を知った。その事務所でお世話になりたい。
まずはそのためにどこに住むか。
STEOPに目覚めていることから支援金が出ていて、指定のマンションになら格安ローンで住めて、支援金がそれに使える上、それでもまあまあ残るらしい。その中でも事務所に一番近い所を選ぶことにした。
「やっていけるの?」
「大丈夫」
母とそんな話をした際に使った電話機「フォンボード」は、スイッチひとつでピンクの可愛い腕時計へと変化する。昼二時なのが確認できたから研究所内の食堂に向かった。
そこでついでに用紙に必要事項を書き込む。
食堂で頼んだのはパスタ。被験者には無料。注文の品の載ったお盆をテーブルに持っていく時、何かが前からぶち当たってきた。水だった。
おまけに声も。
「元男のくせに人を誘惑すんな」
言ったのは女で、彼女はすぐに去っていった。
あたしは静かに、ただ誰へでもない声をこぼした。
「そんなことしてないし…」
「お世話になりました」
住むことになったマンションに移ったのは、それからすぐだった。
正直、何人かに対しては、逆にこちらがお世話した。それも説教という名の。あたしも気が大きくなっているかもしれない。肝に銘じることにした。でも間違ってはいないと信じたい。
そうこうして始めた仕事は順調に行きそうだと思えた。そりゃあ確かに最初は知らない事ばかりで焦ったりしたけど。
「いい顔するじゃん」
と言われることがあった。胸に充足感が溜まる。
できなかったことがどんどんできるようになっていく。
「この服、欲しい」
「いいよ、あげるあげる」
そんなやり取りもあって、変装して買いに行くこともあって、可愛い服、ボーイッシュな服や靴など、色々と増えた。初めは歩き方に気を付けないと危なかったけど、最近はそうでもない。
食事は店で済ませることもあれば、自炊もする。掃除は時々。自分のSTEOPを使えば綺麗にできる物は多いから、これに関しては大助かりだ。
洗濯なんかは特に必要なかった。新品のようにすることがSTEOPによってできる。この力は、物の状態を最も良い状態にできるというものらしい。それは「つや」だけではないようだ。手間が掛からなくなるから、とてもいい。ただ、それでもSTEOPなしにできたらその方がいい。もしもの時に役立つし、あたしの家でほかの人が困る事がありそうだから――家にはきちんとそれらを置くことにした。掃除機も洗濯機も洗剤も。
生活は一変した。
苦戦することもあったけど、何よりできることが増えていくのがやっぱり嬉しい。最近は可愛い食器探しに夢中だ。
メイクは自分ではそんなにしない。ナチュラルさを大事にしたいと思っているし、自分があまり得意じゃない。大体はすっぴんだけど、それでも見れる自分をあたしは「これでいい」と思えるようになっていた。それに、一番「艶」がいい時の肌や髪質に戻せるから、何かの折にはSTEOPを使うという手もある。
妹から、こう話されることもあった。
「雑誌、見たよ。凄いじゃん。うまくやってるんだね。めちゃくちゃ可愛かったよ」
うまくやれている。そう実感する。
そんなある時だ。
あたしはその日、可愛い物探しと称して、小物店やカフェ、文具店なんかを巡っていた。これは定期的にやるようになったこと。今日は何に巡り会えるんだろう、そう思うと、いつも気分が高まる。
以前はネット越しにしかできなかったこと。
香り玉の小瓶なんかも好きで、手に取って眺めている時だった。
「キミそういうの好きなの? 意外だなあ」
男性の声だった。ハッキリ言ってナンパだと思った。
「ね、これから暇? ちょっと俺と遊ばない?」
――やっぱり。
髪が紺色の男性。服もオシャレ。
いい加減な人に見えなくもないけれど、申し訳なさそうに誘っている顔には見えた。
こんな時どうすればいいのか。あたしはまだ慣れていない。初めてのことで……自分から誘ったことすらないし…。
「変なことしないって」
そう笑った彼の顔は、人を騙す人のそれには見えない。
彼と目を合わせると、なぜか「彼はいい人」という感覚がして、あたしは気を許した。
明るくてふんわりとした笑顔につられて、そんな男性について行く。
話も面白かった。冗談を言ったりナンパの失敗談を聞いたり。
「キミが欲しそうな可愛いものも意外とあるんだよ」
「本当? 見たいかも」
そんな話もした。
連れて行かれた先はクラブだった。初めてそんな場所に入ったせいか息がし辛くなった気がした。なぜかドキドキして、その音は、クラブに流れる音楽よりも大きく聞こえた。
「こういうの好きじゃないの?」
こちらの表情を見たのか、彼はそう言ってまた申し訳なさそうな顔をした。あたしはまた、なぜか「彼はいい人」という感覚を得て――
「や、わかんない。音楽は好きだけど」
「じゃあこっち。来て」
奥の部屋に通された。そこには五人くらいの男性がいた。
――えっ。イヤだ。何かある。絶対何かされる!
怖くなって逃げ出したかった。振り返ってドアレバーを動かした。でも半分くらいしか動かない。
「カギは掛けてるよ」
ニヤニヤした顔で、さっきまで優しい顔だった彼がそう言った。
――ウソだ。イヤだ。イヤだ!
とにかく、ドアを叩いたり、ドアレバーを動かしたりした。外の人に気付いてほしいという一心で。
「助けが来るワケないだろ? バレるようなヘマすると思うか?」
――イヤだ! イヤだ! 誰か助けて! 誰か!
こんな悪人のことが大嫌いで、人間をそんなに好きになれなくて、でも優しい人のことは好きで――そう思うようになった理由を思い出した。前にも、似たようなことをされた。下卑た人間の相手をさせられた。そのことが頭をよぎった。
――また同じような目に遭うの? 今度はこの姿で? 普通の人だって信じただけなのに。イヤだ! 誰か!
いつの間にかほとんど下着姿にされていた。変装用の可愛いシャツのボタンも、意味をなさなくて――
――触るな! やめろ! 気持ち悪い! イヤ! 誰か!
その時ドアが開いた。開いた所から入ってきたのだろう誰かの声が耳に入った。
「ハイ動かないでねー」
青い制服。警察だった。
最終的に、あたしが騙されて連れて来られたことに関しては、警察は、真実として受け留めてくれたようだった。ついでにあたしは洗脳されたと聞いた。なんて恐ろしい。
その時こんな話も聞いた。
「あなたのファンがこのクラブにいたらしくてね、変装していても分かったらしい。その女性が言うには、あなたがこんな所にいるのは変な気がしたらしくて。それからドアを叩く音に気付いて通報したと言っていた。よかったね、あなた自身があなたを助けたとも言える」
「その人は…? その人はどこに……?」
「さあ…。さっきはそこにいたんだけどなぁ」
知りたくなった。感謝したくなった。探してみた。
だけど、もう、店のどこにもいないようだった……。




