表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/19

14 宿の夜

 風呂から上がって、浴衣に着替える。

 それが済んですぐ、記念に撮っておいた。宿での自分たち。いつもと違う格好で、どうせなら楽し気にした写真。いい思い出になるはず。嫌なことも思い出すかもしれない、でも、嬉しいこともきっと思い出す。

 ある時、ちあちゃんが言った。

「ちょっとトイレ」

「じゃああたしも」

 一緒に行った。

 そしてその帰り。

「あっ」

 広い談話用のスペースの横の廊下を通っている時に、ちあちゃんがそんな声を上げ、体勢を崩した。

「ちあちゃ……!」

 あたしが手を伸ばしても届かない。

 ちあちゃんが自分で自分をかばうことはギリギリできたようで、顔や頭を床に打つことはなかった。ちあちゃん自身の腕が下敷きではあるけど。

「大丈夫……? なんで――!」

「分からないけど、スリッパが勝手に――」

 辺りを見た。仲居が遠くにいたり、談話スペースの椅子に男がひとりいたりしているけれど、どうも彼らではなさそう――今の出来事に驚いているみたいだった。

 一応警察に連絡。誰かがSTEOP(スティープ)能力を使った可能性は記録された。

 数分後、偽名で泊まっている男がいたのが分かったようで、影ながら顔認証が行なわれた…ということが知らされた。

 調査の結果として、談話スペースのあの男が捕まった。

「ち、違う! 頼まれて……!」

 不穏な言葉はその男のものだった。

「ちあちゃん……」

 あたしはちあちゃんを抱き締めた。もしかしたら気を失っていたかもしれない。今のちあちゃんの温かさを、あたしは確かめた。

 ちあちゃんはあたしをそっと抱き返した。

「私は無事だよ、気にしないで」

 イケメンスマイルが愛おしい。

 廊下の遠くに同級のボスがいるのが見えた。彼女は嘲笑うような顔をこちらに見せると、階段へ向かい、そして上がっていった。

 ――いい思い出を作りに来たのに……。

 あたし達はしばらく抱き合っていた。

 部屋へ戻った時、床に布団が敷かれているのが眼鏡越しに目に飛び込んできた。ふたつ並んでいる。

「色々あって……疲れちゃったね」

「うん……」

「もう、寝よっか」

「……うん」

 あたしは簡単な返事ばかりをして、それから布団に入った。ちあちゃんもイン。ただし、ちあちゃんはあたしの布団に入って、隣の枕を引っ張ってきた。

 今日みたいなことはもうないといい。帰ったら安心できるかも。あの同級のボスも、あたしの今の住所を知っているワケではなさそうだし――もちろん、ちあちゃんの住所も。ただ……今も安心したい――。

 あたしがそう思った時、ちあちゃんが起き上がった。布団の中で、あたしに覆いかぶさるようにすると――。

「あんなこと忘れよう。私のことだけ考えて、私のことだけ触れて――」

 あたしの胸が、どんどん高鳴っていった。

 唇同士が触れ合った。

 忘れよう、今はこんな大事な人が目の前にいるんだから――あたしがそう思った時、ちあちゃんの腰が、あたしの腰に密着した。

 瞬間あたしの脳裏に浮かんだのは男の顔だった。ちあちゃんの顔じゃない。

 嫌だと思った。こんなのじゃ嫌だと。

 怖くなった。

「いやっ……! やっ……!」

 つい、ちあちゃんを押しのけてしまった。

 泣きたくなってしまう。「ふっ…」と声が出た。何の感情がどれだけ乗ったのかさえ自分ではよく分からない。吐息のような弱い声だった。

 ――ちあちゃんは悪くない。

 ちあちゃんは悪くないのに、やっぱり浮かんでしまう――自分が幼少の時のあの男の行ない、女の行ない、こうして女になってからの……された行ない、今までの嫌なこと全部が――。

 ――今目の前にいるのは、ちあちゃんなのに。ちあちゃんだ――って思いたいのに。浮かぶ……っ!

 鼻が、ズッという音を出した。

「忘れさせて」

 あたしは必死に言葉にした。

「忘れたい。なんでもないって思わせて……!」

 その時には身を起こしていたあたしを、ちあちゃんはそっと抱き締めて、そして何もしなかった。まるで、あたしが普通にしていられるのを待ってくれているみたいに。

 言っておきながら怖がる自分自身を、あたしは、まだ、どうにもできなかった。

 ちあちゃんも、あたしにどうしたらいいか、分からないみたいだった。

 だから、せいぜいできたのは、元の位置に枕と布団を戻し、最初の並びで寝るということだけだったらしい……ちあちゃんがそうした。あたしは、身動きできなくて、何も忘れられなかった。

 あたしはあの人とは違う。そのはず。なのに浮かぶ。忘れられない。早くどっか行って。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ