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再び目を覚ますと空は紺色に染まっていた。
一階からする話し声と食事の良い匂いに誘われて起き上がった私は、部屋から出る。
どうやら屋根裏部屋推理は当たっていたようだ。
部屋を出てすぐ梯子のような少しだけ斜めに立てかかっている階段を降り、話し声のする方へ廊下を進んでいく。
「そろそろ食事の用意ができますので、コアルさんを呼びに行きましょうか」
「アイリア、食事の準備するー!」
「じゃあ、俺呼びに行ってきますよ」
聞きなれたヨナの声がする。
「そんなヨナさまにお願いなど……」
「大丈夫。俺はもう王子じゃないし、泊めてもらっている身だから」
「……ありがとうございます」
二人の会話が切れ、私は自ら部屋へ入って行った。
顔を合わせると、案の定ヨナは一瞬固まったが、私は構わず話しかけた。
「やあ、ヨナ王子」
すると、ヨナは露骨に嫌そうな顔をした。
「その呼び方、やめろ」
「なんで? ヨナ王子はヨナ王子でしょ? 他の何者でもないでしょ?」
「そうだけど……」
私はツンと鼻先をあげて、ヨナの前から動く。
キッチンに立つアイリアの母親――リアは、エプロンを巻いて、ぐつぐつと煮る鍋をかき混ぜている。
手で匂いを仰ぐと、美味しそうな野菜スープの匂いがした。
「ん〜、美味しそう!」
「すぐできますからね」と彼女は可愛らしい笑顔を浮かべて私を見る。
赤褐色の肌の頬の上に、少しだけピンク色のチークがのっている。
私は素直に食卓に腰掛け、あっという間に並べられる食器達をただただ眺めた。アイリアとヨナも着席し、最後にリアが着席をすると、手を合わせ食事が始まった。
テーブルの上に並べられた食事は、自分の国にいた時とあまり変わらないメニューだ。野菜スープと丸い形のパン。生野菜のサラダと、パスタのようなものもある。
「コアルさん。体調はいかがですか?――鳩尾、痛みますよね?」
リアは視線を私の鳩尾に落とした。
「うん、ちょっと痛むかな」
「あとでお薬を塗らせてください。すぐよくなると思います」
「ありがとう、ところで私の名前“コアル”じゃなくて“コハル”なんだけど」
「――コアルさん?」
リアは首を傾げて私の間違った名前を呼ぶ。
「無理だよ、瑚春。空の国では発音しにくい名前なんだ」
隣に座るヨナがパンを齧りながら説明をしてくれた。
「日本で“こはる”の名前が“コウェル”だと、発音しにくいのと一緒で、こっちだと中々ない名前の発音なんだ」
「そうなのか」
アイリアがまだ幼いから発音が難しいのかと思っていたが、そうではなかったみたいだ。
仕方がない。ここは本格的に“コアル”になるか。
私は野菜スープの最後の一口を啜った。
「して、ヨナさま。これから先はどうされますか?」
残りの食事もわずかとなり、リアは本題を切り出した。
ふとアイリアに目線を送ると、彼女は食器を持ってキッチンに片し始めていた。
ヨナは姿勢を正して真っ直ぐリアを見る。
「そうだな。とりあえず今の国の様子が知りたい。動くにもまず自分の立ち位置を知っておかないといけないからな」と言って少しだけ肩をすくめる。
リアはコップにお茶を注ぐ。
「今、国はヨナ王子が抜け、ソノ王子が後継者となっています。王宮内では皆知っていますが、国民にはまだ正式に発表されていないので、事実、後継者は誰だ的な流れでここ半年は国民の心も揺れています」
そりゃあ、そうだろうなと私はパンを一口齧った。意外と甘い味がした。
「隣国との関係はどうなっている? 確かあまりよくない状況だった気がしたけど……」
「残念ながらそちらもあまり良い噂は聞きません」と言ってリアは首を横に振った。
「第二国との貿易がうまくいってない様子で、港では険悪な雰囲気が流れているそうです。――これは確かな話ではないのですが、第四国とも何やら揉め事があるみたいです……」
ヨナは眉を寄せた。
「ソノは、何もしていないのか?」
「ソノ王子は、後継者の立場になられたあとすぐに、勉学に励んでおります。ただ今はそれに一杯一杯みたいで……」
「――そうか」
ヨナは視線を落とし、顎の下に手を当てる。何やら深く考えてこんでいるようだが、沈黙の時間が続くことに耐えられず、私は席を立った。
「あのぉー、私は必要なさそうなので、部屋へ戻り…――」
私はギョッとして言葉を切った。言いかけた私の口を止めたのはヨナだった。私の左手首を掴んでこちらを見上げている。
「――何よ」
「話が、ある」
席を立たないで座っていて欲しいと付け加えた。
「そんなこと言われたって、私この国の事よくわからないし、正直もう眠たいし……」
「十分寝ただろう?」
ぐっと私は言葉に詰まる。
確かにそうだけど、眠たいのは本当だし……。というか、まだ状況の整理ができていなくて一人になりたいというか――。
私が無言で狼狽えていると、ヨナはそっと手を離した。
「――わかった。明日話をしよう。悪かったな」
「……おやすみなさい」
私は二人に軽く頭を下げて踵を返した。
キッチンを出て廊下を進み、梯子を登る。薄暗い部屋にポツンと置かれた、低いベッドに潜り込んだ。
「――って、うわ!」
「ん〜、お姉さん?」
暖かく丸いものが転がっていると思ったら、アイリアだった。窓から差し込んでくる月明かりの元、目を擦って眠たそうにあくびをするアイリアがこちらを見る。
「な、なんでこのベッドにいるの?」
「なんでって、ここアイリアのベッドだもん。あ、そっか。お姉さんもここを使ってたから、今日は一緒に寝るんだね」
「あなたのベッドだったの……」
私は少しだけ端へよった。
アイリアは誰かと一緒に寝ることに対して抵抗はないらしく、会話もなく穏やかな寝息を立て始めた。その際、アイリアは私の服の袖をギュッと掴んだまま離さなかった。
自分よりも二個分体の小さな子供を見て、なんだか心の奥が温まった。そして私も、吸い込まれるように睡眠の波へ飲み込まれて行った。