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0~1


 絶世美男の隣人は、空の民だった。


 書は知識と呼ばれる時代において、あまりにも冒涜な書き出しをどうか許してほしい。

私――賀田之瑚春(かたのこはる)はこれより語り手として、我が身に降りかかった物語を綴ると約束しよう。一言一句間違いのない様、誠心誠意努める。この手が動かなくなるその時まで、嘘のように聞こえるこのノンフィクションを語り続けよう。都内の大学に通う何の変哲もない建築学生が経験した嘘のようで、本当の物語だ。

 この記憶は、誰にも奪わせはしない。

 私のものなのだ。

 決して、手放さない。

 手放してなるものか。


 私が、隣人の彼を殺したという事実は変えられないのだから―――。




    1



 長い間教室に篭りすぎて、気がつけば一日が終わろうとしていることに気が付かなかった12月のこと。大学3年生になってから一人暮らしを始めた私は、家へ帰っても何も食材がないことに気がつき、コンビニへ寄った。冗談抜きで凍える様な寒さを噛み締めながら(噛み締めることはできていなかったが)人気の少ない道を歩いていたら、彼に出会った。

 そう、彼に――――。


「だから、俺は空の民なんだって」

 自らを空の民だとか何だか―――。

「俺は空の奴らに追いかけられてて、だから逃げてて」

 なんだか逃亡中だとか何だとか―――。

「本当なんだって!」


 彼が深く被っていたフードの手を伸ばし無言で下ろす。現れたのは普段学校で目にする漆黒の髪色ではなく、透明感満載な白髪だった。急にフードを脱がされ慌てる彼を無視し、まじまじと顔を見る。

 白髪に、赤褐色の肌。暗闇の中、紺色に輝く瞳。明らかにこの街では見かけない容姿ではある。おまけに顔全体のバランスが整っており、絶世美男と表現するほかない。


「いた! コッチだぞ!」

 背後から叫び声が聞こえた。

「やばい、追っ手だ。とりあえず逃げよう」


 咄嗟に彼に手首を掴まれ、私は引きずられる様に走り出した。何が何だかさっぱりわからないが身に危険が迫っていることぐらいは察することができた。

 彼は人気のない路地裏で大勢の人間に囲まれていたのだ。そこに通りかかった私が、普段は持ち得ない縁もない勇気を振り絞り彼を助け出した。今となっては何故そんなことをしたのか、後悔しているところである。

 だって、彼は只者じゃないから。


「こっち」


 短く告げ彼は私を物陰の奥に押し込む。強く体を押され、思わず「ふぎゅ」とダサい声を漏らす。彼は私に背を向け座り込み、追っ手の様子を伺う。

 じっと息を殺す彼の背中を見て、私も真似をし、足音を通り過ぎるのを待つ。やがて数人の足音が遠ざかっていきホッと緊張の糸を緩める。

 私と彼は物陰から素早く移動し、暗い路地から人気のある表の通りへ出た。無言のまま歩き続ける。彼はその間も神経を途切らせているように見えたが、私はただただ掴まれた手首に集中しながら歩くしかできなかった。


 今、話しかけたところで何も答えてくれないのだろうな―――。


 そんなふうに察していた所、気がつけば自宅のマンションへ到着した。流されるがままに彼の部屋へと案内され、私たちはようやく人目から離れた空間へと足を踏み入れることができた。


 隣は私の部屋だ。何かあってもどうにかなるだろう――。


 彼の部屋は普通の大学生にしては生活感がなかった。いや、そもそも普通の大学生が一人暮らしをするには少々非現実的な物件なのだが、そこにはあえて触れないでおこう。私も人のことは言えないのだから。


「巻き込んでごめん」


 物珍しそうに部屋を観察していた私の目の前にカップが差し出された。匂いからしてどうやらコーヒーを入れてくれたようだ。

 私は素直に受け取り、カウンターキッチンの椅子に腰を落とす。彼はキッチンの反対側で自分のコーヒーを入れる。


「まさか、街の中でアイツらにバレるとは思わなくて。ほんとに、ごめん」

「――さっきの話、ちゃんと話してくれない?」

 私もようやく落ち着いてきた。そろそろ彼の話を聞こうじゃないか。内容によっては拳を振り上げるがな。

「空の民って何? 何でさっき変な奴らに追われていたの?」

 彼は一度深くため息をついた。


 そういえば、髪の色と瞳の色が黒く戻っている―――。


「何から話せばいいかわからないんだけど、俺、海の民じゃないんだ」

「海の民?」


 なんだ、それは。


 自分のコーヒーを淹れ終わった彼は、一口啜って頷いた。


「瑚春達のことを“海の民”と呼ぶんだ。海の民は水に頼って生きている。瑚春たちは水――海が無くなったら困るだろう?」

「まぁ……そうだね」

 近年水不足だとか何だとかで節約を促すポスターが多い。私たちが水に頼って生きているのは事実だ。

「三年前、空の国を追放されて、居場所を求めて逃げてたら足を踏み外して空から落ちちゃったんだ、俺」


 落ちちゃった…って――。


「そんな簡単に空の国から落ちるものなの? だって空の国って……」

 私は言葉を途切らせた。

 想像するに、空の国って雲の上にあるものだろう。かの有名なアニメ作品の様に。

「雲の上で過ごしてる人達がいるぐらいだったら、それなりに落ちないものじゃないの?」

 足を踏み外して落ちるぐらいだったら、今頃海の民は空の民だらけなのではないのだろうか?

 すると、彼は首を横に振り短く答えた。


「落ちるよ」

「落ちるって……」

「羽根、焼かれたんだ」

「――焼かれた?」

「俺たち空の民は、皆生まれた時から羽根がある。羽根があるから空の国から落ちることはないし、自由に土地を行き来できる。だけど俺は国を追放される時、羽根を焼かれたから飛ぶこともできなかった。だから落ちた。もう戻ることもできない。」

「……あんた、追放されたって言うけど一体何をしでかしたわけ?」


 私は眉を寄せて彼を見た。

 ここに来て、もしかしてやばいのは追ってた奴じゃなくて、目の前にいる美男では?と思い始めた。もう話を信じるも信じないも関係ない。どこからどこまでが作り話かなんて関係ない。


 単純に興味が湧いてきた。


 彼はキッチンから移動して私の隣にカップを置いた。その姿を目で追い続ける私なんて気にならない様な素振りで、扉の閉まった部屋へと消えていく。私も隣の部屋に住んでいるからここのレイアウトは大体わかる。彼が消えて行ったのは寝室として使える広々とした一部屋だ。

 白と緑を基調として整頓されている部屋を眺めていたら、彼が戻ってきた。


「これ」と言って私の目の前に小さな板のようなものを差し出す。

 五センチ×十センチ程度の鋼でできていそうな板だ。薄っぺらくて無地の板である。

「これが何?」

「腹いせに盗んできた。国の第三王子の俺を追放なんかしたから」

「――あんた、王子だったの?」

「うん」


 あんぐり。

 私は一旦頭を抱えた。

 この部屋へ来て冷静に話を聞き入れてきたつもりだが、彼の口調には少々狂わせられる。


「なに、じゃ、あんたは空の国の王子で、なんかしでかして追放された上に、これを盗んで今追われる身ってこと?」

「前半は合ってるけど、後半はわからない。3年経った今になって追ってくるのも変なんだ」

「なにをしでかしたかは、教えてくれないの?」

「うん」

「じゃ、まぁいいや」


 一度喉を潤して、話を整理する。


「追われている原因には見覚えがないってこと?」

「うん。……多分これを盗んだことについてはとっくのとうに気がついていただろうし、この3年間は何も音沙汰無かったから、別に盗んでも良いものなんだって思ってたんだ」


 いやぁ、物を盗むことはよくないことだと思うけどねぇ……―――。


「そもそも海に落ちた…――あ、この土地のことを俺達は“海”って言うんだけど、海に落ちた者を追ってくることもおかしいんだ。国を追放されたらもう2度と空の民は見えないって言う約束があるぐらいだから」

「やっぱりこの板に何かあるんじゃないの?」


 私は板をまじまじと見る。ペラペラしていて折り曲げたら半分に折れそうだ。表面が少し凸凹しているが、その他にこれといって特徴はない。


「どこから盗んできたの?」

「……どこだっけな?」

「おいおい、嘘だろ」


 ここにきてしらばっくれるのはやめてくれよ。

 全部作り話でしたと言ってくれるのなら、話は早いのだが。


 彼はソファーに腰を落としてつぶらな瞳で言う。

「逃げるのに必死だったから、あんまり覚えてないんだ」

「逃げるのに必死だったんなら、そんな自分の国のモノここに持ち込まないでよ」

「おっしゃるとおりです」

 彼は首を下げた。

 どうやら、本気で反省しているみたい。全く無関係な私を巻き込んだことにも、そのくらい反省してほしいぐらいだ。

「――で、これからどうするわけ? まだあんな奴らから逃げ続けるの?」

「いや、それは流石に時間の問題だ。大学とこの家にはある程度の結界を貼ってあるけど、街中で出会ったら逃げるのにも無理がある」

 今日みたいに、と付け足した。

 じゃあ、どうするのよと私は結論を促す。


 彼と目が合った。

 ぞわりと背筋が凍る。なんとなく、嫌な予感がした。


「瑚春」

「いやよ」

「まだ何も言ってないじゃないか」

「いやったら嫌。あんた私を巻き込むつもりでしょ」

「もう巻き込まれてるじゃんか」

「開き直るな!」

「お願いだよ」

「だから、嫌なものは嫌!」

「瑚春〜」

「キモい!」


 甘えた声で腕を掴んできた彼を、思わず振り解いた。そして私は顔を真っ青に染めた。

 私の手から離れて空中を飛んだ板が綺麗な弧をえがき、

 パリンッ。

 軽い音を立てて弾けた。

 そう。割れた。


「………あ」

「―――あ」


 珍しく私と彼の声がハモった。

 大学でも、部屋が隣でも、決して息の合うことがなかった私たちが、望んでもない形でハモってしまった。

 顔を見合わせた私達は次の瞬間、真っ白な光に包まれた。眼球が潰れるのではないかというほどの光はやがて、私の意識を奪い去っていった。



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