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7  掌中之珠

 その日の午後には、私とアレゼル様の婚約が正式に発表された。



 どこでどう聞きつけたのかわからないけど、生徒の大半は王室が発表した「傷心殿下の一目惚れラブストーリー」をかなり好意的に受け止めたらしい。



 一瞬にして、私は時の人になってしまった。



 確か昨日、ランチルームで不躾な視線を向け、悪意のこもった言葉をささやいていた人たち(主にバルズ様と同じ最終学年の人)は不服そうな顔をしながらも、こちらをちらちらとうかがうことしかできないらしい。ざまあみろ、とまでは思わないけど、ちょっとした優越感はある。



 予想外の展開のおかげで、結果としては学園での居心地の悪さが払拭されてほっとした。





 翌週からは、いよいよ王太子妃教育が始まることになった。



 学園の授業が終わるとすぐに王宮に向かい、そこでみっちりと専属教師陣からの王太子妃教育を受けるわけだけど。



 その初日、「心配だから」とアレゼル様も一緒に受けようとするから、慌てて丁重に部屋の外へと追い出す羽目になった。



 ただ、アレゼル様だって忙しいはずなのに、毎日欠かさず王家の馬車で送り迎えしてくれている。朝は家まで迎えに来てくれて一緒に学園に行き、授業が終わるとまた馬車で王宮まで一緒に帰り、王太子妃教育が終わるとどこからか現れて家までしっかりと送り届けてくれる。



 留学から戻ってきてまだ間もないし、王太子としてやらなければならないことだっていろいろあるはずなのに。私の生活ペースに合わせすぎじゃないだろうか。



「まあ、それはそうだけど。ラエルはどこへ行くにも俺がまとわりついているのは嫌か?」



 私の前では、もはや堂々と王太子モードとは真逆のナチュラルモードで過ごすようになったアレゼル様。おどおどと不安そうな目をして私の顔色をうかがっている。そんな目をされると、憎めないから困る。



「嫌ではありませんよ。むしろ大事にされちゃってるなって、ちょっとこそばゆいといいますか」

「そうなのか?」

「でも、私のためにアレゼル様の生活が不自由になっているのはいただけない、と思います」

「全然不自由じゃない。俺がやりたくてやってるんだからいいだろ。少しでも長くラエルと一緒にいたいんだよ。ほんとは片時も離れたくないってのに、みんなしてあれこれ邪魔しやがるから」

「そう言っていただけるのはうれしいのですが、アレゼル様だってお忙しいのでしょう? デボラ先生が『殿下がなかなか捕まらなくて、王宮の事務官たちが困ってる』って嘆いていましたよ」

「え」



 悪戯が見つかった子どものような顔をして、アレゼル様が俄かに狼狽える。



 とにかく、どこへ行くにも何をするにもアレゼル様は私の隣を確保しようとした。学園にいる間なんか、特に。



 しかも、身体的な接触があると自動的に『運命の乙女』が持つ癒しの効果が発動されるらしく、アレゼル様は気づくと私に触れている。頬に軽く触れたり、髪の毛をいじったり、手をそっと握ったり。常にどこかしら触れている。二人きりのときはともかく人前でもそんなだからちょっと控えてほしいと思うのだけど、「疲れてるんだ」とか「全然足りない」とか言われてしまうとぐうの音も出ない。でもほんとに疲れてるのか? と思ってしまうときもある。わりと頻繁にある。



 アレゼル様が常に一緒にいるということは、自ずと護衛であるハラルド様やその婚約者であるエリカとも一緒にいるということになる。我が国における超重要人物の面々に囲まれているおかげで、私の学園生活はかつてないほど安全かつ安泰なものになっていた。





 その日も、学園の授業が終わるとすぐに王宮へ向かっていた。



 珍しく、アレゼル様は一緒ではない。オルギリオンに二年以上留学していたアレゼル様は、学園の教師陣からオルギリオンでの授業の内容や学習の進め方などについて、一度ゆっくり話を聞かせていただきたいと請われていたのだ。私の送り迎えを優先するあまり、教師陣からの依頼をのらりくらりとかわしていたアレゼル様も今日は逃げ切れなかったらしい。


 ハラルド様と一緒に職員室へと連行される途中、



「家に帰るときは必ず送るから。俺が行くまで待っていてくれ」



 と半ば懇願するかのような表情で言い残していったアレゼル様。




「まさかあの殿下がねえ」



 感慨深そうに頬に手を当てながら、エリカが小声でつぶやいた。



「え、どういう意味?」

「殿下って、小さい頃から王族としての立場をしっかり自覚していたせいか己を律するのに長けていたし、理知的で冷静で何があっても動じない人だったのよね」

「あー、そうなの?」



 しらばっくれてみる。知ってるけど。それ、完全に王太子モードのときのアレゼル様なんだけど。



 だんだん見えてきた素のアレゼル様は、だいぶ口が悪いし私以外の人たちにはちょっとぶっきら棒だった。いろいろ面倒くさくなるらしく、扱いが雑になる。そういえば初対面の日、イアバス侯爵に対してもそうだった。エリカは基本的に王太子モードしか知らないみたいだけど、アレゼル様のナチュラルモードを知ってる人って、どのくらいいるんだろう?


 

「オルギリオンにいた頃だってディアドラ殿下に対しては丁寧に接していたようだけど、今みたいにひたすら必死に追いかけ回して片時も離れないって感じではなかったってハラルドも言ってるし」

「追いかけ回すって……」

「あら、違う? でも、もし万が一ラエルがいなくなったりしたら殿下も死んじゃいそう」

「ちょっと、エリカ」

「それだけ殿下はラエルに夢中ってことなんでしょ?」



 初めて会ったときから、アレゼル様はどちらかというと冷静というよりは情熱的だったし、理知的というよりは直情的だったし、まったくと言っていいほど己を律せていなかったと思う。あれ、私ってば最初からあの人のナチュラルに近いところ(残念なところ?)を目の当たりにしていたような。



 『王太子』としての自分をあっという間に脱ぎ捨ててしまうほど、『運命の乙女』との出会いは強烈で抗い難い衝動に支配されかねない。だからこそ『運命の乙女』の存在は、利益をもたらすと同時に大きな害をも与えかねない危うい諸刃の剣と言える。


 常にそうしたリスクを孕んでいるということをしっかりと心に刻んでおかなくては、なんて柄にもなく真面目なことを考えながら王宮の渡り廊下を曲がったときだった。



「おっと」

「あ、申し訳――」



 出会い頭にぶつかりそうになって、抱えていた教材をぶちまけてしまう。



 急いで拾おうとして、ほぼ同じタイミングでしゃがみ込んだ相手が視界に入った。



「もしや、ガストル殿下では……」



 咄嗟にカーテシーの体勢を取ろうとした私に、目の前の黒髪の男性は「いいよいいよ」と柔和に微笑みながら教材を拾ってくれる。



「堅苦しいのはあまり得意じゃなくてね」



 拾った教材を手渡しながら、茶目っ気たっぷりにウィンクするガストル殿下。




 ガストル殿下は、陛下の少し年の離れた弟。つまりは王弟殿下である。


 婚約が決まってすぐ、陛下や王妃殿下、二人の妹殿下とは簡単ではあるけど顔合わせ程度の挨拶は済ませていた。でもその日、ガストル殿下はあいにく不在だったからこれが初対面になる。



「君がアレゼルの『運命の乙女』なんだね」

「はい。ラエル・プレスタと申します、殿下」

「アレゼルの執着は相当なものだろう? 辟易してるんじゃないかい?」

「いえ、そんなことは。とても大事にしていただいております」

「それならよかった。『運命の乙女』への執着や溺愛はね、王族にとっては制御できない本能的な欲望だからね。かつては執着のあまり、王宮の一室に閉じ込めて外へ出すことをしなかった者もいたくらいだ。生半可なものではないんだよ」



 「ちょっと怖いよね」なんて苦笑するガストル殿下は、自身も王族であるはずなのに『運命の乙女』である私のことを気遣ってくれる思いやりに溢れた人なのだろう。




 そもそもガストル殿下は、王族とは思えないほどの『自由人』である。


 若くして早々に王位継承権を放棄したかと思ったら、国を飛び出し世界中を歴遊して知見を広めながら諸外国とのパイプ役にもなり、最終的にはアレゼル様の留学時の後見人としてオルギリオンに留まっていた方なのだ。


 アレゼル様の帰国と同時にガストル殿下も帰国し、近々臣籍降下して公爵位を賜ることになっているんだとか。



「アレゼルはああ見えてちょっと雑なところがあってね。幼い頃から王たる素質があって期待されてきたし、本人もそれに応えるべく努力を重ねてきてはいるがね。でも時々、ちょっと無理してるんじゃないかと思うことがある」

「はい」

「未来の王として揺るぎない気概を持ち続けることも大事だが、あの子が抱える迷いや弱さを受け止めてくれる人がいたらきっと心強いと思うんだよ。お願いできるかな?」



 アレゼル殿下を彷彿とさせるアメジストの目は、温かく慈愛に満ちていた。



「それが私の役割であると深く心に(とど)め、精一杯アレゼル様をお支えしていきたいと思います」

「ありがとう。助かるよ」



 そう言って、がしっと心をわしづかみにするような優しい笑顔を浮かべながら去っていくガストル殿下。



 その背中を見送りながら、これほど洞察力があって慈しみ深く、恐らく世渡り上手でコミュニケーション力にも長ける人が何故長年独り身なのだろうと思わずにはいられなかった。






◇◆◇◆◇






 その日の王太子妃教育が終わり、家まで送ってもらう馬車の中でガストル殿下に会ったことを話したら、アレゼル様は「俺が紹介したかったのに」とちょっとしょぼくれた。



「叔父上には昔からほんとに世話になってんだよ。オルギリオンに行くときも真っ先に後見役を買って出てくれたしな」

「信頼なさっているのですね」

「まあな。陛下よりも近しい存在かもしれないな。人づきあいがうまいから、オルギリオンに行ったばかりの頃はディアドラにどう接したらいいのかあれこれ教えてもらったりして」




 ふーん。



 急に、なんだか、もやっとする。



 アレゼル様って、私がちょっとクラスの男子と話したり、ハラルド様以外の貴族令息の名前を出したりしたらあからさまに不機嫌になるくせに、自分はしょっちゅうディアドラ殿下の話をするのよね。



 そういえば、ディアドラ殿下はアレゼル様のナチュラルモードを知ってるんだろうか。共に過ごす時間が長かったなら、しかもこれからもずっと一緒にいることがほぼ確定していたのなら、アレゼル様が『王太子』としての仮面を脱いで接していたとしてもおかしくない。



 え、なんかやだ。



 なにこれ。やきもち? 私が?



 うーん。ますますもやっとする。




「ラエル。どうした?」

「いえ、なんでも……」

「疲れたか?」

「そう、ですね。少し」

「あまり無理はするなよ。あ、そうだ。俺と君との婚約を祝う夜会の日程が正式に決まったよ」



 殿下が嬉々として夜会の準備について話していたけれど、私はなんだか上の空のまま、その言葉をただぼんやりと聞いていた。

 


 





 



大晦日のお忙しいときにお読みいただき、ありがとうございました。

ブックマークやいいねなどもいつもありがとうございます。うれしさしかありません。


みなさま、良いお年をお迎えください。

(お正月も変わらず投稿予定です。よければまたのお越しをお待ちしてます)

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