6 婚約発表
王家の紋章が入った豪華な馬車が学園の門の前に止まると、乗り込んだときと同じようにスマートな動きでアレゼル殿下がエスコートしてくれる。
慣れない動作にあたふたしながらも(バルズ様はエスコートなんてほとんどしてくれたことがないから)なんとか馬車を降りると、一人の精悍な顔つきをした青年が待ち構えていた。
「殿下。おはようございます」
「ああ、ハラルド。昨日はエリカと話ができたか?」
「はい。おかげさまで」
ハラルド様は殿下が私をエスコートしていることに一ミリも驚く様子はなかった。むしろ穏やかな笑みまで浮かべている。しかも、
「ラエル様、はじめまして。アレゼル殿下の護衛を務めておりますハラルド・デリングと申します。以後お見知りおきを」
なんて恭しく丁寧な挨拶までされてしまったら、逆にこっちの身が持たない。
「お、おやめください。ハラルド様は侯爵家のお方。お立場は私より上なのですから」
「そういうわけにはまいりません。ラエル様は殿下の婚約者。ということは、俺にとって主も同然です」
「いやいや、でも」
「しかもエリカの親友と聞きました。俺がいない間、彼女を支えてくださったことに関しても感謝しかありませんから」
真面目な顔つきでそう断言するハラルド様。相思相愛の二人って、まぶしい。そしてちょっと、うらやましい。
私と殿下の婚約については、今日の午後正式に発表されることになっている。
ただ、三大侯爵家にはすでに連絡が届いているとのこと。ということは、エリカも当然知っているはず。
ちなみに、王族の秘密や『運命の乙女』に関しては王家と宰相しか知らないことだけど、ディアドラ殿下に関することはハラルド様も知っているとのこと。そりゃそうだ。殿下とずっと一緒にいたんだもの、知らない方が不自然だ。
なので殿下からは、「ディアドラとのことは恐らくエリカもハラルドから聞いているだろう」と言われている。
公には、ディアドラ殿下が突然重い病に臥したため、平和的な話し合いの結果やむを得ず婚約を解消せざるを得なかったこと、失意の帰国をした殿下が学園登校初日に私を見初め、婚約に至ったことなどがこのあと大々的に、そしてセンセーショナルかつエモーショナルに発表されるらしい。うまいストーリーを考えたものである(エモーショナルに発表、というところはだいぶ意味がわからないけど)。
お互いの挨拶が一通り済んで、教室の方へと歩き出そうとしたときだった。
「アレゼル殿下!!」
突然後方から、朝の清々しい空気を切り裂くような悲鳴にも似た声が飛んでくる。
驚いて振り返ると、深いガーネット色の髪を揺らしながらすごい勢いで近づいてくる令嬢が。
「アレゼル殿下! ご帰国、お待ちしておりました!」
殿下の前まで来ると控えめにこぼれるような笑顔を見せ、全身で喜びを表現するその令嬢は故意なのかたまたまなのか、ハラルド様をずずっと押しのけた。
「ああ、マリエラ。久しぶりだね」
「ええ。殿下がご帰国されると聞いて、わたくし居ても立っても居られませんでしたわ」
マリエラ様は私の存在など完全にスルーし、しかも自分の目には殿下しか映っていません、といった風情でキラキラと顔を輝かせている。
マリエラ・セヴァリー侯爵令嬢は、三大侯爵家の一つ、セヴァリー侯爵家の次女である。
セヴァリー侯爵家は、我が国の外交を担う有力貴族。なのだけれど、当の本人はなかなかに個性的な方である。我が強くて高飛車で、特に子爵家・男爵家の令嬢たちには手厳しく、そのせいもあって三大侯爵家の一角をなすイアバス侯爵家のエリカとは馬が合わないらしい。
「小さい頃から、こいつとは仲良くなれないなと思っていたのよ」
とエリカが言う通り、これまでは学園でもほとんど接点を持つことなく過ごしてきた。クラスも違ったし。学園のクラス編成は成績順なので、クラスが違うということは、まあそういうことなのだ。
私も当然顔は知っているけれど、話したことはない。
そのマリエラ様が、殿下の前でどれだけ自分が待ち焦がれていたかということを意気揚々と演説している。
「マリエラ」
「はい、殿下」
「すでに話は聞いているだろうが、彼女が私の婚約者、ラエル・プレスタ嬢だ」
マリエラ様の気持ちを知ってか知らずか、王太子モードを炸裂させた殿下が王族仕様のゆったりと爽やかな笑顔を浮かべた。
私を無視してやり過ごそうとしていたらしいマリエラ様の表情が、一瞬凍りつく。
でもすぐに人工的な笑みを貼り付ける手腕は、さすがとでもいうべきか。
「はじめまして、と言ってよろしいのかしら? もちろんラエル様のことは存じ上げておりましたけど、学園ではこれまで直接言葉を交わす機会もなく」
「そうだろうね。クラスも違うんだろう? でもこれからよろしく頼むよ」
うれしさを隠し切れない殿下とは対照的に、私に向けるマリエラ様の目は底冷えするほど凍てついている。でしょうね、という感想しかない。
以前、エリカに聞いたことがある。マリエラ様は幼い頃からずっと殿下に憧れていて、エリカとハラルド様の婚約が早々に決まったこともあってか自分がアレゼル殿下の婚約者になれるものだと思い込んでいたらしい。
それなのに殿下はディアドラ殿下との婚約が決まり、さらには隣国に留学するとなって、マリエラ様はこの世の終わりとばかりに嘆き悲しんだんだとか。三日三晩泣き暮らしたんだっけ? 「多分嘘よ。話を盛りすぎなのよあの人」とエリカは言っていたけど。
「ラエルは王太子妃、いずれは王妃となる身だ。私にとってかけがえのない存在であることはもちろんだが、ゆくゆくは君たちが仕え、従うべき人物でもある。そのことは肝に銘じておくように」
「承知しました、殿下」
マリエラ様に押しやられて大人しく脇に控えていたハラルド様が、すぐさま反応する。
マリエラ様も「もちろんですわ、殿下」なんて笑顔で返していたけれど、恐ろしいくらい目が笑っていなかった。怖い。そしてやばい匂いしかしない。
◇◆◇◆◇
教室で会ったエリカは「言いたいことがありすぎて昼休みまで待てないわ」なんてうずうずしていたけど、午前の授業が終わると同時に私と殿下、ハラルド様を引き連れていつものランチルーム奥の個室になだれ込んだ。
殿下とハラルド様も、私たちと同じクラスになったのは言うまでもない。マリエラ様が悔しそうに私たちの教室の中を凝視するのを、午前だけで何度見かけたことか。
「さて殿下」
ランチの準備もそこそこに、エリカが私の隣に座る殿下に無遠慮なほど疑わしそうな目を向ける。
三大侯爵家の人たちと殿下とは、幼少の頃から面識があるらしい。それなりに近しい間柄は、言うなれば幼馴染といったところだろうか。
「昨日、ハラルドからディアドラ殿下のことを聞きました。内情はわかりましたし納得もしますが、ラエルの親友として殿下のお気持ちをいま一度確認したいのです」
「ああ。エリカならそう言うと思っていたよ」
「王家からのお話を要約すると、ラエルに一目惚れしたうえでの婚約、ということでよろしいのですか?」
「そうだね」
殿下は余裕ぶって微笑んでいるけど、はっきり言ってその「設定」は無理があると思う。
だって何度も言うけど私の見た目なんて平凡で凡庸、もっと言えば地味としか言いようがないんだもの。殿下はあれこれ褒めてくれるけど、華やかさも煌びやかさもないくすんだ茶色を纏う私に「一目惚れ」なんて無理があるとしか思えない。でも『運命の乙女』について公表できない以上、「一目惚れ」で押し通すしかないのが苦しいところではある。
「ラエルを一目見た瞬間、芯の強さをうかがわせる穏やかな瞳に魅了されたんだ。実際に話してみたらどんな逆境にもめげないしなやかさがあって、機転が利いて聡明で、どうしようもなくどんどん惹かれていった。もうラエルなしで生きていくことなんて考えられないくらい、ラエルは私のすべてなんだ」
大真面目な顔で必死に言い募る殿下。
会って二日でそこまで言い切れるか? とは思うものの。
「一目惚れ」設定を活かしてうまいこと説明するなあと感心する。昨日も浴びるほど聞かされたというのに、また違った言葉で褒められると当然悪い気はしない。うれしい。照れる。そしてやっぱり恥ずかしい。
にしても、褒めすぎだよなと思いながらエリカを見ると、エリカはエリカで黙っていられないとばかりに前のめりになって拍手し出した。
「さすがは殿下! 見直しました! ラエルの良さを、素晴らしさを、一目見ただけで気づいてくださるなんて!」
「そうだろう?」
「殿下がそこまでおっしゃるのなら、喜んでラエルをお任せできます。以前の婚約者は本当にひどかったのですよ。いずれ権力に物を言わせて痛い目に遭わせてやろうと決意するくらいにはひどかったのですから」
「うわ、ほんとに考えてたんだ?」
「そりゃそうよ。私は今だって、あの男のことは許していないわよ」
「もういいじゃない。バルズ様なんて、きっとこれからかかわることもないんだから」
なんの気なしにそう言うと、途端に個室の中の温度が急激に下がった気がした。
不思議に思って隣を見ると、殿下から猛烈な負の思念が噴き出している。え、思念って見えるものなの? 気のせい? 私まであらぬものが見えるようになっちゃったとか?
「ラエル」
「は、はい」
「私のことはいまだ『殿下』としか呼ばないくせに、元婚約者のことは名前で呼ぶのはいただけない」
「え、だって」
仕方がないでしょう、それは。ついこの間まで12年以上も婚約者だったんだし、癖になってるところもあるし。
なんて言い訳しようかと思ったけどやめた。確かに、殿下からしたら嫌かもしれない。特に『運命の乙女』への執着すさまじい王族の方からしたら。頭では仕方がないと思えても、本能では叫び出したいくらいの嫌悪感に支配されているのかもしれない。
「ごめんなさい、アレゼル様」
申し訳なさそうな顔をしながら、素直にその名前を口にしてみる。
その瞬間目を見開いて、それから喜びと感動のあまりわなわなと打ち震えるアレゼル様。
そして私は、王族というのも案外ちょろいものなのだな、と思わずにはいられなかった。