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7 既往不咎

 黒い髪も、紫の目も、『番』を見つける特別な能力もすべて――――




 黒髪に紫色の目は、フォルクレドの王族の証。王族の血が流れる者は等しく黒髪に紫色の目と決まっていて、例外は一切ない。それを不思議に思ったことはなかったし、フォルクレドの人間はみんなそういうものだとずっと思ってきただろう。でもそこに、明確な理由があったとは。



 そしてリフラ様が語った「王女が獣人の魂を見つけやすくするための特別な能力」こそ、フォルクレドの王族だけが有する特別な力、人のオーラが見える力なのだろう。オーラが見えることで、フォルクレドの王族は自身の『運命の乙女』や『運命の申し子』を見つけることができる。どうしようもなく心惹かれてしまうオーラの持ち主とは、すなわち『番』のことだったのだ。最初にアレゼル様から話を聞いたとき、「獣人の世界の『番』のようなものでしょうか」なんて軽い気持ちで言ったけど、これじゃまさにその通りってことになるじゃない。なんてこった。



 横に座るアレゼル様は、混乱しているのか放心したように動かない。その手にそっと触れると、「あ……」と言ったままじっと私を見つめている。



「大丈夫ですか?」

「……あ、ああ。ただ、いろいろと驚くことばかりで……」

「無理もない。お前さんたちフォルクレドの王族がその力をどう受け止め、どう生かしてきたのか概ね想像はつく。ただ、そのせいで生きにくい思いをした者もおっただろうよ」

「そう、ですね。この力に翻弄され、罪を犯す者や非人道的な行為に走る者がいたというのは聞いています」

「そうだろうね。悪いことをしたよ」



 後悔と罪悪感とで当てもなく彷徨っていたリフラ様の視線が、急に鋭くなる。



「獣人にとって、番は至福をもたらす唯一無二の存在。獣人の世界というのは言ってみれば『番至上主義』だからね、番を追い求めることになんの躊躇もないし、そういうものだというお互いの理解もある。でも人間はそうじゃない。しかも王族がその力を持っているとあっては、権力を振りかざして暴走する者がいてもおかしくはないさ。それでもフォルクレドの王族は長い歴史の中でその暴走を食い止める努力を怠らず、欲望を制御しながら理性の力を充分に発揮してきた。大したもんだと思って見ていたよ」

「そうでしょうか……」

「でもそんなフォルクレドの王族と『番』にまつわる歴史の中で、起こり得ないはずのことが起こった。そうだろう?」



 アレゼル様が反射的にリフラ様を凝視する。ここまで来たら、リフラ様はとっくにガストル殿下のことをも知っているのだろうということになんの疑いもない。



「……あれはね、お前さんたちの言葉で言うなら、『バグ』だよ」

「え? 『バグ』?」

「なんでそうなったかはわからないがね。本来起こり得ないことが起こったとしか言いようがない。『番』は魂の結びつきだと言っただろう? 対をなす相手は本来一人しかいないはずなんだ」

「え、じゃあ……」

「理由はわからない。でももとはと言えば、あのとき王女の願いを叶えてしまった私の失態だよ。若気の至りでは済まされない、取り返しのつかないことをしてしまった。自分のしたことの重大さを思い知り、罪の意識に苛まれた私はあれ以降この森に隠れ住んだ。そして人の行いには今後一切干渉しないと心に決めたんだ。それでも、()()は見るに忍びなかった」




 あれ、とは。



 ガストル殿下の生き様そのもの、だろう。



 兄と被ってしまった『運命の乙女』を求める本能に抗い続けたガストル殿下。そして最後には、その激情と欲望に屈してしまったガストル殿下。彼の生き様を、苦悩と絶望を、リフラ様はこの遠い地からずっと見ていたに違いない。




「さっきそこのお嬢ちゃんも言っていた通り、運命の相手とのつながりは断ち切ることができる。本人が望むなら、それをしてやってもいい。ただ、大昔からこの世界に居座る時代遅れの私には今流行りの遠隔操作なんてものはできないからね。本人にここへ来てもらうしかないんだが」

「リフラ様……」

「血が受け継いでしまったものを今更なかったことにはできないし、そんなことしたって私のやったことがチャラになるわけじゃないのもわかってる。でもせめてもの償いだよ」

「いいのですか?」

「国に帰ったら、今の話を伝えておやり。選ぶのは本人だよ」



 アレゼル様が、少しだけ眉根を寄せて俯いた。いまだ眠り続けるガストル殿下を思い、私たちにすべてを託した陛下を思っているのだろうか。目が覚めたとき、ガストル殿下が何を選択するのかはわからない。でも、今度は選ぶことができる。



「リフラ様」



 落ち着きを取り戻したアレゼル様の声には、確かな温かさがあった。



「リフラ様はご自分のしたことを取り返しのつかない過ちだったと悔いておられるのでしょうが、この力がなかったら俺はラエルを見つけることができなかったかもしれない。俺にとって、この力は必要不可欠なものなんです。だから、リフラ様には感謝しかありません」



 曇りのないその笑顔に、リフラ様もどことなくほっとした表情を見せる。



「そう言ってくれると、多少は気が楽になるね」



 遠慮がちに苦笑するリフラ様は、今度は獣人の二人のほうに顔を向けた。



「さて、次はお嬢ちゃんだよ」



 リフラ様に想定外の射抜くような目を向けられ、エフィル様が神妙な顔つきになる。



「今言った通り、番とのつながりは断ち切ることができる。ここへ来るまでもう何度も悩んで考えたんだろうから、改めてそれでいいのかなんて聞き返すことはしないよ」

「……はい」 

「そのうえで言うんだがね。お前さんのその決意、グルウラングは知っているのかい?」

「え?」



 無理からぬその問いに、エフィル様は一瞬固まった。それから気まずそうに視線を泳がせる。そして言いにくそうに、ぼそぼそとつぶやく。



「いえ、陛下には何も……」

「さっきも言っただろう? 獣人は番至上主義、いくら時代が進もうとも番を重視する価値観は変わらない。命よりも大事だとされる番とのつながりを、自分のために断ち切ろうとしていると知ったらグルウラングは喜ぶと思うかね?」

「これは陛下とはかかわりのないことです。私自身の問題ですから」

「そういうわけにはいかないだろう? グルウラングを陛下と慕うなら、あの子が民の一人ひとりをどれだけ大事にしているか知っているはずだ」

「それは……、はい」

「その大事な民の一人が、自分のために己を犠牲にしようとしているのを許すはずがないだろう?」

「犠牲ではありません! これは私の意志で……!」

「勘違いしてもらっちゃ困る。お前さんはそれでいいかもしれない。でもグルウラングは、自分のせいだと自責の念に駆られるだろうね。それでいいのかと言ってるんだ」



 決して大声ではないのに、リフラ様の声には他を圧倒する静かな熱がある。そしてその言葉の正しさに、エフィル様も私たちも何も言えなかった。



「だからね、お嬢ちゃん。今日のところは一度帰って、グルウラングにちゃんと話してみるんだ。自分の決意と思いの丈を全部話して、そのうえでグルウラングがその選択を許すと言うならもう一度ここへ来るといい。そのときはお嬢ちゃんの言う通りにしてあげるよ」

「え……」



 諭されて気落ちしていたエフィル様が、「いいのですか?」と小声で返す。リフラ様は黙って頷いた。



「それから、ミスウィロス公爵」

「あ、はい」

「もう気づいていると思うが、そこにいるフォルクレドの乙女はお前の番ではない」

「は?」



 突然言われて、レオファ様は狼狽えた。私も狼狽えた。なんだ「フォルクレドの乙女」って。『運命の乙女』だから? にしても、もうちょっとなんかあったでしょうよ。別の呼び方がさ。



「妃殿下は番ではないということですか?」



 態勢を整えたレオファ様が物怖じもせず聞き返すと、リフラ様も淡々とした様子で即座に答える。



「そうだよ」

「では初めて会ったときのあの衝撃はなんだったのですか? それに今だって、目を見るだけで動悸がしたり息苦しくなったり……」



 言いながら、レオファ様が珍しく顔を赤らめる。そして、それと同時に隣から漂う容赦のない殺気。



 リフラ様はレオファ様とアレゼル様を見比べて、可笑しそうに吹き出すのを必死でこらえている。



「お前さんはどうやら、先祖の血が濃いらしい。先祖が有していた固有の力の一部を受け継いでいるようだね」

「固有の力? なんですかそれは」

「大昔の獣人がそれぞれの種族ごとに持っていた特別な力のことさ。とうの昔に失われてしまったから、言い伝えにも残っていないけどね。狼の獣人が持つのは『先見』、先を見通す力だよ」

「先見? 先を見通す力?」

「そうだね、あと四年、いや五年待つことだ。そうすればわかる」

 


 ニヤニヤしながらそう言って、リフラ様はそれ以上何も言わなかった。レオファ様は「どういう意味ですか?」とか「もうちょっとヒント教えてくださいよ」とか食い下がっていたけど、結局は笑って誤魔化されてしまった。



 五年たてば、わかること。



 私にも、なんとなくその意味がわかる気がした。楽しみなような、そこはかとなく不安なような(アレゼル様も気づいたようだけど、あまりに嫌すぎて深く考えるのをやめたらしい)。





「あ、そうそう。忘れるところだった」



 リフラ様はもう一度私たちのほうに顔を向けて、その尖った顎先に手を当てた。



「お前さんたち、もう一つ聞きたいことがあったんじゃないのかい?」

「……あ、はい」



 言われて、アレゼル様の声に鈍い緊張が走る。



 私たちに課せられた、もう一つの大事な目的。それすらも、リフラ様にはお見通しらしい。



「まあ、できないこともないよ」

「え?」

「聖女が望むようにしてやることはできる」



 その言葉を聞いて、アレゼル様は衝撃と動揺を隠せないようだった。私だってそうだ。聖女の望むようにできるということは、リフラ様の力を借りればミレイ様は元の世界に帰ることができるという意味だもの。



 本当は帰ってほしくない。私もアレゼル様も、想いは同じ。ルーグ様のことを考えれば、なおさら。でも誰も、それをミレイ様には言えずにいる。



「ただ」



 厳しい口調になったリフラ様の目には、くっきりとした濃い憂いが映っていた。



「あっちとこっちとを行き来することを『渡り』と言うんだがね」

「『渡り』、ですか」

「向こうからこっちに来るのは比較的容易なのさ。まあ、否応なしに落とされてしまうから、本人たちにしてみればたまったもんじゃないだろうがね。でもこっちからあっちに戻るのは、ちょっと難しくてね」

「はあ」

「戻してやれないこともないんだが……。でも聖女本人に戻りたいという強い気持ちがないと、『渡り』がうまくいかない可能性があるんだよ」

「え?」

「それってどういう……?」

「あとは聖女本人と話してみるんだね。それでもというなら、私は止めないし協力はする。ここへ訪ねてくればいいと伝えておくれ」



 ……どういう意味だろう?



 アレゼル様と顔を見合わせるけど、いまいちピンと来ない。獣人の二人もお互いに首を傾げながらぶつぶつ言っている。なんのことやらちんぷんかんぷんらしい。そりゃそうだ。あっちとかこっちとか急に言われても、わかるわけがない。





「それにしても、あの娘たちがこっちへ落ちてくるのを私の加護だの祝福だのと言われても困るんだけどねえ」




 リフラ様が窓の外を眺めながら小声でつぶやいたのを、聞いている者は誰もいなかった。













残り二話で本編完結します……!

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