6 故事来歴
「めっちゃ豪邸じゃん……」
思わずつぶやいてしまった。誰だ、掘っ立て小屋に住んでるって言ったやつ。というか、そういうステレオタイプなイメージを植えつけたやつ。
突然の豪邸の出現にみんな一様に呆然としていたけど、最初に正気を取り戻したらしいレオファ様が何事もなかったかのように歩き出した。
「行きましょう」
レオファ様に続いて、豪邸の門をくぐる。玄関と思しきところまで進むと、ひとりでに扉が開く。
そこには、一匹の白いうさぎがいた。私たちを待ち構えるように二本足で立っていて、少し近づくと四つん這いになって走り去る。かと思うと、急に立ち止まって振り返り、こちらの様子を窺っている。
「ついてこいということでしょうか?」
うさぎは少し進むとこちらを振り返り、私たちが近づくとまた走り出すということを繰り返した。このうさぎといい、さっきの黒い鳥といい、魔女リフラ様の使い魔とでもいうべき存在なのだろうか。
うさぎに導かれて豪邸の中を歩いていくと、ある部屋の前まで来た。立ち止まったうさぎがこちらを振り返ったと思った瞬間、「パン!」という音と共に煙になって消えてしまう。まるで奇術とか幻術とかみたいに。
「……ここ、ですかね……」
部屋のドアに手をかけて、レオファ様がごくりと唾を飲む。
そして、思い切りドアを開けると。
「よく来たわね」
そこにいたのは、多分リフラ様だった。
「多分」というのは、あまりにも、あまりにも想像とかけ離れていたからである。だって、そこにいたのは私たちより少し年上の(サララ様くらいだろうか)、なまめかしい雰囲気を纏った妖艶な美女だったんだもの。悩殺ボディに真っ赤なドレス、漆黒の髪に真っ赤な口紅は完全に色気しかない。やばすぎる(あと大鍋も見当たらない)。
重厚なソファにゆったりと背中を預けるリフラ様は、艶っぽい笑みを浮かべて私たち一人ひとりを見回した。
「そんなところに突っ立ってないで、お入んなさいな」
その色っぽい声。見た目といい、雰囲気といい、声といい。官能的すぎる。これはだいぶやばいのでは? 女の私ですら、ぽぉっと見入ってしまう(アレゼル様以外はみんなそうだった)。
ここへ来てから戸惑うことしかないけれど、とにかく私たちは部屋の中に入ることにした。リフラ様を囲むようにして配置された豪奢なソファに、私とアレゼル様、そしてレオファ様とエフィル様がそれぞれ腰かける。
「楽にしていいんだよ」
リフラ様がそう言ったのを合図に、どこからともなく茶色の犬と灰色のカワウソが入ってきた。しかも二本足で歩き、前足でワゴンを押している。それから前足を手のように器用に使って、紅茶を淹れてくれる。いろんな意味で、思わずガン見してしまう。
「さて」
リフラ様は犬とカワウソが淹れてくれた紅茶を一口飲んで満足そうに微笑むと、まずは私とアレゼル様にその妖艶な顔を向けた。
「なぜ呼び出されたのか、わからないって顔だね」
「まあ、はい」
リフラ様の前で取り繕っても仕方がないと早々に悟ったアレゼル様が、正直に答える。それを見て、ふっと口角を上げる魔女。
「お前さんたちが私を探していた理由と同じだよ」
「え?」
「……フォルクレドの王族には、悪いことをしたと思ってね」
……え。どういうこと?
リフラ様は、多分知っている。私たちが探していたことも、なぜ探していたのかも。彼女の力はケルヌス国内だけに及ぶわけではないらしい。この世界の隅々にまで、目を光らせているのだろうか。
それにしても。「悪いことをした」とはどういう……?
妖艶な魔女はふう、と大きく息を吐く。その目には、悔いるような、嘆くような色が沈んでいる。
「昔話を聞いてくれるかい?」
そう言って、魔女は静かに話し始めた。
「私がこの世界に降り立って、何百年か経った頃のことだよ。その頃はまだ、人に隠れてひっそりと暮らすような生き方はしていなくてね。世界中をあちこち旅していたものさ」
「リフラ様がですか?」
「そうだよ。この世界のことがまだよくわかっていなかったからね。世界中を見て回る必要があったのさ」
レオファ様もエフィル様もちょっと意外そうな顔をしている。獣人にとっては、魔女は森に隠れ住んでいるというのが定説だからだろう。
「旅の途中でフォルクレドに着いたとき、ひょんなことから王女様に出会ってね。可愛らしい顔つきの、お前さんと同じ濃い紫色の目をした王女様だったよ」
「俺の先祖ということですか?」
「そうだね。天真爛漫で、気立てのいい子だったよ。私もまだ若かったし、随分と気が合ってね」
リフラ様が不意にぼんやりと遠くを見つめる。在りし日の面影をたどっているのだろうか。
「あるとき王女様から、王宮の夜会に招待されてね。興味本位で顔を出してみたら、たまたま来ていた他国の貴族が王女様を見るなり『見つけた……!』と叫んでいる場面に出くわしたのさ」
「……え、それって」
レオファ様が弾かれたように顔を上げる。
「そう、彼はケルヌスの貴族だったんだよ。その頃はまだ、ケルヌスも国を閉じていなかったからね。偶然出席した夜会で幸運にも番が見つかったその獣人は、まわりが見えなくなるくらい有頂天になっていたよ。王女様のほうもはじめはだいぶ驚いたらしいけど、半ば強引な獣人のアプローチには抗えなくてね。次第にほだされていったのさ」
「……でもそんな話、王家の歴史には残っていませんが」
アレゼル様の硬い声がリフラ様の話に異を唱える。その言葉が、リフラ様の表情に物悲しい影を作った。
「そうだよ。二人が結ばれることはなかったからさ」
「え?」
「どうしてですか?」
「王女には、実は自国の貴族に降嫁する話が出ていたんだ。まだ婚約には至っていなかったけどね。そこにケルヌスの獣人がいきなり現れて王女がほしいと言い出した。でも王家は、王女をケルヌスにやるつもりなどなかったのさ」
「そんな……」
「ケルヌスの獣人は、一度国に帰って正式な形で婚約を申し込むことにした。必ず迎えに来るから待っていてほしいと王女に言い残してね。そして国に帰る途中、獣人狩りに遭った」
リフラ様以外の全員が、息を呑む。
誰も、言葉を発することができない。
「その報せを受けたとき、王女は泣き崩れたよ。獣人狩りに遭った獣人の行方を捜すなんて、ほぼ不可能だからね。王女をケルヌスの獣人に嫁がせたくない王家が仕組んだことだろうけど、証拠は何もない。王女は絶望したよ。それこそ、番を失った獣人のように生きる気力を失ってしまった」
リフラ様は、手にしていたティーカップを口に運ぶ。一口だけ飲んで、その視線をティーカップの中で揺らめく紅茶に向けている。
「私は友人として、なんとかしてやりたいと思った。そんなとき王女が言ったのさ。『次の世で会えるなら、もう一度あの人に会いたい。でも私は獣人じゃないから自分の力であの人を探すことができない。番を探す力を私にも与えてほしい』とね」
「番を探す力?」
「……それって」
「番というのは魂同士の結びつき、魂に刻まれた縁なんだ。獣人にはそれを感知する能力がある。でも人間のほうにはないからね。生きる気力を失った王女をなんとかしてやりたくて、私は王女の魂があの獣人との縁を見つけやすくなるようにしてやった。でもあの子は『魂だけじゃ足りない、私の血にも彼との縁を刻んでほしい』と言い出してね」
「血?」
「血に縁を刻むってどういう……?」
「まあ、番を探す力がより盤石になる効果はある。でも特有の危険もはらんでいる。あの子はそれでもいいと言って譲らなかったんだよ。どうしても彼を見失いたくないんだと言ってね。結局私も、根負けしちまって」
また一つ、リフラ様が深いため息を漏らす。そして、感情の見えなくなった顔をすっと上げる。
「そのあと、私はフォルクレドを去った。しばらくして、あの子が女王になったのを知った」
「え?」
「女王?」
「王女の兄が王太子だったはずだが、若くして亡くなったらしくてね。自国の貴族に降嫁したあの子が女王になり、その夫が王配となっていた。それからまたしばらくして、あの子は王位を息子に譲った。王になった息子があの獣人との子どもだったと気づいたのはそのときさ」
「え!?」
「は!?」
「なんで!?」
「何がどうしてそうなったのかは私にもわからない。まあ、あの獣人が生きている間に授かっていたんだろうね。恐らくそれを隠したまま、自国の貴族と婚姻したんだろうよ」
「そんなことできるのですか?」
「王配だって、自分の子どもでないことくらい気づいたのでは……?」
「正確なことはわからないよ。ただ、あの子は可愛らしい見た目に反して、こうと決めたら決して譲らない頑なさと意志を貫く策略家なところがあったからね。獣人を葬り去った兄と父親を追いやるためにはなんだってやっただろうよ」
抑揚のないリフラ様の声に澱むのは、嘆きなのか後悔なのか良心の呵責なのか。もしくはそのすべてなのか。
どんどん重々しさを増す空気の中、エフィル様が「あ」と場違いに明るい声を上げる。
「じゃあ、フォルクレドの王族には、獣人の血が交じってるということになるのですか?」
「そういうことになるね」
へえ、とも、はあ、とも取れるような声が聞こえる。アレゼル様に獣人の血が。へえ。意外なような、そうでもないような。怒るとすぐに鬼神のごとき形相で負の思念を噴き出すところとか殺意をむき出しにした物騒な物言いとか、そういうのを考えると妙に納得してしまうところもあるような。
「そして王女の番だった獣人というのはね、当時のミスウィロス公爵の息子だったのさ」
「「え」」
リフラ様の予期せぬ言葉に、アレゼル様とレオファ様が同時に反応する。いや、そこで取ってつけたようににハモらなくても。でもまじか。そうなのか。
「ということは、私たちは遠い親戚ということになるのでしょうか?」
なぜかうれしそうなエフィル様に、ちょっとほっこりしてしまう。
そういえば。
初めてレオファ様に会ったとき、アレゼル様は「同じ匂いがする」とか「妙に懐かしい気がする」とか言ってたっけ。あのときは気にも留めなかったけど、まさかそういうことだったとは。限りなく遠い親戚ではあるけれど、同じ血が流れているということに本能が気づいたのかもしれない。
「問題は、そのあとなんだよ」
少しだけ緩んだ空気がまたぴりりと強張った。リフラ様の懺悔は終わらない。
「王女と獣人が次の世ではしっかりと出会えるよう、王女の側からも獣人の魂を見つけられるようにしてやったところまではよかったのかもしれない。それだって本来許されることじゃないけどね、私はあの子だけに特別な力を与えたつもりだったんだ。でも私が力を与え、血にも縁を刻んだとき、あの子はすでに獣人との子を身ごもっていた。それが何を意味するのかわかるかい?」
「え」
「それは……」
「……力がお腹の子にも影響を与えたとか、そういうことでしょうか?」
「そうさ。わかりやすく言うとね、私があの子に与えたもののすべてをあの息子は受け継いでしまったうえに、息子が生まれながらにして持っていたものも併せてその後の王族に連綿と受け継がれることになったんだよ。黒い髪も、紫の目も、己の『番』を見つける特別な能力もすべてさ」