5 隠遁生活
王家の馬車も公爵家の馬車も目立ちすぎるということで、どこから調達したのかわからないけど多少くたびれた感のある馬車に乗り込んだ私たち。
「魔女の方から使いがくるなんてな」
不可解ながらも興味深げな面持ちで、アレゼル様が馬車の窓から上空を見上げている。
「魔女は人智を超える力を持つと言われていますからね。俺たちのことなどお見通しなのでしょう」
魔女に会えることになって、レオファ様はちょっと見てられないくらいテンションが上がっていた。そりゃそうだろう。王家の獣人しか会えないし、なんなら王族だって会ってもらえないこともあるという伝説の魔女に直接会えるのだもの。自分たちの生活圏のすぐそばにいるほど身近なのに、おいそれと会うことの叶わぬ稀有な存在。そんな人にお目にかかれることなど滅多にないのだから、テンションが上がるのは当然なんだけど。でもレオファ様、意外にミーハーだった。びっくりしたわ。
「それにしても、魔女は一体何歳くらいなんだろうな?」
「言い伝えではこの世界の始まりから存在しているということですが」
「そうか。ヒミコがアカツキを興したのが千五百年以上前と言われてるんだから、少なくともそれ以上ってことにはなるんだよな」
感慨深そうに目を細めるアレゼル様を見ながら、魔女の生きてきた悠久の時の流れに思いを馳せる。
魔女は獣人と接点を持つことなく、ひっそりとジーアの森に隠れ住んでいるらしい。どんな姿かたちをして、どんなところにどんなふうに住んでいるのかまったく想像もつかない。でも少なくとも、千五百年以上は生きているならやっぱり見た目はおばあさんなんじゃなかろうか。一般的な魔女のイメージといえば腰の曲がった老婆で、掘立て小屋というかあばら屋というか、荒れ果てた粗末な家に住んでそうなんだけど。あと、「ヒヒヒ」とか言いながら大きな鍋をかき回してるイメージなんだけど。
窓から空を眺めると、さっきの黒い鳥が馬車の上をゆったりと飛んでいた。まるで道案内するかのように旋回しながら、つかず離れず、馬車との距離を保っている。
「ここです」
ひとまず森の入り口に着いて馬車を降りると、辺りをぐるりと見回したレオファ様が森の奥のほうに視線を向けた。
「ここから少し歩きます。足元に気をつけてください」
「行き先はわかってるのか?」
「いえ。ただ、あの鳥が教えてくれます」
見ると、黒い鳥はすでに森の奥のほうへ向かって悠々と飛んでいる。あの鳥についていけばいいのか、と思ったときだった。
「兄様!」
聞き覚えのある声に呼び止められ、三人とも振り返る。
それは案の定、強張った表情のまま駆け寄ってくるエフィル様だった。別の馬車で私たちのあとをついてきていたらしい。
「エフィル、お前……」
「兄様、私も連れて行って」
「は? なんで」
「私も魔女様にお願いしたいことがあるんです」
思い詰めたような顔には、悲壮感すら漂っている。
「お前、こんなことして許されると思ってるのか? 興味本位で俺たちのあとをつけるなんて」
「興味本位なんかじゃない。でもどうしても、魔女様にお会いしたくて」
「お前が会いたくても、魔女のほうはお前のことなんかお呼びじゃないんだよ。魔女は殿下と妃殿下に会いたいと言ってるんだ。護衛として俺が行くことも了承を得てある。お前が突然ついて来たせいで、魔女の機嫌を損ねて殿下たちが魔女に会えなくなったらどうするんだよ?」
「それは……」
兄の振りかざすド正論に、エフィル様が泣きそうな顔になる。無理もない。反論の余地もない。
「わかったらさっさと帰れ」
「でも――」
「レオファ様」
有無を言わさず妹に向かって目を吊り上げるレオファ様に、たまらず私は声をかけた。
「エフィル様が魔女に会いたい理由だけでも、聞かせてもらえませんか?」
「え?」
「一緒に行くかどうか判断するのは、それからでもいいのではと」
「そうだよな」
アレゼル様も優しさがこぼれるように微笑んで、助け舟を出してくれる。
「魔女のことだ。こんなところですったもんだやってればすぐに気づくだろうし、むしろとっくに気づいているだろうよ。エフィル様がついてきていることにもな」
そう言って、上空を旋回している黒い鳥を指差す。それを見たレオファ様も「あ」と言ったきり、決まり悪そうな顔をする。
「エフィル様を連れていくかどうか、俺たちに任せるつもりなんじゃないかな。エフィル様がついてきた理由にも気づいているかもしれないし」
魔女の力がどこまで及ぶのかはわからないけど、アレゼル様の言う通りという気がする。この世界の始まりから存在していて、神懸かり的な力を持ちながら果てなき永い時間を生きている魔女だもの。なんでもできそうだし、なんでも知ってそう。……でもそれって、もはや神なのでは?
「わかりましたよ」
レオファ様は腕組みをしながら、渋々といった様子でエフィル様の真正面に立ちはだかった。
「お前が魔女に会いたい理由なんて、どうせ陛下絡みだろ」
兄の手厳しい指摘に妹はわかりやすく頬を赤らめて、途端にあわあわと取り乱す。
「な、なんで先に言ってしまうのよ!? ちゃんと自分で話そうといろいろ考えてたのに!」
「陛下の話になると長えんだよ、お前」
「そ、そんなことないから! というか長くならないようにきちんとまとめようとして……!」
「先を急ぐんだから、お前の長話につきあってる暇ないんだよ」
「だからって!」
……う、うん。なんだかんだ言ってこの兄妹の仲の良さはよくわかった。しかしここでわちゃわちゃと言い争いをしていることが、時間のロスになっているということをこの人たちはわかってないな?
概ね察したアレゼル様が、多少面倒くさそうに間に割って入る。
「つまり、エフィル様は陛下をお慕いしているとかそんなとこか?」
「え? あ、まあ、はい……」
エフィル様はさっきよりさらに頬を染めて、少し俯いた。でも恥ずかしがってる場合ではないと思ったのだろう、勢いよく顔を上げる。
「殿下のおっしゃる通り、私は幼い頃より陛下のことをお慕いしております。気づいたときにはもう、崇拝しておりました」
潔く言い切るエフィル様の気高さに、私もアレゼル様も若干面食らう。崇拝。そりゃすげえ。
「でも、陛下はずっと愚鈍の仮面を被っていたと聞くが?」
「陛下の天賦の才の片鱗は、幼い頃から垣間見えていたのです。そんな陛下の存在に希望を抱いた当時の宰相や名だたる貴族が、陛下を担ぎ上げて前王に反旗を翻そうと計画したのが今から13年前のことです」
「え、そんなことが?」
驚いてレオファ様に目を向けると、無言で頷いている。しかもその顔は、なぜだか苦渋に満ちている。
「でも反乱計画は失敗に終わりました。裏切り者がいたのです。計画が実行される前にすべてが露見し、反逆を企てた者は全員処刑されました。陛下は担ぎ上げられそうになっただけでしたが、けじめをつけるため自ら毒を飲んだのです」
「え」
「まさか」
「幸い命は取り留めたのですが、毒の後遺症から使い物にならない無能になってしまって……」
エフィル様の凍りついたような表情に、戦慄する。
……あれ。でも。
「ということになっている、ってだけですよ」
レオファ様がからりと苦笑する。
「だよな。現に陛下はピンピンしてるし」
「そうです。毒を飲んだことにして、愚鈍の仮面を被ることにしたのです。そうして、もう一度反旗を翻すべく虎視眈々とその機会を窺ってきたのですよ」
「それこそが、命を落とした真の臣下たちに報いることだと心を決められたのです。私も兄もそんな陛下を間近で見てきましたし、幼いながらもずっとお支えしていこうと誓ったのです」
確固たる意志を湛えたエフィル様の目が鋭く光る。
13年前と言えば、エフィル様はまだ年端もいかぬ子どもだっただろう。それでも崇拝するほど憧れていた人が反乱に巻き込まれ、たくさんの命が無残に失われる様を目の当たりにして、覚悟を決めるしかなかったのかもしれない。そしてそれはきっと、レオファ様とて同じだったに違いない。
「私の命はすでに陛下のもの。陛下に忠誠を誓い、陛下と共に在ることを誓った身です。これからもずっと、すぐそばで陛下をお支えしていきたい私にとって『番』という存在は邪魔でしかないのです」
「え?」
「番?」
「私は魔女様に、『番』とのつながりを断ち切ってほしいのです」
怖いくらいに張り詰めた表情を見せるエフィル様に、私もアレゼル様も言葉を失ってしまう。
レオファ様だけは、妹の想いを以前から知っていたのだろう。さほど驚いた様子は見せず、その代わりこれ以上ないくらい厳しい表情のまま口を引き結ぶ。
「……やっぱり魔女は『番』とのつながりを切ることができるのか?」
「はい。そう言われています」
「でも『番』とのつながりは、魂の結びつきと言われてるんです。魂は輪廻転生を繰り返します。今世で『番』に出会えなかったとしても、来世では会えるかもしれない。その結びつきは未来永劫、永遠に続くものなんです」
「じゃあ、そのつながりを切ってしまったら?」
「……エフィルの魂は、番との結びつきを永遠に失います」
それは、エフィル様として生きる今の世だけでなく、これから先生まれ変わった後の世でも、ということになる。何度生まれ変わろうとも、エフィル様の魂が番と結ばれることは決してない。番と結ばれないということは、獣人として手に入れることのできる至上の幸福というものを未来永劫失うことになる。それがどれほどの痛手を負うことになるのか、獣人でない私にはわかるはずもない。
「わざわざ番との結びつきを切らなくとも、陛下をお支えすることはできるだろう? 探し回らなければ出会う確率だって少ないんだし」
「でも鎖国を解いたら番探しの旅に出る者が増えるのは目に見えてるのよ? 私の番だってそうかもしれない。私が探しに行かなくても、向こうが探し回っていたら出会ってしまうかもしれないでしょう? 私はそんな可能性を排除してしまいたいのよ」
エフィル様が忌々しそうに吐き捨てる。
恐らく、ただ臣下として陛下を支えたいだけではないのだ。恋情と言ってしまえばそうなのかもしれないけど、それだけでもない。自分の人生のすべてをかけて、陛下と共に在りたいと想いを定めてしまったのだ。そのためには、番と出会う至福を捨ててしまってもいいと腹を括ってしまっている。
私は隣にいるアレゼル様を見上げた。同じタイミングで私を見下ろしたアレゼル様の目に映るのは、確かに私と同じ感情だった。
「……エフィル様の事情はわかりました」
アレゼル様のよく通る低い声が、思いのほか軽い口調で決断を下す。
「そこまで覚悟を決めているのなら、むしろ一緒に行きましょう」
◇◆◇◆◇
黒い鳥に導かれて、森の奥へと歩を進める。
あるところまで行くと、鳥がその場で旋回し始めた。
「ここのようです」
「ここ?」
「何もないけど」
「ここが結界との境い目なのでしょう。この場で魔女の名前を言うように言われています」
「魔女の名前?」
魔女に名前があったとは。ずっと『魔女』とか『北の魔女』とか言ってたから、そういう呼び名なんだと思ってた。違ったのか。
「魔女は『魔女』と呼ばれることをあまり好まないそうなので。ここから先は魔女ではなく、『リフラ』と呼んでください」
「リフラ……様?」
アレゼル様がその名前を口にすると、突然ぐにゃりと視界が歪んだ。鬱蒼とした森は忽然と消え去り、目の前に現れたのは。
掘立て小屋でもあばら屋でもない、予想外すぎる白亜の豪邸だった。